見出し画像

本来の私で生きる〜目醒める前の私〜

中学生の時から海外が好きだった。実際に勉強することは嫌いなのに意欲だけはあり塾に入れてもらったりと、普通に大学受験するつもりだった。しかし高3の中間くらいで考えを変え公募推薦で外国語の大学で英語を学ぶことにした。
高校に入った時からやる気だけは満々で絶対いい大学に行きたいと思い、塾の体験なども自ら行き、母に頼んで塾に入れさせてもらった。
しかし実際通い始めると、縛られるのが嫌いな私にとってはとても窮屈な空間で、部活帰りに行くととても眠くて勉強も苦手なため全然ついていくのがしんどかった。
勉強が好きではないしめんどくさがり屋の自分と、高望みをする自分で常に葛藤していた。
なぜか、勉強ができていい大学に入ったり英語が話せて海外留学などをしているところを想像するとカッコよく見え、そのような人たちに憧れがあった。だから塾に入りたくなったり、英語を話せるようになりたいと思い、学べる環境を整えるところまではいつも行動するが、実際勉強をコツコツするのは嫌いで結局努力ができないため、そんな自分が情けなくて怠ける自分がずっと嫌いだった。

自ら頼んで入れてもらった塾を辞めたくてしょうがなくなりイヤイヤ通っていた。
先生と母と私の三者面談の時は号泣した。泣いている自分が情けなかったけれど、親に迷惑ばかりかける自分や、自分でやろうと決めたことをいつもできない自分に嫌気がさして涙が止まらなかった。やりたいと思ったらやってしまうし、嫌だと思ったらもうできないのが私だった。申し訳ないという気持ちでいっぱいだが、実際の私の行動は迷惑ばかりかけているから親からは責められる。
自分の性格を分かっていなかったと思った。なんであんな判断をしたんだろう。そんな好きでもないのに私ができるわけなかったじゃん。その時はそう思った。
大学も親に相談せずに勝手に決めた。親に相談したり、自分の意見を言うことがとても苦手だったし、怖かったし、どうせ否定される。どうせまたバカなこと言ってと思われる。そんな思いが沢山あって相談して向き合うことをずっと避けてきた。
ダメダメに私だったのにそれでも母は私が行きたいと言った外国語の大学に入れてくれた。

ちょうど高校3年の受験期の時にKPOPアイドルにハマってしまった。
私はそれまで全く興味のなかった韓国にハマり、ずっとアイドルを観るようになった。 大学は英語の学科なのに、次は英語ではなく韓国語をとてもやりたくなってしまった。クラスはとても楽しくて幸せだったが、元々英語が苦手なのに必修の授業が全て英語なのが辛かった。自分で決めて行きたいと思い選んだ大学だが、家から2時間かかるのも実際キツかった。後期になるとサボり癖がついて授業もついていくのが辛くて留年してしまった。

こう振り返ると自分のしてきたことが本当に酷すぎる。

留年したことを当然親に言えなかった。どんな風に怒られるか想像できた。いや、想像以上に怒られることが目に見えて分かった。
ただでさえまた酷いことをしてしまったと、自分の稚拙な考えや行動で留年してしまったことに自分でも今までで1番自分自身を恥じたし、どん底に落ちた。そんな中母に怒られたらメンタルが崩壊し耐えられなくなると分かった。
だから留年したことを親に隠してしまった。



to be continued…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?