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雑にまとめる、あすきょうのための3分講座。0005 プロレス団体の系譜 PART1

体系的に知ってるとわかりやすい。

あすきょうよ、プロレスとは何か?
団体だ!
そのくらい知ってるよ!ときょうかは思うかもしれないけど、まあ、あすかのための講座かな。

プロレスって格闘技何ですか?芝居なんですか?みたいなことを言う輩が昔は多かった。

プロレスとは興行だ!と答えるレスラー、関係者がいたとか。
サーカス団みたいなところもあるから、これは正しいのかも。

1.新日本プロレス

全日本プロレスよりも約半年前に旗揚げ。1972年。

日本プロレスをクビになった猪木をカリスマとして立ち上げた団体。

日本一スターを生み、ここから分裂、離脱していったレスラーは枚挙にいとまがない。

アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰爾、長州力、佐山サトル、藤原喜明、前田日明、高田延彦、鈴木みのる、船木誠勝、三銃士(武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋)、ライガー、クリスベノワ、第三世代(天山広吉、中西学、永田裕志、小島聡、大谷晋二郎、高岩竜一)、金本浩二、真壁刀義、棚橋弘至、柴田勝頼、オカダカズチカ、内藤哲也、SANADA、後藤洋央紀、ジェイホワイト。。。

多すぎ。

新日本は90年代はドーム連発するなどよい時期を経由して、経営がダメになったら、
ゲーム会社ユークス
に譲渡。

そのあと、
カードなどオモチャ会社ブシロード
に譲渡。

V字回復。今やブームを作れる会社になりました。
社長も以前からプロレス好きの経営者、メイ社長を招聘して、さらに改革する元気さ。
いやあ、素晴らしい(倉持明日香風。)

アメリカWWEに次ぐ世界第2位のプロレス興行会社となりました。

2.全日本プロレス

新日本より半年遅れて、ジャイアント馬場が興した会社。

日本プロレスという会社をそのまま引き継いだようなもの。

NWAというアメリカの歴史ある伝統もあり、NWA関連のレスラーがアメリカから参戦。

日本人対外国人というスタイルでスタートしました。

ジャンボ鶴田というアマレスのスター、天龍源一郎という相撲からの転身デビューを迎え、長州力が
「新日本に飽きた」
から全日本と提携したジャパンプロレスでブームを産みました。

鶴田に体力で叶わなくなり、また飽きた長州力が
「ここには夢がない」
と新日本に直ぐ舞い戻り(クソでしょ?この人)、
天龍はあっけに取られて、今度は呑気な鶴田を怒らせることで、活性化します。

天龍がSWSという団体に出ます。理由は別途説明しますが、やっぱり全日本ではやりにくい部分もあったのでしょう。

一気に三沢光晴など若手の時代になります。馬場さんも外国人より、日本人対決で盛り返しに考えが変わり、可愛がっていた三沢に託し、自らは一線を引き、お笑いプロレスや、牧歌的なプロレスを担います。

そして、四天王時代(三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太)。秋山準という正統派レスラー、そして金丸義信、丸藤正道などジュニアで活性化。鶴田が戦線離脱したことも、時代を変える原因でした。

馬場さんが亡くなり、馬場元子さんと対立して三沢らはNOAHへと離脱。川田利明と渕正信と練習生だけ残ります。

その後、川田利明が辞め、武藤敬司が社長やったり。色々ありましたが、秋山準がNOAHから舞い戻り、社長してます。

名前は残ってますが、違う団体ですね。

3.WARとSWS(SUPER WORLD SPORTS)

天龍が馬場さんとはやっとられんという事で、メガネスーパーと組んだのがSWS。元々、UWFのスポンサーを務めたメガネスーパーがプロレス団体を持ちたいと始めたのがSWS。天龍一派を中心に、新日、全日からレスラーを寄せ集めました。

でもメガネスーパーはプロレス界に縁のなかった企業。まして天龍らレスラーは引き抜きになります。そこでプロレス界からは逆恨みみたいなものの感情が生まれ、週刊プロレスもSWSに対して妨害するような記事。レスラーもSWSに非難轟々。

わずか2年程で崩壊。寄せ集めのレスラーだから仲良くもできず、イデオロギーも存在しない。
お金が沢山あって、道場や興行にかけるお金は凄かったみたいです。勿体無かったと言われます。

今のブシロードみたいに、プロレス界を変えてくれる力は潰してはいけないのですよ。いい会社がプロレスを好きで、そしてプロレス団体のダメさを改革してくれるなら、積極的に他の血を入れないとね。

崩壊して何団体かに分かれ、天龍はWARという団体を興します。WARのレフリーには今現在新日本のメインレフリーをやってる海野さんがいましたね。WARは新日本と提携して、全面対抗戦などをやりましたけど、やがて潰れました。怖いなあ新日本。

4.プロレスリングNOAH

全日本プロレスで活躍していたレスラーがスタッフ含めて40人程で興した団体。
馬場元子さんが三沢達に「馬場さんらしい団体、興行にして欲しい」と言って、マッチメイクや経営に口出し。レスラーとして様々な口出しに耐えられず、レスラー達は契約をしなくなります。

当時の三沢さんは板挟みになり、かなり病んでしまってました。全日本社長を解任して欲しいと申し出て、レスラー達は三沢を信頼してましたから解任されました。ところがマスコミは一部「辞任」と報道するなど、元子さんとの確執があったことがわかります。

レスラーの大多数が半年程契約せず、全日本プロレスの興行に出ていたのだから、余程の異常事態ですよ。

最後の武道館大会には社長であった三沢が、記者達の前で講評を話すはずが、最後までおらず去ってしまったので、記者達は気づいたみたいです。何か起きたなと。

そして会見。川田利明と渕正信を除くレスラー達が発表。

NOAHが起きました。

全日本との試合契約を守るため、その後の全日本の試合にも三沢達は出ていました。

その時のファンからの
「裏切り者!」
という、ヤジに、三沢さんらは
「そうじやないんだよ。」
という気持ちを持っていました。

NOAHには当初、全日本からの引き継ぎの形で日テレが付いていました。やがて興行的に苦しくなり、G+はあるものの、地上波がなくなり、経営が苦しくなりました。

三沢没後は田上が社長、そして、いくつか代替わり。

ロゴも変わって今に至る。

長くなったので、この辺で。

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