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私は就職ができない09_面接で落とされたらやはり悲しい件

【前回までのあらすじ】
フリーランスから会社員への復帰を目指しながらも本当は就職などしたくないとうそぶきつつ、リクナビエージェントとギークリーの力を借りながら、雑な就職活動を続けていた私は、しかし屁が臭かった

悲しい事実に気がつき、私は悲しくなり、思いのほか悲しくなってしまったのだ。よく知られている通り、人は面接を受けた後に不採用の連絡を受ける生き物だ。百戦錬磨の求職者でもそれなりに高い確率で企業の人事担当者や面接官に否定される。私のように40歳を超えたフリーランサーが数年ぶりに会社員という黄金の職業を獲得するために、生半可な気持ちで採用面接を受けると、ほぼ不採用の憂き目に遭う。そしてそれは悲しい。

就職活動を開始してひと月ほどが経ったが、おおむね敗走を続けている。就職という黄金を手に入れることを目的に活動しているが、しかし自営業というぬるま湯も捨てがたいというどっちつかずの状態を半ば楽しみつつ毎日を生きている。とはいえ、売上が激減しているので、就職するしか生命を維持する手段はないように思っている。

最初に受けた企業は面接官が二人とも二十代だから辞退した。ジェネレーションギャップだ。二社目の企業は面接の翌日に不採用の連絡が届いた。「弊社のマインドと合わない」と言われた。三社目の企業からも同様に「ベンチャーマインドに合わない」と否定された。四社目の面接は明日だがきっと落ちるだろうし、明後日受ける予定の五社目の面接も同じ結末を迎えるはずだ。

これまで就職に対して一定の距離をとって半ば傍観者のような立ち位置で自身の活動を見てきたが、はっきりと言ってしまえば、不採用連絡を受け取ると悲しい。しかし、と思わないではいられないのだ。面接という生の人間同士の会話、やりとりや駆け引きはまったき魂の交換と言えるのではないだろうか。

職業の選択とはすなわち人生の選択である。仕事は人生であり、だから地獄への入り口だ。働くとは非人道的な活動である。そして地獄とは他者のことである。詰まるところ、企業の採用面接での面接官と私のやりとりは地獄に入場するかどうかを地獄に問われている、まさに地獄絵図そのものだ。

地獄になぜ好き好んで入場しないとならないのだろうか。三社目の面接官など、閻魔大王そのものではないか。無表情の顔に空洞のような眼を持つ冷たい男に見えた。一方の私はどうだ。無気力な自営業者だ。地獄の大王もさじを投げたに違いない。しかしどうだろう。このやりとり、私は自営業者で妻と二歳児以外には言葉の交換がない。はっきり言って、地獄だろうと糞尿だろうと鼻くそだろうと、言葉を交わせてうれしかった。

むろん地獄へのジョインは正直な話勘弁してもらいたい。しかし地獄との会話で得られるぬくもりは得がたい。不採用が続いてもいいのだ。私はこれからも面接官との会話をむさぼりながら生きる喜びを感じていきたい。

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