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肌が荒れても、私は荒れない

かなしいことがあった翌日は、決まって肌が荒れてしまう。今朝起きてみたら、顔と首と胴と脚と背中と腕と荒れていた。赤くただれて、それでまた、しばし洗面台にて落ち込む。綺麗に洗ったって、赤みは落ちないばかりか、余分な潤いをなくさまいと必死だ。梅雨寒が過ぎても、アレルギー症状はあまり落ち着かずにいて、アレルギーを持つ人と話すたびにスッキリする。ひとりでは抱えきれないこと。一見はたからみれば小さな事のようでも、本人にとっては大事だ。アレルギーに限らず、私たちはなにかしらと日々対峙している。特に今日という日は、曇りの日だったなぁ。

気にせず、いや、気にはしているんだけれども、布地と肌との摩擦をなくしたくって、ノースリーブのワンピースを着る。隠したってしょうがないし、私の会社はアレルギーの当事者だったり、かなり理解がある会社なので、ふつうに心配してくださる先輩などがいたり、特に当たり前だと思う方も多い。それが私は昔から居心地が良い。

肌が荒れていても、気持ちは荒れてるんだけど、私の全てが荒れているわけじゃない。

肌が荒れるとご厄介なのは、それ自体がストレスだということ。だけど、肌は荒れてもこれ以上、私は荒れないぞー!と思うのだ。しっかりと治療にも取り組むし、はやく寝るし、今日もいいことをじっくり思い出して、いやなことは寝ながら薄めていく。そうして、日常を取り戻す。自分のもとへたぐり寄せるのだ。

あっというまの金曜日の夜。しかも日付は過ぎてしまったけれど、ささやかなチャレンジは続けてみたい。さぁ、吉田美奈子を聴いて眠ろう。

おやすみなさい。

明日はいい一日になりますように。