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聞きっ齧りニーチェ的に言うと、私は今獅子となり、そして幼子になりつつある超人さ。弱ってる暇じゃない。

★写真は夏の庭の下草刈りに精を出す農婦(仮)。友達がいると、日常の自分の写真が残せていいね。今まで黙々とやってきたこととかが色々視覚化されて嬉しい。今年はコロナ騒ぎで時期を過ごしてしまったけど、来年はまた樹木を増やしていこう。夏の庭の森100年計画。

今日、家でゴロゴロしてる時に偶然視聴した動画がアバタローさんの
【26分解説】ツァラトゥストラ|ニーチェ ~無敵の自己肯定感を生み出す、究極の思想とは?~

面白かった、聞きっ齧りの知識に更に聞きっ齧りの知識が加わって、なんとなく概要だけは掴めた気がするニーチェ。
自分が宇宙とかアッラーと繋がっているっぽい感覚が常にある日常を暮らしていると、ニーチェの運命愛とか、そだよねーって思えちゃう。

人生にたった一度だけでも魂の震える瞬間があればいい、と言うけど
実は「ああ、この一瞬の為に生きてきたんだなぁ!」って思うことが日常的にあるんだよなぁ。
もう村上春樹の『小確幸』ばりに日常的に味わえる。

だから、なんか、こう、旅の手配とかするのに、
嗚呼、お客様が一瞬、そんな気持ちにここでなってくれたらいいなぁ、と思いながらプラン作ってる時が一番アガるっ。出来そうな気がしちゃう。

魂の震える瞬間の大安売り。('ω')ノ

その瞬間って、過去も未来も夢も記憶もパラレルワールドも
全部そこにある。全ていっぺんにそこにあるのが分かる。
時間の概念も消えて、本当に一瞬の中に全部一緒に存在してる。
そんな風な体感した人、他にいないかな?ホントにそんな感じなんだよね。
多分、死に際に「走馬燈が見える」ってこれを言うんだと思う。
それの日常体感版がよく起こる。めっちゃ多幸感ある。ハイ。

我慢の時代を超えて、自由を謳歌する獅子の時を迎え
次は、今ここの愉悦だけを追い求めるクリエイティブな幼子の様に生きる。

毎日の時間の中で、予定や計画に追いまくられずに
ただ頭を空にして閃きを待つ時間を作ることを最優先にしてるのも
私の中の幼子が自由に動けるようにしてあげたいからなんだよね。

この間の夜の写真がスマホから沢山出てきた。
ナタリアと一緒に自撮りしてる写真。

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こーんな感じの写真を酔っ払って沢山撮ってたらしく
全部めちゃめちゃ愉しそう、二人で大爆笑してる写真ばっかり。
(流石に実物写真をシェアするのは遠慮しとくけど)
中2女子会って感じだったわ。どんどん幼子化してく私たち。

私は私として永遠に生きても全然満足。絶望しない。

全ての友人たちに健康と幸運を!

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