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事業の純粋性と専門人材の質

企業の事業における純粋性と、専門人材の質の高さは日本では実はかなり比例するんじゃないかという事を郵便受けを覗いていたらふと考えた。

例えばある瞬間に「化学会社」と「樹脂会社」と「繊維会社」が存在していたとする。化学会社の化学事業で求められる技能は主としては化学である。
勿論大学の研究室でやってる内容と比べれば事務仕事が入ってきたりとか客先対応が入ってきたりとか色々な事があるわけだが、主としては化学以外の何物でもない。

一方例えば樹脂会社の樹脂事業で求められる技能は化学だけではなく、材料学や機械工学のような隣接分野に対する知識が必要になってくる。
また例えば繊維会社の繊維事業で求められる技能となると、材料学が主たる知識で化学はサブ知識分野、下手すると服飾工学のような特殊な分野の知識まで必要になってくる場合があるし、会社によってはバイオ系の製品を持っていたりすると生体工学が必要になったりする。

飽くまでこの文章における便宜的な括りでしかないが、ここではとりあえず「化学会社」が最も事業としての純粋性が高く化学を主とするもの、「樹脂会社」は二番手で化学と材料学・機械工学を必要とするもの、「繊維会社」は最も事業の純粋性が低く色んな技能が必要になるものとして考えている。実際には会社ごとにやってる事業が違うので会社ごとの分析は必須になるけど、無理やりこじつけて一般化しようとするとこういう感じ。

で、この事業の純粋性が高ければ高いほど、その分野のトップ人材を採用できる可能性は高くなるんじゃないかということ。少し考えれば普通に当たり前の話ではあるけど、広い知識が必要とされる組織において専門バカだと生きて行けないし、また一方では何か一分野に深い知識の要求される組織で広範囲に知識が広がりまくる人間だと生きていけない。

となると例えばある一つの分野を極めているトップ人材から順番に、事業の純粋性が高い企業に入ってゆく事になる。例えば化学系ならば、一つの化合物の合成方法が何パターンでも思い浮かぶようなスーパー合成化学者から順番にトップ化学企業に入ってゆくことになる。

で、この図を描いて何となく理解したこととして、もしもこのまま人手不足が進行していくと仮定すると、分野そのものが縮小してゆくことになるので、高度専門人材を採れる企業はドンドン少なくなってゆくという問題が発生する。

専門トップ企業ですら高度専門人材のオールスターチームで新卒採用を埋め尽くすという事はできなくなってゆき、大学内で「次点」と評されていたような学生をかなり大量に採用する必要が出てくる。
こうなってくるともはや採用難はエクストリームで、事業的に隣接分野に位置している企業がその分野でマトモな人材を取ることは際限なく困難になってゆき、複数の専門性同士のシナジーで回ってゆくような事業は壊滅的に成立しにくくなっていってしまう。

こうなった時企業側は何をすればいいのか、あるいは教育機関の側は何をすればいいのかが物凄く問題になる。
分かりやすい一つの答えとしては企業の側がどんどん新しい事業に乗り込んでいく、という戦略だ。その分野トップのスーパー専門家みたいな人たちが少なくなるという事は、それだけ全く別のことを手掛けるチャンスが出て来るという事である。ただしこれをやればやるほど事業としての専門性はどんどん失われていくため、技術やリソースを一つの分野に集中させるという事が殆どできなくなってゆく。

その他例えば大学の側が「何でもやれる人材」をもっと育成するという方法も無くはない…その流れでリベラルアーツ学部みたいなのが山ほどできたのだと私は考えているが、専門性を重視する日本社会においてそういう教育が本当に成立するのか非常に怪しいと思う。
結局のところ企業が超高度な専門人材ばかりを追い求めて自社の事業の掘り下げ続ける限り、「文理の両面に広く知識を持つ人」みたいなのが活躍するチャンスはあまり日本には無いようにも感じられる。

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