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グランドデザインとしての「片付け」

お前にとっては転職活動よりも掃除の方が大変という師匠の予測がそのまま予測通り当たってしまって苦しい限り。
転職活動は高々一ヶ月半で終わったが、このままでは片付けは何ヶ月経っても終わらない。

最近になってやっと実体としての意味が分かってきたけど、「片付け」とはある種の「判断能力のトレーニング」としてかなり打ってつけである。
次から次へと何が必要で何が不要なのか判断して、必要な物については全部どこに収納するかを考えて判断する。

断捨離は意識的能力の節約

断捨離が馬鹿みたいにウケるのは結局「判断力を使わなくていいから」であると思う。

モノを持ち続けるという事は先ずどこに収納するのかを考えて判断する事だし、将来的にそのモノを使うかどうか考える事でもあるし、その結果として自分がそれを持っている事にすら気が付かずに新しくもう一個同じモノを買ってしまって後悔する…なんて事にもつながりかねない。意識的能力を使いまくるのだ。

人の意識的能力が及ぶ範囲というのは限られるし、判断能力とは有限のリソースである。
だから、他に何かやりたい事、熱中したい事が有る人にとっては「全部捨てる」が常に最適解になる。
だって全部捨てちまえば、ゴミ袋に入ったそれらに対して自分の判断能力や意識的能力を費やす必要がなくなるから、その人本来の集中したい物事に判断力や意識的能力をフル投入する事ができるようになるからだ。

では、やりたい事も考えたい事もたくさんある人はどうすればいいのか?
ここが問題になってくる。

私は特に普段から思考が散らかり倒していて、色々な分野の色々な事について考えていることもあって、上手く判断してモノを捨てるという事がどうにも苦手になってしまう。

グランドデザイン能力と片付け

苦手だが苦手なりにやってみる。

モノを捨てると判断を下す事は実際超簡単で、私もゴミだらけの部屋を片付ける上でかなり大量の物をゴミ袋にぶち込んでいる。これは問題ない。

ヤバいのは「モノをとっておく」と決断した時に立ち現れる問題である。
モノを取っておくからにはどこかにモノを収納しないといけないが、ここには顕著に「デザイン能力」、もっと言えば「グランドデザインを思考し決定する力」が働いてくると感じている。

何で片付け如きでそんな難解な話になるのかって感じだが、今は「こんまりメソッド」とか色々な片付け論が世の中に出てくる時代だ。考えてみる事は悪くない。

私も私なりに片付けから色んな事を考えた時に、やはり基礎として一番最初に出て来るのが「どんな部屋にしたいのか?」という理想像を大まかにデザインして決定する能力である。
それがどれぐらいあるか次第で、その人の部屋は笑えるぐらい状況が変わってくるという厳然たる事実に思い当たるようになってきた。

理系は本来必須の能力であるグランドデザイン

これは実は理系として研究活動をやる時のセンスにも非常に似通ってくる能力である。

「何がやりたいの?どうしたいの?」という基本的な意識を持つ事ができなければ、研究テーマを決定する事は難しい。
私にはこの能力がもしかして決定的に欠けていたのかもしれないと、部屋を必死で片づけながら思う。

「どんな部屋にしたいのか?」というイメージ像がどこまで行っても見えてこない。グランドデザイン的な能力が全然ないのだ。

実の事を言えば、私は部屋の片付けでも理系としての研究活動でも、そればかりかこうして文章を書く事でさえ「行き当たりばったり」でしかやっていない部分が多々ある。

とりあえず深く考えず実行してみて、「違うな」と思ったら部分的に修正したり、考え方を変えたりする。それしかやっていないので、世に言う「信念を貫き通す人」みたいなのが割と羨ましくて仕方がない。

グランドデザイン能力をもって自分の考え方と方針を決定し、その下に突き進んでいけるというのは研究活動においても部屋の片付けにおいても大きな強みであると思う。

部屋のイメージを持っても…

部屋に関する話に戻しても、やはり具体的イメージというのが全然湧かない。
綺麗なお部屋を作りましょう!と言って一般的に思い浮かべるのはどんな部屋だろうか?

多分普通の人はこういうのを思い浮かべるんだと思うけど、私は実はこういう部屋にあまり魅力を感じておらず、従ってこれを目標に定めるのは割と難しい。

ではどういうものを思い浮かべるかと言うと、

イメージの時点で敗北していた。これでは片付くはずもない。

私はこういう「夢中になれるものが沢山並んでいるお部屋(汚部屋)」というものにメチャメチャ憧れてしまうのだ。
実際に私は一時期書籍が天井まで積みあがっているようなキチガイ読書家みたいな部屋で暮らしていた。実際にキチガイ読書家だったのかもしれない。

私の場合やはり何というか、グランドデザイン能力が決定的に間違った方向へ伸びているのか何なのか、普通に成果が得られるような方向性をストレートに追及するという事が全くできない。
常に奇妙奇怪な方向へ目標を定めて、その結果大迷走するという事が人生全体の癖になってしまっていると感じる。

意識的にグランドデザインの方向性を修正していかないと人生がドンドコ歪んで行くだけなので最早何をするのも困難であるが、私は本質的にどうすればいいんだろうか。やっぱり時間をかけて色々な意識的能力を修正しなくてはいけないのだと思う。

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