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酒とたばこの迷信

今朝、この記事を読んだ。有名インフルエンサーのRTからとんだ。

私は、故あってこの1年半程お酒を断っている。で、またまた故あって引き続き酒を断ち続けようと思っている。また、2年程前にたばこを辞めた。

しかし、もはや強がりとかそういう領域ではなく、酒とたばこを断ってからの生活が非常に豊かで穏やかなものになっていることを確信している。そのため、我慢とは少し違う感覚だ。つまりこれは禁酒・禁煙ではない。

酒を辞めてからのメリットを一言に集約するのであれば、次のものだ。

「後悔が減った」

実はこれに尽きる。あんなくだらない人の愚痴しか出てこないような非生産的な場に時間を取られずに済んだ、とか、刹那的なものにお金を使わずに済んだ、とか、酔った勢いや判断力が鈍ったために、無用に人を傷つけるような発言をせずに済んだ、とか、・・・取り返しのつかない過ちを犯さずに済んだ・・・とか。数え上げたらキリがない。

思い返せば、酒を呑んだ時、たばこを吸っている時にポジティブな話に花を咲かせた経験が著しく少ないことに気づいた。飲み会では誰かを罵ったり文句を言い合い、誹謗中傷表現の大喜利を肴にし、喫煙所ではこの世の終わりの様な顔をしながらヤニにまみれる。これは恐ろしく不幸なことだと思う。

そもそも私たちが子供の頃、酒やたばこがなくても容易にストレスを発散することができたし、年齢関係なく人と仲良くなれたし、信頼関係を築くことだってできた。酒やたばこを覚える前からの幼馴染や、家族、親戚・・・こういった人たちとの絆は、こんな嗜好品がなくとも揺るぎないものだ。

↑ 私がたばこを辞める際に読んだ「禁煙セラピー」の本にこういったニュアンスの文言が書いてあった。ちなみにこれ。

私たちは、一度覚えてしまった酒やたばこの味の“一口目”を追い求めて日々生きているのだと。つまり、たばこはその顕著な例だが、一番おいしいと感じる一吸目、乾杯の後の一杯目のあの瞬間・・・。この瞬間だけ私たちは充足することができ、その一点を過ぎた瞬間からまた次の一吸目や一口目の快楽を探して頭を壁に叩きつけているようなものなのだと。

勿論これは、飲酒好きや愛煙家の人らを否定するものではない。ほんの2年前までの私も、お酒とたばこを呑むのが好きなタイプだった。

一生懸命働く潤滑油としてヤニを吞み、一生懸命働いた分酒を呑み、稼いだ分酒を呑み、決起だの慰労だのと何かにつけて酒を呑み。とにかくありとあらゆるストレスや歓喜、また多額の財産を尿に変えて、灰を真っ黒に染め上げてきた。

私に限って言えば、恐らくtoo muchな飲酒傾向が原因だと思っているが、いつかの私のように、少々酒にのめり込んでいってしまうタイプの人は一度酒を断ってみると良いと思う。それこそファッションのように気軽に辞めてみたらいいと思う。

常に冷静に飲酒量をコントロールできたり、飲みの場で語気を強めて管をまくようなことがない人であれば・・・翌朝どうやって帰ってきたのかが定かでない人でなければ・・・引き続き嗜好品としての飲酒を楽しんでいただきたい。

私はそのいずれにも該当するタイプだった。家族にも自分の身体にも大いに迷惑をかけてきた。

とはいえおそらくほとんどの人が、こういった酒とたばこの迷信の中で生きているはずではないだろうか。たまには金曜日でも酒を呑まずに、本屋で本を買って帰宅し、読書をしてみるのもいいのではないだろうか。

あるいは、いつもは酔っぱらった時にしか電話をしないような旧友にもシラフの状態で連絡をとってみたらどうだろうか。(それは嫌がられるか・・・)

案外、見えなかった、体験できなかったことが待っているかもしれない。そして何よりもとても優しく、穏やかな時間になることは間違いない。

ということで、今日は8月のプレミアムフライデー。

酔いやニコチンに流されず、後悔のない、実りある金曜日を送っていただきたいものだ。

 プランニング室  いなだ


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