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5月6日 shukuhuku

旅行が楽しかったら「楽しかった」、
飲み会が面白かったら「面白かった」、
読んだ本やブログ記事に感動したら「感動した」と呟くことは、
本質的には「祝福」で、
地元の人も飲み会に同席した友人も本やブログの書き手も、
各々のファンにも、そしてなにより呟いた本人にも、
幸せをもたらす祈りになるよ

完全に底に付くくらいの鬱だった。
合コン行って半端なくウケたあたりから気づいてた。
これは普段の僕ではないなと。
重すぎる心が、感情の起伏のいろんな力点を踏んで、
何をしても楽しくないと、自傷の電流が身体の輪郭を
愛でるように駆け抜けてたなと。
村上春樹風に書くとこうか?
(ノーベル文学賞残念した)

恥ずかしい話、原因は休みに友達と遊べないからだけなのかもしれない。
でも多分そう。
連休に限って半端なく忙しいのは毎度のことなんだけど、
今年はその風圧がなかなか強くて。
毎日イライラしながら、でも体裁整える面構えは崩せなくて。
会社だと人気者なんですよ、私。えぇ。
あと、マジで僕以外みんな彼女と楽しそうに遊んでて、しっかり嫉妬してね。
これかなり成分多め。きち〜
ってか、恥じぃ〜。結局そこかい〜だせぇ〜
完全に底に付くくらいの鬱だった。

僕の友達って、みんな「褒める」。Twitterとかでしこたま「褒める」。
お笑いを「褒める」アイドルを「褒める」ラーメンを「褒める」。
自分の女をすこぶる「褒める」。
「祝福」がとっても上手。
「祝福」は、自分への「祈り」になるのは何度も目にして来た。
褒め上手の友人達は、損得なしに「好き」「面白い」「楽しい」を口にし、
するとその「祝福」を浴びた本人が「祝福」を浴びたと喜びを吐露。
一般人だ芸能人だ物だ飯だ、全部関係なしに、いつの間にか
第三者が見ても分かるくらいの幸せの関係を築いていって、
いつも羨ましいなと「嫉妬」してた。

僕はあまりに「褒めない」。
自分は恵まれていないというか、何度も訪れる挫折に
ほとんど打ち勝ててこれなかった自分の弱さが故、
自分のことがヘドが出るほど嫌いで、
なかなか素直に他人を褒めることができなかった。
褒めるベクトルが来る前に、妬み嫉みの感情がガツンと来ちゃうから。
そのくせ、歳食って、アラサーになって、
現実がマジでリアルに手に肩かけて来たとき、
他人を褒めてる余裕もなくなってたっていうね。
マジ馬鹿。

ただ、この文読んで、自分が嫉み妬みで疲れてるって改めて気づいた。
「こいつ実はうるさいけど、実は本当にいい奴でさ〜」って、
合コンで友達褒め始めたら、女の子たちが妙に食いついてきた時にも気づいた。
間違いなく「祝福」は他人にも自分にも幸せをもたらす祈りになる。
人の幸せな顔に「嫉妬」するのは、やっぱり誰も幸せにしない。
「嫉妬」はただ疲れるだけ。誰も幸せにしない。

子供時代はそんなはずじゃなかったけどね。
いっぱい褒めてもらいたかったし、いっぱい褒めたかったじゃんね。
赤子帰り?だいぶ恥ずいな。
こんな悩みをネットに吐露する、アラサー。
パパとママにはずっと内緒だぜ。


これからはちゃんと「祝福」します。
もちろん損得なししね。
じゃあ、まずは……


こんな何の足しにもならないクソブログを読むあなたは
時間の使い方がとってもお上手です。
素敵です!おめでとう!
でも…………、ホントにありがとね。
感動した?笑


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