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スナップ写真は筆跡に似ていると思う話。

写真に身に纏う空気の不変さを知る

こんにちは、seinaです。

突然ですが、私が最初に一眼レフを持ったのは15歳の頃です。
あれから随分月日が流れ、年齢を濁したくなるほど大人になり今は30代。
ほどんど撮らない時期もあったけど、いつも頭の片隅には写真の存在がありました。

つい最近、20歳頃にフィルムカメラで撮ったスナップ写真が出てきたので眺めていたのですが、写真の雰囲気が全然変わっていなかったのでその中の1本のフィルムに写っている写真を紹介します。
(私のXを見た事がない方は、こんな写真を撮ってるんだなーと見て頂ければ嬉しいです。)

一生撮り続けると思う、コンクリートと落ち葉
どうやら12月の一コマのようです
植物を半分、空を半分の構図、今もよく撮ってる

20歳といえば写真を始めて5年程経った頃。
ポートレート撮影は向いてなくて、雑貨や食べ物を撮るのに苦手意識があって、スナップ写真が一番楽しい。
と、自分の写真の向き不向きを実感し、ある程度撮るものが定まってきた頃です。
そして自分の写真の下手さに悩んだり、なんで写真を撮ってるんだろう…と随分と足掻いていた時期でもあると記憶しています。

グラデーションが気に入っている1枚
人の少ない住宅街でスナップするのが今も昔もすき
これも一生撮るであろう、壁と植物とその影

その頃より今はカメラもレンズも良いものを使っているし、撮影技術も多少は上達しているのかもしれません。デジタルで撮影しているので色味も違います。
それでも着眼点やシャッターを切りたいと思うタイミング、被写体との距離感、どういう場所を好んで撮るか、などが全然変わっていなくて、これがわたしの癖であり個性なのだと、写真を見返しながら改めて感えさせられました。

レンズは多分28mm
当時はあまりぼかしたくなくて、全体にピントが来てるものが多い
もしかしてアロエが育ったものが上の花なのかな…

スナップ写真はまるで筆跡のよう

筆跡は高校生あたりから癖が根付いて、その後さらに綺麗になることはあってもその人らしい癖はずっと変わらないように思います。
変えようと思っても、簡単には変えられませんよね。
それがなんだかスナップ写真に似ているなって思うのです。
(もしかしたら他の分野の写真にも共通するかもしれませんが、撮ってないのでスナップ写真の話しとします。)

壁を撮る人

写真を撮り始めて数年経つと、色んな人の写真を見たり、似た時期に始めた人の写真が上手で羨ましくなったり、写真に関する言葉を吸収しすぎてわけがわからなくなったり、撮るものがマンネリ化してきたり。
このままでいいのか?もっと違うものを撮った方がいいのでは?と悩む人は多くいると思います。(しかも自分の写真の何が嫌なのかわからないけどなんだか嫌でつまらないという抽象的な事が多い。)

植物を全面入れる写真もすき
写真というか素材みたいでかわいい

でもどう足掻いても筆跡と同様に着眼点をはじめとした癖を変えることは簡単ではありません。私はこうやって昔の写真を今見ると、当時思い悩んでたのはなんだったんだ?と思えるくらい愛しく感じます。そう思えるのは一旦写真と距離を置いて撮らない時間があったからこそで、正に時間が解決してくれたことです。

すごい色の空
データを発掘したので、フィルム名がわかりません

当時の自分に、この先もこんな写真を撮っていくし、それが自分の個性に繋がっているから悲観する必要はないよ、と教えてあげたいくらいですが、悩んで写真と向き合う時間も無駄ではないと思うので、悲観していた事にも意味はあったのでしょう。

1日撮り歩いていたのか、最後の方は日が暮れてきている
フィルムの逆光のふんわり感、デジタルにも転用したい

一通り悩んで、何年も遠ざかったりもしたけど
この2年ほどまた学生の頃のようにたくさん写真を撮っていてとても楽しいです。

すごく光っている地面
とにかく地面と壁が多い

もし今悩んでいる人がいても、人生は長いからちょっとくらい写真と距離を置いてみても大丈夫。簡単に作風が変わることはないけど、趣味なので好きに向き合ったり離れたりしてもいいのだと、そしてそれがきっかけに見えてくるものがきっとあるのだとお伝えしたいです。

今日のお話は以上です。

全然変わってない最近の写真はXからご覧頂けます。

それではまた。

seina

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