見出し画像

負荷による仕事適性という考え方

肉体的負荷が強い仕事・環境だと私は顕著に学習が遅れる。
そこから考える「仕事の適性」に対する視点。

私の肉体的負荷への弱さ

人によって適性が顕著に出てくる部分だと思うけど、私は肉体的に非常に苦しい仕事・環境・経験からは得られる学習量・情報量が著しく低下する。

特に暑さに弱く、クソ暑い場所で水も飲めないまま何かを観察し続けるとか、そういう作業をやっても小学生並みの観察能力しか発揮できない上に、学習能力はそこから更に下がる。

従って普通の人が3回やれば理解できる・習熟できるようなことが私の場合、暑い環境やその他肉体的に苦しい環境だと10回以上繰り返さないと学習できない。

負荷と適性

仕事に対する適性という物を考える上で、皆やたらに「脳ミソの話」だと思いたがる傾向が有るように思われるが、それは決定的に事実を見誤っている分かりやすい例の一つである。
脳が肉体を制御しているだけではなく、肉体が脳にフィードバックを与えて脳の活動を変動させるという事が有る以上は、その二つの特性を両方とも考えた上でなければ仕事に対する適性を判断する事はできない。

ずっと座って脳ミソと手だけ動かしていれば足りる人がいる一方で、定期的に身体を動かして血流を流さないと意識が遠のく人も居る。

つまり適性とは「頭脳」と「肉体」の両軸で考えないといけないのだ。

負荷による仕事の分類

こう考えると仕事は二つの軸から四つの象限に分けて整理する事ができる。
クリエイティブとか年収とかそういうこれまでの分類方法とは違う、「負荷による分類」という方法である。

自分にどの仕事ができるかという観点で考えれば、こんな視点で仕事を分類してみるのも面白いし、負荷という観点で見たとき自分がどのような仕事適性を持っているのかを考えてみるのも重要な事だろう。

私の例から見た仕事の選び方

例えば私の場合、人とディベートするとか期限ギリギリの仕事をするような相当エキサイティングな仕事をしているのでない限り、所定の労働時間中ずっと座っていたら確実に眠る。
なので座り仕事中心の日は一時間に一回ぐらい立ち上がったりとか、どうしようもなく酷い時には15分に一回は立ち上がって体を捻ったりする動作を行う。

しかし一方で労働時間中で距離にして数十kmを歩き回るとか、気温が40℃を超えているとか、そういう仕事だと顕著に学習能力も行動能力も低下する。

つまり私の許容しうる肉体的・頭脳的負荷の範囲には上限と下限が存在しており、その範囲内に入っていなければ私は最大のパフォーマンスを発揮する事はできない。

つまり負荷分類的な物の見方で仕事というものを眺めた時、私の場合はこういう風になる。

A、B、C、D、と四つの仕事が存在したとしよう。
それぞれは各象限に対応する仕事で、肉体的・頭脳的負荷がそれぞれ異なる。

例えば私の場合には肉体的に弱いという特性を反映すると、もっとも向いている仕事はCの仕事である。
自分の負荷許容範囲に重なっている範囲が最も大きいためだ。

Aの仕事は不可能ではないけどその内身体を壊すか精神的に破滅して潰れる可能性が高いし、Bの仕事だと高い確率で身体を壊すため難しい。またDの仕事だと退屈すぎて寝る可能性が高い。

勿論私とは真逆に脳筋スーパー体育会系で、頭は弱いけど身体の強さが自分の強さです!という人も居るだろう。そういう人は逆にAやBの仕事をやってバンバン身体で稼いで行ったらいいのである。

負荷のない仕事など存在しない

世の中に全くストレスの無いストレスフリーな仕事なんてものは殆ど存在しない。
例えばミュージシャンやアーティストだったとしても、インスピレーションを得るために苦しい時間を過ごすなんて事は幾らでもある。

況や、企業その他色々な組織の中で組織の一員として生きて行く事にはほぼ必ず何かしらのストレスが付きまとうと言っても良いだろう。

思うに、こういった「負荷」という目線は現代の就活や転職において最も必要な視点の一つであろうと思うのだ。

日本では「総合職」とか「一般職」とかいう謎の名前で雇用されている事からも分かる通り、一人一人の担当する業務の範囲がやたら広い。
従って肉体的負荷がゼロな完全頭脳労働は存在しないし、また頭脳的負荷がゼロな完全肉体労働職もあまり存在しない。

つまり一人の人間が一つの職業に付随する全ての負荷耐性を完全に兼ね備えている事は非常に少ない。
だからこそ「どの職業が自分の体力・頭脳力に最も当てはまるか」をちゃんと考えないといけないのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?