雑にまとめる、あすきょうのための3分講座。0008 UWFとMMA、そしてプロレスとは PART1
私がプロレスを好きになった93年。
実は格闘技・プロレスにとっては激動の年だったみたいです。
4月、K-1グランプリ開催開始。
7月、四天王プロレススタート。
9月、UWFの進化最終系、パンクラス旗揚げ。
11月、UFC 1がコロラド州デンバーのマクニコルス・スポーツ・アリーナで開催
凄くない?一年でこんだけエポックメイキングな事が起こったのです。
さて、UFCの話をしたいのですが、それにはUWFを軽くでも総括しないと。
で、団体の話だけ前に私が書いたやつ見ておいてね。
→UWF
特に佐山サトルがこの流れでは最重要人物。
佐山サトルは初代タイガーマスクになりながら、1番格闘技をやりたかった人。
ところが頭が良かった佐山サトルはUWFに参加しながらも、考えが他と合わず、第二次UWFの頃には、シューティングを作ります。
このあたりは説明省きますけど、やっぱり天才ゆえに考えが先端過ぎて誰もついていけなかったのかもしれません。
オープンフィンガーグローブでどんなスタイルにも対応できることを理想とするスタイルでした。
もちろんこれが完成系ではありません。
さあ、いったん忘れてね。
そして、佐山サトルと道が分かれたUWF。どんなものか。
関節技がわかりやすい動画があったので紹介します。
ギロチンチョークや、
肩固め、
三角絞めなど懇切丁寧に教えてくれます。
技の入り方やら、逃げ方、逃げられた時の対応方法。
これ見てると、プロレスラーやっぱり凄いな、最強かもな、と思うのですが。
カールゴッチというシュートで強いレスラーがいました。ジャーマンスープレックスの名前の由来で有名なカールゴッチ。
ドイツ系だからジャーマンスープレックスということ。(普通にアメリカから来日しましたけどw)
そのカールゴッチの技術を藤原喜明ら新日本のレスラーに伝えてできた競技がUWFスタイルです。これ、プロレス見るときの勉強にもなるので、よく見ておいてください。
試合もあります。ダウン、ロープエスケープがポイントになります。(時期や団体によりルールが異なります。第一次はフリーエスケープだったみたいですね。)
ポイントが無くなると負けになります。
実際見てみましょう。
痛々しいでしょ?ルールとかはこれ見るとわかりやすいかも。打・倒・極と言われたスタイルです。飲む・打つ・買うじゃないですよ?w
これも元々は佐山サトル提案のスタイル。
そして、第二次UWFや、分派。この後どうなったか。
Uインターの試合ですけど、プロレス最強かとファンは思ったはずです。
ところが。ところがです。
これが、UFCの試合でとんでもない時代になります。
93年、本当に「何でもあり」の試合がアメリカで行われます。これが世界に放映されます。インターネットはない時代でした。
プロレス界、格闘技界はショックを受けます。
何故か?
グレイシー柔術が、パンクラス常連最強外人のケンウエインシャムロック、
→こちら
UWFやリングス にも出ていたオランダ格闘家ジェラルドゴルドー
→こちら
を簡単に破ってしまうのです!
理由は簡単。グレイシー柔術のために作られた大会、ルールだったのです。(後で判明)
しかし、柔道がブラジルに渡り、そしてブラジルの地で独自に柔術に進化。喧嘩にも強いスタイルで、なみいる格闘家を仕留める。これは本当に大ショックだったのです。ロマンはありますが、それが今の日本に、ではなく、ブラジルで70年以上にも渡り、育まれていたということが!
UWFインターやプロレス、格闘技団体は最強を誇る格闘技。
そう名乗っている以上、無視するわけにはいきません。
UWFインターは安生洋二を送るわけですが、顔などにしっかり血を出させるスタイルで打ちのめされます。
何だこのザマは?!
でも、グレイシー柔術が週刊プロレスや、映像で紹介されると。
そして、日本にもホイスグレイシーや
その10倍強いと言われる兄、ヒクソンが試合をしに来日します。
そのスタイルに愕然とします。
寝ながら上に乗ると、上からパンチを打つ。
フェイントを使い、相手をタックルで倒して、
そして締め落とす。
下から関節技をかける。
関節技の取り合いかと思うと、コツコツと打撃をかます。
それにしてもこの姿・・・
あれ?見たことありません?
そう、佐山サトルのスタイルだったのです。
もちろん、独自に進化したので、シューティングの選手も負けてしまいました。
佐山サトルもびっくりのスタイル。
そして、この理想は実は。。。
そう。
73年に亡くなったブルースリー。
続きは次回へ!!!
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