追悼、ジャズDJ児山紀芳~最後の生き字引よ安らかに

2019年2月3日、ジャズ評論家の児山紀芳(こやまきよし)さんが亡くなったと伝えられました。
これで、現代ジャズの黄金時代を直接に知るジャズ評論家もジャズDJも、ついに日本からひとりもいなくなった、とすんどめは思います。

ちょっと説明が必要だと思いますが、ジャズの歴史の中で、いわば「ジャズがロックだった」時代がありまして、それはやはり1930年代前後だと言っていいはずなんですね。
ロックの盛り上がりは60年代後半がピークだった、というのと同じように、ジャズが若者の熱狂的な文化として本当に花開いたのはやはり30年代前後であり、特にその頃盛り上がったジャズはスウィング・ジャズと呼ばれるものです。
その後、40年代に入り、ジャズはより良くも悪くもマニアックで芸術的で先鋭的で分かりづらいものになっていきました。
これ以降のジャズをまとめて「モダン・ジャズ」と一般には呼びます。
しかしそのモダン・ジャズにも、やはり黄金期とそれ以外、というのがありまして。
早くは40年代のビバップ・ジャズ時代。チャーリー・パーカーというサックス奏者に代表される時期です。
遅くは60年代のモード・ジャズとかファンキー・ジャズとかの時代。ジョン・コルトレーンというサックス奏者や、ナット・アダレイというコルネット奏者に代表される時期です。
その間に位置するのが50年代のハード・バップとかクール・ジャズとかの時代。アート・ブレイキーというドラムス奏者や、マイルス・デイビスというトランペット奏者らに代表される時期です。
(今あげた人々やジャンルは、それ以外の時期にも活躍したり演奏されたりしていますし、今あげなかった人にも多くの巨人がいますから誤解のなきよう。)
いずれにせよこうした人々の時代が、今では伝説視されているモダン・ジャズ黄金期であり、彼らは今では「神」です。
今回亡くなった児山紀芳さんは、こうした神話の時代からジャズ評論家をやってきた、最後の生き字引だったのです。

たとえばここに、ジョン・コルトレーンというジャズのサックス・プレーヤーがいます。
ジョン・コルトレーンさんはジャズ界のジョン・レノンであり、ブルース・リーであり、尾崎豊です。
すなわち、1967年に夭折した若き天才で、ジャズの演奏を神聖な境地にまで高めた伝説のカリスマです。
現代のあらゆるジャズ・ミュージシャンとジャズ・ファンにとって、彼こそは、神です。
ところが。
児山さんは、このコルトレーンに自らインタビューした経験をお持ちで、そのエピソードを番組の中でごくふつうのこととしてお話しになる。
神に会った人なのです。
しかも、コルトレーンという神は死後になって、ようやく広く正当な評価を得た人だということを考えますと、いかに当時の児山さんが先見の明をお持ちであり、どん欲な取材活動をされていたかが分かろうというものです。
まさに生き字引とは、児山さんのためにあるような言葉でした。
油井正一さん、本多俊夫(モンティー本多)さん、大橋巨泉さんといった「神代からのジャズ評論家」たちが次々と鬼籍に入られ、最後に残ったのは児山さんだけだと、かねがねすんどめは考え、
「今も児山さんが活躍してるなんて、凄い」
むしろそう思っていました。
もちろん、若い世代のジャズ評論家やジャズDJにも、きっとすばらしい能力・取材力の持ち主はたくさんいらっしゃることでしょう。
しかし、そうした人たちならばこそ、みな口をそろえて言うはずです。
コルトレーンにじかに会った児山氏の取材は、いかに貴重な遺産であることか、と。
だって想像してみて下さい。
もしもあのジェームズ・ディーンに直接インタビューしたことのある映画評論家が今いたら、どれだけ貴重な生き証人でしょう。

児山紀芳さんは、すんどめが14歳でジャズを聴き始めたとき、最初に出会ったジャズDJでした。
当時、すでに児山さんは大ベテランの域に達していました。
すんどめが持っているジャズの知識の8割は、電波を通じて児山さんから教わったものです。
児山さんのDJ活動の特長は、とにかく守備範囲の広さにありました。
往年の巨人の名演奏だけに偏るでもなく。
また、ニュー・ディスク情報だけに偏るでもなく。
アメリカの音源に偏ることも、日本の音源に偏ることもありませんでした。
古くは1910年代の、ジャズ黎明期のニューオリンズのジャズから、間近くはリアル・タイムの日本のノイズ系やヒップホップ系とコラボしたジャズまで。
本場アメリカはもちろんこと、フランス、イタリア、デンマーク、カナダ、スイス、ブラジル、インド、そしてアフリカ諸国と、まさに世界じゅうのジャズを紹介してくれました。
有名なものに偏ることも、マイナーなものに偏ることもありませんでした。
ジャズの帝王と呼ばれたマイルス・デイビスの作品から、海上自衛隊の楽団の作品まで、なんでもアリでした。
さらにもう1つの特長として、児山さんはミュージシャンやその作品に、苦言を呈するということがまったくありませんでした。
彼もお若い頃は批判的だったのかどうか知りませんが、少なくともすんどめが彼のDJを聴くようになってからは、批判めいた言葉を彼から一度も聞いたことはありません。
児山さんは、常に誉めます。
誉めることしかしません。
若手の才能に期待をかけ、先人の偉業を讃え、伝統的な音楽性を深く愛するいっぽうで前衛的・革命的な作品の意義に力強く賛同もします。
つまり彼は、公平なのです。
びっくりするくらい公平です。
どんなスタイルのジャズだろうが、決して否定しません。
文字通り、古今東西のあらゆるジャズを(自分が取り上げたものに関しては)みな同じように称賛しました。
これだけでも十二分に尊敬に値するDJなわけですが、彼はその上さらに、解説を必要最低限にして曲をたくさんかけ、またその最低限の解説も、情報の正確さに徹底的にこだわってくれました。
自分の主張を述べる場としてではなく、あくまで音楽が主役の場として、冷酷なまでにストイックに、無駄なく、番組を進めてくれました。

すんどめは高校生のとき、
「ファンキーってどういう意味なのよ! わかんねーーー」
と思って、英語の辞書でfunkyという単語を引いてみました。
するとそこには、ちゃんと意味区分の筆頭に、
「いやなにおいのする」
と書かれてあったのですが、しかしその下のほうに補足としてfunky musicファンキー=ミュージックの項があって、
「Art Blakeyに代表される1950年代のジャズ;その流れをくむ音楽」
と書かれてあったのがあまりにも衝撃的で、本来の意味である「いやなにおいのする」はコロっと見逃してしまいました(大修館『ジーニアス英和辞典』改訂初版)。
アート・ブレイキーは先ほども述べましたように、確かに伝説のジャズ・マンではありますが、まさか英語の辞書に載り、ファンキーという概念の代名詞にまでなる人だったとは!
本当はfunkyの代名詞ではなく、funky musicの代名詞として載っていただけなのですが、なにしろすんどめは驚きのあまり冷静さをすっかり失って、funkyそのものの代名詞としてArt Blakeyが登場しているかのように読んでしまったのです。
あまりのショックに、結局ファンキーの意味がさっぱり分からないまましばらく過ごしていたある日。
すんどめの耳に、ラジオから、児山紀芳さんのトークが聞こえてきました。
「ファンキーというのは、汗臭い体臭、というような意味なんですね」(記憶による引用)
これでようやくファンキーという概念をかなり正確に理解できたすんどめ。
思えばすんどめの人生で、ファンキーの意味を教えてくれた人物は児山紀芳さん以外に1人もいません。

児山さんは、英語がペラペラです。
しかし、すんどめごときがこんなことを言うのは生意気ですが、何と言いますか、恐らく発音は全然上手じゃない人でした。
いわゆるカタカナ英語的、ローマ字的棒読み的発音で、しかし彼はいっこうに臆することなく外人ミュージシャン相手にそれをばんばん使って会話していました。
外人ミュージシャンらも、児山さんの発音に特段困惑するようすもなく、会話はまったく順調に成立しているようすでした。
すんどめが14歳の年から断続的に聞き続けてきた彼の英語は、成長も退化も、一切の変化をしませんでした。
恐らく彼自身、通じるがゆえに完全に確立されたと言えるその英語スキルを、そのまま何の不自由もなく何十年も使い続けたのでしょう。
英語の苦手なすんどめに対し、どんなに発音が悪かろうがコミュニケーションはできるんだということを、身をもって教えてくれたのはまさに児山さんでした。

東日本大震災のときには、児山さんは番組の冒頭、とつぜん泣き崩れました。
犠牲者に対するお悔やみと、生存被災者に対するお見舞いを、いつものように冷静に、きちんとした口調で話そうとするようすが痛いほどわかったのですが、どうしてもそれができなかったのでしょう。
たまらず嗚咽がもれ、言葉を激しく途切れさせた児山さん。
それでも話をなんとか伝えきり、ニューヨーク在住のジャズ・ピアニスト秋吉敏子さんからの深い心配と悲しみのメッセージをも読み切って、彼女の作品をかけたのでした。
ニューヨークをはじめ海外にとてもたくさんいる日本人ジャズ・ミュージシャンからの、震災へのメッセージを日本のラジオで最初に伝えた人物は、きっと児山さんだったのではないかと思います。

カナダの天才ボーカリスト、ニッキー・ヤノフスキーを日本のメディアで最初に紹介したのも、恐らく児山さんです。
ニッキー・ヤノフスキーさんは、今ではすっかりリズム&ブルースやソウル方面のポップな歌手という印象ですが、13歳か14歳で彼女がレコード・デビューをしたときには、ばりばりのジャズ・ボーカリストでした。
児山さんから見れば孫のような少女の歌唱を、
「私はこれを聴いてブッとばされたんですね」(記憶による引用)
虚心坦懐このように評し、未だオリジナル・アルバムを1枚も出していない段階の彼女の天才性をずばりと言い当てました。
そこには、若いからと言ってあなどる姿勢も、ベテラン評論家だからと言ってあぐらをかく姿勢も何もありません。
極めて純粋で公正で誠実な、ジャーナリストの姿勢があるだけでした。
すんどめはそのとき以来ニッキーさんの大ファンになり、彼女の初来日のときには、じかにお会いする幸運にめぐまれました。
未だ彼女がバンクーバー・オリンピックでカナダ国歌を唄い世界中から注目される前のことです。
こんな貴重な体験ができたのも、児山さんのおかげでした。

児山さん、ありがとうございます。
今はそれしか言えません。

参考:NHK―FM『ジャズトゥナイト』『ジャズクラブ』

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