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馬出ブローインでのアマチュアミュージシャンの試合(出場だけでなく観覧したり)

毎月一回、レギュラー的に出演して歌を歌っているカフェがある。

音楽に「勝ち負け」はないにしろ、同じ試合(ライブ)に出場する限りはやっぱり「勝った」「負けた」を感じることが多々ある。それはとても楽しい事でもあるのだけれど、キツい時もある。

この日は出場せずに、観覧に行った。
いつも対バン(同じ日のライブに出演する他のミュージシャンのこと)で顔をわせる人たちを「観客」としてみにいく。毎回4組〜のミュージシャンが出演するので時々顔を合わせることになる「知人たち」だ。


それぞれが持ち時間の中で、自分の力を発揮し、自分の世界を表そうとする。
このライブバー「ブローイン・ニューソウル」オリジナル曲だけしか演奏してはいけない。誰かの有名な曲を歌い、それを聞いて楽しむという場所じゃない。
歌というものが便宜上あるだけで、自己主張をし、誰かの主張に耳を傾ける場所である。
「楽しまなけりゃ音楽じゃない」
と言われるけれど、ここで生まれる音楽は「楽しい」のバリエーションが多く、「楽しめない」ものすらある。

出演時にはわからないことがたくさん見える

セッティングをし、歌う。
持ち時間いっぱい。
曲の選曲、構成を考えてみんなやってる。

歌う前の出演者の緊張した顔や、歌い終えた人の安堵と悔しさが入り混じった顔を見る。
ああ、僕もいつもはこんな顔をしてるんだと気づく。

出番まえ、何度も大きく息をしたり、お酒を飲んでリラックスしようとしたり、ウロウロしてしまったり。
出番終わり、解放されて饒舌になったり、自分の出来に満足できず考え込んだり。

自分の直前の人の演奏がとても素晴らしかったりすると、僕はすごく力が入る。そしてうまくいかないことが多い。
グッとくる曲を歌われると、自分の曲がつまらなく思える。
「ああ!この曲、僕が書きたかった」
そう思う事が何度もある。
でも今日は出演者ではないので、すごく俯瞰して見ながら、一つ一つのステージをじっくり見ることができた。

結論から言うと
「それぞれがみんな、違う方向に同等の熱量を持って歌ってる」


政治的なアジテーションもあの子への恋心も、その人の「言葉」で歌われるからイキイキする

音楽は①演奏者②観客③会場の3つが重要なパーツだと思う。
でも、聞き手のことを考えすぎた「サービス業」のような歌やライブがある。
疲れて音楽に癒されたいと思ってる人に静かに染み渡る音楽も絶対に必要だとは思うけど、それと同じく「誰も聞いてくれなくても歌われるべき歌」もある。
どちらもあればいい。
それを観客が選べたらいいな。

僕は聞いている人を元気にしたり、優しく包み込むような歌は作らないけど、僕の言葉で僕の感じた世界を歌う。

この日のアマチュアミュージシャンたちもそれぞれ「自分の言葉」で歌っていた。翻訳機がなくても、勘違いでもそれでいい。
自分はこうだ!と表明することと、他人の主張をしっかりと聞くこと。
そのどちらもが味わえる場所、それがライブバー「ブローイン・ニューソウル」

さて、来月のライブのために曲を書いたり、準備をしたりしよう。


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