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夏の終わりに東京から福岡へ歌いにきた萠珈(モカ)

コロナ前、ゲリラハウスで

新型コロナウイルスが流行る前。
ゲリラハウスというライブハウスで「プレイボール」というイベントが毎週水曜にあっていた。1.2.3.4週とヘッドライナーがいて、対バンがあったり、カラオケで歌う人がいたり。
わりとなんでもありなイベントで、僕もなんどか出演した。

そこで出会ったのが「萠珈(モカ)」。
最初はほんとによくある「大森靖子チルドレン」だと思った。
暗くて尖って弱くて強くて、歪な形で光ってる。
彼女は新しい曲をガンガンかいて、毎週持ってきた。

その曲はアイドル〜ヒップホップ〜歌謡〜童謡までをぐっちゃぐちゃにかき混ぜて灰汁を固めたようなもので、僕はすごく好きだった。

すごいと思った人には自分からアプローチしていくタイプの人間なので(最近はもう、あまりしないけど)彼女と彼女の作品とに影響をうけ、栄養をもらった。


萠珈はスマホの中に飛んでいった

音楽活動とあわせて彼女は「配信」というジャンルへ飛んでいった。世の中は新しいウイルスで分断され、ライブは中止されていくなか、とてもいい転身だったのかも。なんどか僕もみてみたけど、やっぱり「歌」はそこではなかなか再生されることはなく。
彼女はパンデミックの中、東京へ活動場所を移転したので、生で演奏とうたを聞くことがなくなって数年たった。

今回SNSで「福岡でライブ」の告知を見て、仕事のブロックをあっちこっち動かしてみにいった。
3年?それ以上ぶりに。


パンデミックであろうとなかろうと中洲ゲイツには幽霊しかいない。今は観光客がドンキにゾンビのように集まっていた。

一度もオープンしたことのないフロアを超えて「music bar S.O.Ra. Fukuoka」へ。ライブの現場は久しぶり。
何人かに声をかけられて、活動的だった頃の自分を思い出す(笑)


あたらしい歌を、できたての歌を

いや、びっくりした。
なんというか萠珈はニコニコだった。
会場が「温かい視線」につつまれていたせいか、もしくは久しぶりで緊張とリラックスのバランスが壊れたのか(笑)よくしゃべり、よくわらう。

暗闇で青い炎を燃やして、なにかと戦っていたころの萠珈とはちがう。
そうか、いま戦場は「東京」で、ここはホームなんだな。

彼女の曲の「ゆらぎ」に座ってられなくて、途中から立って聞く。踊る。
夜のカーブに合わせてゆれる。
最高の瞬間。

福岡でのライブに向けて作ってきた新曲を聴いた。
まだ、うまれたばかりで肺呼吸にもなってないようなうた。当然おぼつかないところもあり、演奏や歌も落ち着いてない。
でも、「新しい曲をやる」ってのが重要なんだ。
練り込まれてなくても、地に足がついてなくても。
ぼくはそういう萠珈の姿勢が好きだった。

温かい会場、お客さん。
もちろんそれは嬉しいだろうし、本人が作り出した歴史でもある。
でも、その歴史をつづけていくのは「新しい一歩」だ。


東京の夜空にも星があり、地上には数えきれないドラマがあり、それはすべて歌のかけらだ。

あたらしい歌を、またいつか聴いてみたい。
そしてぼくも、ずっと作り続けている。
またいつか、新曲でバチバチに戦ってみたい。


途中、弦が切れてお店のギターでうたう萠珈。木目のギターはレア。


こちらにもたくさん彼女のことを書いているので、興味があればぜひ。彼女の電気が出るならば「福岡時代」は僕が書く
https://mylifeismine.net/?s=%E8%90%A0%E7%8F%88

福岡時代の萠珈

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