さん

考えることがすき。

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最近の記事

未来の俺はなにしてんのかな。

毎回人生の節目節目で、この問いはよく自分の中に沸き上がってくる。 よく、その時の気持ちを書き残して、未来の自分になって読もうと思って書いたりしたけど、読み返したことは結局ほとんどない。そもそもどこにいったか定かではない。 未来の自分は意外と忘れてるらしい。風呂からでたらシャンプー買うの毎回忘れるくらい。 結論、過去の自分に言うなら、悪くねぇよ、と。 過去の俺もわかっているとおりだと思うけど。 運命論はあんまり好きじゃないけれど、理解はできるね。 まぁ、というのも最近また

    • 波みたいな音楽

      土曜日にいった高木正勝さんのライブ。 京セラ美術館のプレオープニングで演奏されてた。 高木正勝さんはおおかみこどもの曲からきっかけでとても好きだったのだけれど、なかなかライブにいけなくて、やっと聞けてとても良かった。 まさか最初のいくライブがこんな形になるとは思ってなかったけど。 次はちゃんとライブにいきたい。 聴いてると、なんだか言葉と景色が浮かんできて、書こうとライブ中に思ってた。 波みたいな音楽って題をつけたけど、これが彼の音楽にふさわしいのかはいまいちまだ納

      • 霧の中の風景

        2、3年前に書いたデータが出てきたので恥ずかしさを乗り越えて供養にということで。  暗闇の中、けたたましい金属音が鳴り響く。 俺は手だけを動かして音の源に平手をくらわした。 うーんとうなって起きる。ベッドから抜け出して、薄明るいカーテンを開け放とうとしたとき、ふと気づいた。俺は涙を流していた。そしてどうしようもないほどの喪失感。またか、と思った。 なぜか俺はたまにこんな朝を迎えることがある。いつのころからなのか定かではないが、もうこれには慣れてしまった。初めのうちはこの理

        • 勝手にいわせてくれ。

          年金がどうのこうの、やれ政権交代だ 若者が選挙行かないから、政府は若者を見ない。 あいつが悪い。いや、そういってるおまえが悪い。 俺が正しい。私が正しい。  お前がまちがってるんだ。   みーーーんな勝手に言ってるだけ。 みーーーんな正しい。ただそれだけ。 最近無性に、議論が虚しく思えてしまう。 ほんとうに、ほんとうに沢山の情報があふれて、もはや「情報」という言葉が一人歩きしてどこかいっちゃったくらいの。 結局みんながいってることは全部同じことで。たまたま見え方が違っ

        未来の俺はなにしてんのかな。

          みんな強すぎんだよ、ちくしょう

          こんなやつが生き残っていくよ!上り詰めていくよ! 頭の回転がはやい  だれとでも仲良くなれる 悩まずにいったん行動してみる とかさ みてるとさ、あぁ、あいつもこいつもこんなとこあるなぁ、 薄々感づいてたけどあいつらのぼっていくんだろうなぁ なんて思うけど。 敗者がいるから勝者がいるんだぜ。なんていうけどさ。 あぁ、つれぇよ。 正論なんていくらでもあるんだからさ。 最近は一周まわって、弱くてなにが悪い。それが個性だ。的なことも言われるけども。 みんなわかってる。

          みんな強すぎんだよ、ちくしょう

          名前をつけて殺す

          adhdって言葉あるじゃないですか。 名前をつけることって残酷だ。 名前をつけるってそれは 「定義」すること。 意味を定める。 それは何かを介してしかまともなコミュニケーションのとれない人間の世界においては、必須のことでしょう。 あれもこれも、見えないものも、感じ取れないものも、人間の世界にあるものは全部名前がついてる。 というよりは名前がついてないなら、それは存在してないのと一緒なのでしょう。だれも、そのことについてコミュニケーション、相対化することができないから。

          名前をつけて殺す

          連続的理解と不連続的理解

          この前、メッセージという映画をみて流れのない映画であることに衝撃を受けてから少しずつ考えていたのですが、今回は、ある理解の仕方、物事のあらわれ方について書きたいと思います。 端的に言うと、流れのない表現、捉え方について、述べたいのです。 きっかけは崎山蒼志という最近話題のシンガーソングライターの曲を聞いていたときのことです。 僕は基本的にあまり、歌詞を意識して音楽を聴かないのですが、珍しく考えてきいてみたところ(なんか崎山蒼志の歌詞は聴いちゃうってのもあるかもですね)ま

          連続的理解と不連続的理解

          なんとも言えない感情、強いて言うなら畏怖なのかもしれない。

          九州に旅行にいっていました。 そんななかの、はなしです。 九州での七日目の朝早くに歩き出して向かったところ。 朝日が差す田んぼの美しさを覚えています。 友人たちと終始笑い転げながら、のんびり歩いて1時間。 風の丘葬斎場。 ここで受けた感情、感じたものは自分の中にしっかりと刻み込まれたようにおもいます。 重い荷物を肩に、片手にカメラを握りしめて回りました。 ひとりで静かに歩きながら回る中で、不思議な気分になっていきました。 葬斎場の奥へとすすみ、火葬場、でしょうか、

          なんとも言えない感情、強いて言うなら畏怖なのかもしれない。

          僕が一番好きなことば、そしてタイムマシンが発明されない理由

          僕が一番好きなことばは、 人が空想できる全ての出来事は起こりうる現実である なんか気づいたときには僕のこころのなかにあったことばで、ずっとすきでした。 最高にワクワクしませんか? 世界でおこってることのすべてを監視できますか? 把握できますか? できないでしょう? 世界は、時間は、同時多発的にいろんなところで進行するんです。 じゃあ、「そんなのありえない」なんて言えないと思うんですよ。 世界の反対側の路地の隅っこの埃の下とかに、話をしてる微生物がいるかもしれな

          僕が一番好きなことば、そしてタイムマシンが発明されない理由