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君に叫ぶ

深夜2時。ベッドで約束の時間まで待っていたらついウトウトしていて、LINEが来た時には予定の時間を少しはみ出していた。急いで上着にジャージを羽織って、サンダルで外に出た。小走りで向かうと、待ち合わせ場所に先輩作家の方と番組スタッフの子がいて。おお、最近どう?こないだはありがとね。もう10月終わっちゃうね急に寒くなったねなんか言って、さっき番組の生放送で起きたばかりのハプニングだったり、なんだったりを話して、ひとしきり3人で笑った。
約束のスーツと沢山の手紙を受け取って、また明日会うかのように、じゃあまたねつってバイバイした。


家に帰って、引っ越し作業のダンボールでごちゃついた部屋の中で、沢山の手紙を読んだ。人生で初めて、こんなにも言葉を貰った。沢山の沢山の言葉と想いを貰って。こんなにも嬉しいのは人生で初めてで、そんな人生にしてくれたのは紛れもなく確かな夜があったからだ。


2020年4月1日。SCHOOL OF LOCK!というラジオの中の学校の、3代目校長になった。16年続く歴史のある偉大なラジオ番組で、平日月〜金曜22〜24時の全国38局ネットの2時間。リスナーは10代の生徒の子達が主役の、そんな学校の校長になった。


話は少し遡って2020年1月。1月の終わりぐらいかな、半年間ほどあった長いオーディションを経て、正式に校長になるってことが決まって、歴史のある偉大な学校の校長になることにとてつもない重圧とプレッシャーがあった。お笑い芸人になって10年目、なんにも実績も知名度もなけりゃ、ラジオも全くやったことのない初めてのズブの素人で、何にもない僕がこんな大役務められんのかよ。今までに感じたことのない不安が何度も何度も押し寄せた。


1週間の5日間をピンの仕事でスケジュール押さえるということは、サンシャインとしてもすごく重大なことで。2人の人生はもちろん、今後の各々の人生にも関わっていく大事な問題で、オーディションを受ける段階から相方のぶきよには相談していたが、受ける際はもちろん、受かって決まってからも僕よりも喜んでくれた。他にもマネージャー白坂さんや、周りの芸人仲間や地元の友達や、何より家族がすごい喜んでくれて。芸人やっての10年、何も実績がなくて全く売れてなくて心配ばかりかけてきたから、こういう偉大な仕事を貰って、やっと大切な人たちに恩返しできると思った。でも本音の本音のとこを言うと、やっとこの世界で生きていける、小さい頃から夢見たこの世界で、ああやっと食っていけるようになったんだなと思った。自分を認めて貰えた。自分はこの世界にいてもいいんだな、と素直に嬉しく思った。


そして3月31日。吉本の直属の大先輩であるグランジ遠山さんが2代目校長を務めており、しかも10年という長い月日。偉大な先代のとーやま校長の退任の日。僕はずっとブースの横で生放送を見学させてもらっていて。その時の電話の生徒の声だったり、生徒に向けてのとーやま校長の想いを聞いて、ああ、すげえところに来ちゃったな。この学校はなんて尊くて美しい場所なんだって。帰り道、よくわかんねえ感情が溢れて、泣きながら歩いて帰った。生半可な気持ちじゃ務まんねえぞ。信じられないほどのプレッシャーが襲ってきて、その瞬間にとんでもないような嬉しい気持ちが溢れ出してきた。よこしまな気持ちなんて一切無くなって、こんなすげえ場所に、あんなすげえ一瞬に生きれるんだなと、涙が止まらなかった。
その帰り道、10代の生徒たちと人生をかけて向き合おうと心に決めた。


そして次の日、2020年4月1日。SCHOOL OF LOCK!の3代目さかた校長として、赴任した。めちゃくちゃ覚えてる。緊張したなぁ。この声が自分じゃないような気がして、全然実感がわかなかった。この声が全国に本当に届いてんのかなぁって。隣で一緒にMCをやるこもり教頭はGENERATIONSの小森さんで、生きてる業種や年も違えば、10代の頃からこの業界で活躍していて、知名度もラジオの経験も僕よりずっとあって、周りのスタッフさんも開校当初からのベテランの方たちばかりで。早く慣れなきゃ、少しでも技術を身につけなきゃという想いでいっぱいだった。そんな気持ちを裏切るかのように、世界はコロナで一変して、次の日には目の前にアクリル板が立ち、2週間後にはリモートでの放送になった。


今よりももっと不確かで解明出来ていない恐怖と不安の中のコロナの世界で、ラジオに慣れるどころか、ベテランスタッフ陣も初めてのリモート放送でてんやわんやで、慣れようにも日々状況が変わる毎日に必死についていくので精一杯だった。


でもそれは10代の生徒たちも一緒で。未だかつてない世界中が一斉に大変なこの時代を、この瞬間を、一緒に過ごした。毎日、毎日。昼3時になったら学校掲示板の生徒たちの書き込みを読み、ああ、今日は学校で、家で、そんなことがあったのか。嬉しいことがあったんやね、悲しいことがあったんやね。生徒の嬉しいことは自分のことのように嬉しく、悲しい悔しいことは自分のことのように胸は苦しかった。夜10時になれば、いつものように挨拶をして。生徒たちと話して、素敵なロックスの先生たちや、ゲスト講師の方たちとも、一緒になって話して。誰かが嬉しいことや、苦しいことがあったら、みんなで笑って泣いて言葉を掛け合って、心を寄せ合った。インターハイが中止になった時、剣道部の高校三年生の生徒が、人生をかけてやってきたことが、その舞台さえ奪われた時、僕は自分の無力さを呪った。「大人たちはきっといい未来が待ってるとか言うけど、僕らは今なんすよ。今が全てなんです」と泣いて伝えてくれた生徒の言葉が今でも強烈に突き刺さってる。
あん時のあいつの言葉に、絶対嘘はつけねえぞ。生半可な気持ちじゃ、この子たちに言葉は届けらんねえぞと思った。あん時、僕は校長になった気がする。生徒が僕を校長にしてくれた。お前がしてくれたんだよ。


毎日の授業は、本当に馬鹿みたいにガハガハ笑う日もめちゃくちゃあって、天使と悪魔になって生徒を誘惑したり、カツラかぶってちくわ加えて日本一雑な禰󠄀豆子のコスプレをしたり、トムクルーズの偽物になったり、放送事故かと思うほど永遠にプーさんのモノマネを生徒とやりあったり、恋バナでキャッキャはしゃいだり、侍すぎるやろ!とちょんまげ姿でツッコみまくったり、ダイエットに失敗にして金髪になったり、セロリLOCS!つってセロリかじった音聞かせて実家の母ちゃんがRNちゃーちゃとか言って出てきたり。ニガミ17才さんとみんなと曲作って、ファーストテイクで生歌披露してめちゃくちゃダメ出しされたり。なんだよそれ、わけわかんねえよ。思い出して振り返っても意味不明に盛り上がった授業や、次の日には忘れちゃうような馬鹿みたいに笑った夜が何度も何度もあった。


そんな中でも生徒の君たちに上手いアドバイスや気持ちに寄り添うことも上手く出来なくて、怒られてばかりで、自信をなくして、どうしようもない夜、心が壊れそうな夜も何度も何度もあった。
そんな時力をくれたのは君たちだ。ここで君たちと笑って、泣いて、笑って。僕は力を与えるはずが、もらってばかりだった。


その度に、いつも思ってたよ、最高や君たちは。最高に面白くて、優しくて強くて、やさしすぎるが故に自分を傷つけてしまう子も沢山いて。それでも小さな小さな勇気を振り絞って、前に一歩踏み出している。本当に本当に、尊敬してる。素晴らしい生徒たちばかりだ。


一年の350日以上は早起きの農家の母ちゃんも、放送を毎日聴いてくれていて、いつも感想だったりをLINEでくれて、僕以上に生徒たちを愛してくれていた。地元でもセロリの名産地のせいか、福岡でセロリ農家で坂田さん家で調べたら1発でわかるぐるい、実家もモロバレしているから。普通に福岡の実家にリスナーの生徒が訪れた時も、家に招いて絶対バレたくない僕の子どもの時の話をしたり、企画で生徒の家にセロリを送ってくれたりもして、喜んでみんなに接してくれていたのが恥ずかしくも嬉しかった。ばあちゃんも放送を聴いてくれていて、死んだじいちゃんも聴いてくれよるからね!頑張らやんよ!!とずっと応援してくれていた。


そんなばあちゃんも急に身体を悪くして今年の3月に亡くなった。このご時世で中々帰ることが出来ず、テレビ電話でたまに話すことは出来ていたけど、悲しくてしょうがなかった。ギリギリ仕事の合間に弾丸でお通夜と葬式には参加出来て、その時急遽、孫代表でばあちゃんに式でお別れの挨拶を言うことになった。急遽で髪も染めれずに金髪のままで、手紙を書く時間もなく、その場で即興で挨拶することになった。上手く言えたかなぁ。なんとか自分なりに話せた気はしたけど、どうだったんだろうな。


そっから2週間後にあった、ラジオの生徒たちの為の卒業式。マイジェネレーションという企画。LiSAさんと全国で選ばれた生徒たちが合唱をし、オンラインで卒業式を行う。僕が就任してからの初めての生徒たちと会って触れ合えた最初で最後のイベント。会えて話せて一緒に笑って泣いて、めちゃくちゃ嬉しかった。合間にたわいもない、鬼滅じゃ誰が好き?じゃあ進撃の巨人は?とか漫画の話ばかりした気がする。
すげえ嬉しかったよ。その卒業式のイベントの節目節目で、電話で話した生徒たちに向けて一人一人、その生徒だけの卒業証書を贈ることになった。白紙の卒業証書に、即興で想いを載せて。生放送で、生徒にとっては人生で一度きりの卒業式で、人生の節目に、ふさわしい言葉を贈れるだろうか。不安だったけど、いざ想いを伝えはじめると、スラスラと淀みなく想いを伝えることが出来た。卒業する生徒が素晴らしいのはもちろん、確かに過ごした日々があったのだと、届けたい想いが確かにあったと、僕は嬉しくてしょうがなかった。そんできっとあん時のばあちゃんに贈った時みたいに、生徒の君が自分の中じゃ家族のような大切な存在になってたんだなと、改めて思えた。なんかばあちゃんのしっかり伝えろよ、みたいな力も貰った気がして、全部ひっくるめてずっと嬉しかったなぁ。


4月になり、2年目を迎え、色んなロックスの講師陣の先生たちの卒業や新任の入れ替わりがあったり、新しくガールズロックスが復活したりと、目まぐるしく新学期がはじまった。ようやく校長に慣れはじめてきて、こっからまた頑張ろうと言う矢先、7月には正式に9月末での退任が決まった。


悔しくて不甲斐なくて申し訳なかった。志半ばの、中途半端なこの時期の退任を、生徒にずっと居るからなと言ってきて、申し訳なくてたまらなかった。


この一年半、コロナで色んなものが奪われて、日々の生活も、そして去年のインターハイも、今年だってそうだ。生徒の君たちが夢中になっているものが、大好きなものが、人生をかけて戦っていたものが、奪われている。君たちの悔しさやもどかしさは、痛いほどに、痛いほどに分かる。
そんな中のキングオブコント。10代の頃から憧れた世界の、今もなお追っている夢の舞台。僕は運良く戦える場所があって、今年も戦えることが出来たから、君たちの、君たちの想いを背負って絶対に結果を出そうと思った。9月末までしかいられないのなら、その先でも力になるような、希望になるような。夢は叶うぞっていうところを見せたかった。


結果は出なかった。なんなら、決勝どころか、準決勝すら行けなかった。なんて無力だと、なんだ自分はと、情けなくて悔しくて悔しくて絶望した。心が壊れそうになった。
その日の生放送を終えたら、途端に気持ちが切れてしまって、信じられなくて、家に帰れずに泣きながらずっと夜の街を歩いた。信号待ちしていると、2人の女性が声をかけてくれた。


「ラジオ聴いていつも笑わせてもらってます」


あまりにも突然で、街で声をかけられることも滅多に無いから、めちゃくちゃに泣いていたから、びっくりしすぎてすいませんすいません、ありがとうございます、すいません。と、首にかけたタオルで涙と鼻水拭いて謝った。真夜中の泣きじゃくってる金髪のおじさんに怖がらずに、声をかけてくれた勇気にまずは乾杯。おかげで助けられた。ありがとう。他にも掲示板や、SNSの返信だったり、DMだったりでも、沢山の声を届けくれて。助けられてばかりだ。

そして9月7日、退任発表の日。ずっと何を言うか迷っていて、それでも取り繕った綺麗事や嘘は絶対につきたくねえ、でも、それでもそれでもって、葛藤があって。
僕はあの日人生をかけて命懸けで話した。きっと傷つけてしまうなと思ったけど、力不足だと、申し訳ねえと言った。これは本当の本当の心からの気持ちで、そう言った。そしたら生徒のみんなからめちゃくちゃ怒られた。掲示板や電話で、DMやら手紙で。めっちゃくちゃ怒られた。
ふざけんな、謝るんじゃねえ。力不足なわけねえだろ!校長あんたからこんなに力を貰ったぞ!って。謝ることなんか一個もねえよ!泣くな、笑ってくれ!!って。


怒られて嬉しかったのなんて人生でもこの時が初めてだ。そっから僕はぜってえ謝んねえぞって決めた。絶対謝まんねえ、その代わり最後の3週間全力で一緒に笑うぞって。


そっからの3週間、毎日全力で一緒に2時間駆け抜けた。めちゃくちゃ楽しく笑って過ごした。それでも最後の週の4日間はもう感情がぐちゃぐちゃでラジオ以外のところでずっと泣いていた。悲しいとか寂しいとかそんなんだけじゃなくてなんの涙かはもうわからない涙がずっと溢れてた。


9月30日。登校最終日、最後の日。いつものように半蔵門駅から下りて局へ向かう道のり。1人の男の子から声をかけられた。


「もしかしてさかた校長ですか?」


道で声かけられるのなんて職質意外に慣れてないもんだから、またしても動揺したけど、


「おお、そうだけど。ええ?生徒か??」

「はい、金髪なんですぐわかりました!!」


こん時ほど金髪で良かったと思った日はない。あの時ダイエット失敗してて良かった。ラジオネームは何かと聞いたら、ラジオネームは無い。親が厳しくて、掲示板への書き込みやTwitterなどのSNSもやってない。それでもずっとラジオを聴いてくれていて、校長最後の日いても立ってもいられなくて、親に内緒で家を飛び出してきたと。でも心配するだろうから、兄ちゃんだけには言ってきたって。もう、やめてくれ。ずっと我慢して、笑って今日は過ごすんだと決意して家を出たのに、局に着く前にもうダメだった。年齢を聞いたら、中3で。夜遅くて危ないぞ、1人で帰れるか?大丈夫か?と聞いたら、


「大丈夫です!最近めっちゃ背が伸びたんで」


僕よりも全然小さい背で、そう笑って話す生徒にもうダメだった。最高だおまえは。泣いて抱きしめてしまった。このご時世に良くないかもしれないけど、うわぁ〜と照れ臭そうにする生徒に、みんなに出来なかった分、強く抱きしめた。


最後頑張ってください!しっかり聴きます!!と手紙をくれた。お礼に、ネタ帳やぶってサイン書いたやつを渡して、ラジオやテレビのメディアの仕事に将来就きたいって言うから、絶対一緒に仕事しようなって握手して見送った。


福岡の田舎町で、真っ暗な帰り道、どうしようもない10代の夜を救ってくれたラジオからのお笑いに音楽に。親に内緒で家飛び出したくなる夢中に。あの時憧れたヒーローに。なれた気がした。またしても、ならせてくれた。無敵な気持ちで最後の生放送に向かった。


最後の2時間。初めて逆電する兄弟でいつも聴いてくれてる生徒、しんどい夜を乗り越えて強く生きてくれている生徒、大きな夢を語ってくれた生徒、めちゃくちゃ大好きだと照れるほどに伝えてくれる生徒、あの日俺を校長にさせてくれた生徒。電話以外にも沢山のFAXや、掲示板への言葉が、想いがしっかりと届いた。もうずっと人生で1番感情が溢れた。もう嬉しくて嬉しくて寂しくてどうにもならなかったなぁ。


最後の黒板は、10代の生徒に向けて、ありったけの想いを込めて叫んだ。最後に銀杏BOYZの「BABY BABY」が流れる。永遠に生きられるだろうか。永遠に君のために。


いつものように、また明日!最後はこの挨拶で叫んだ。終わりでこもり教頭と握手した。僕ら2人しか分からん感情や夜やもがきや想いや全部があん時一瞬であの掌の中に詰まってたと思う。


最後の放送が終わって、ブースの外に出たら沢山の職員の皆さんや関わってくれた沢山の方々が拍手で出迎えてくれた。人生100年分のエネルギーを使ったぐらいになってて、ホッとしたのかとにかく内臓全部が爆発しそうなぐらい痛かったから、内臓が内臓が、、、と職員みんなへの最後の挨拶はカッコよく出来ずにヘンテコな形で終わってしまった。それでも皆の顔を見たら確かな日々を一緒に過ごしてきたんだということを実感した。


退任してから3週間。なんだかまだ夢の中にいたような気がして、フワフワしている。それでも新しい日々ははじまっていて、来年のキングオブコント優勝に向けて365本新ネタ作って挑むと決めてから毎日は忙しなく、生徒からの手紙や言葉を思い出しては気合いいれて日々をもがいている。みんなに負けないようにと、気合いだけはバチバチに入ってる。これを書いてたらすっかり夜は明けて、窓から太陽が差し込んでる。昨日の雨が嘘みたいだ。やるしかねえよな。

改めて一年半。長い人生の中で一瞬のような時間かもしれないけれど、僕からしたら永遠のような時間で。紛れもなく、青春だった。君と永遠のような一瞬を何度も何度も重ねて、ピッカピカの青春を過ごさせてもらった。本当にどうもありがとう。


もう謝んねえつったけど、最後に一回だけ。力不足とか言って、ごめん。力あったわ!そうだよな、お前らに失礼やったな。俺は最高やった。最高の校長やった。それは最高の生徒、最高の君がおったからや。こんなふうに思えたのは君らのおかげだ。この恩は一生忘れんからな。


めっちゃくちゃ頑張るから。俺、死にものぐるいで頑張る。どんな形であれ、君たちに会えるために、次会った時に胸張って会えるように、俺めちゃくちゃ頑張るぞ。そんでどんな世界だとしても関係ねえ、めいっぱい君を抱きしめさせてくれ。


あとこれだけは言わせてくれ!


お前ら優しすぎるからな、自分よりも人のことを考えてしまうからな、これだけは言っとくぞ。
辛かったり、しんどかったから、助けてって言え!何度だって助けてもらえ!この学校は助けてくれる、言葉を想いをくれる仲間が沢山いる。何の気遣いもいらねえ。迷わず助けて!って叫べ。なんもかっこ悪くねぇぞ。


そんで、回復して大丈夫になったら君が今度は助けるんだ。約束してくれ。俺たちはそうやって生きていくんだ。


でっけえ声で、君に叫ぶ。ありったけの想いと愛を込めて、最後に、君に叫ぶ。


君は俺の自慢の生徒だ。
何も心配いらねえぞ。絶対大丈夫だ。胸を張れ。俺たちは、笑って生きていくぞ!!!


読んでいただきありがとうございます。読んで少しでもサポートしていただける気持ちになったら幸いです。サポートは全部、お笑いに注ぎ込みます。いつもありがとうございます。言葉、全部、力になります。心臓が燃えています。今夜も走れそうです。