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この高鳴りを僕は青春と呼ぶ 1章

1 スーパーヒーローになりたい


僕が生まれたのは、九州は福岡県の、外れも外れにある山近くの、これでもかという自然に囲まれた田舎町。見渡す景色のほとんどがビニールハウスと田んぼと農作業着姿の大人達。もちろん、そんな町の名産は農作物。セロリとナスビ。

ナスビ農家はなんとなく皆イメージしやすいだろうが、セロリ農家なんて珍しさの極み。なんせ子どもの嫌いな野菜ランキング堂々一位に君臨し続ける、ザ・大人の野菜。今でこそ僕はめちゃくちゃセロリ好きだけど、子どもの時は苦手だったもんな。


そんな町の名産、セロリ農家の男三人兄弟の真ん中、次男坊として僕は生まれた。人見知りでおとなしく、全く泣くこともなかった僕は、兄弟の中でずば抜けて手がかからない子だったそうだ。母親に聞くと、一人で歩けるようになったら、横で寝る両親を起こさず、二階の寝室から一階のトイレまで一人で起きて行っていた。なんて子どもだ。しかし、怖いのは怖かったはず。なぜなら階段からトイレまでの廊下に並ぶガラスケースになぜか、じいちゃんの趣味かばあちゃんの趣味かわからないが、日本人形が並んでいて、昼でも異様に怖かったからだ。そこを通ってじゃないとトイレに行けないが、それでも一人で行ってたのは、子どもながらに寝てる両親を起こすのが申し訳ないと思っていたからだ。優しいとかではなく、誰に対しても異常に気を遣っていた幼少期だった記憶がある。


近所にはビニールハウスと田んぼ以外何もなく、最寄りのコンビニは川を渡った隣町で、車で15分。お菓子や生活用品を売っているこの辺りで唯一のタバコ屋さんは夜6時には閉まるし、レジは無くておじちゃんがそろばんで計算してた。そんな時間が止まったような、娯楽も何もない町で、僕の唯一の楽しみはお笑い番組だった。


小学校から家に帰ると、真っ先に新聞のテレビ欄に飛びついて、マーカーを引いた。面白そうな番組は全部チェックして、録れるだけの番組をビデオに録って、一番観たいやつを生で観た。一番好きだった芸人さんはナインティナインの岡村隆史。岡村さんは僕が芸人を目指したきっかけ。僕の人生に光を与え、そして素晴らしく狂わせてくれた、僕のスーパーヒーロー。
『めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!)』『ぐるナイ(ぐるぐるナインティナイン)』をはじめ、『ASAYAN』、『ジャングルTV』、『ナイナイサイズ!』、いろんな番組をかじりついて夢中で観てた。面白くてかっこよくて、そして面白くて。なんなんだこれ。なんなんだよと。番組を観てる時は嫌なこともなにもかも忘れて、ただただお腹を抱えて笑って。こんなに素晴らしい世界があるのかと。僕はすっかりお笑いに夢中になっていた。


たくさんお笑い番組を観ていたにもかかわらず、岡村さんにだけ特別に夢中になったのには理由がある。


『めちゃイケ』の一番好きな企画コーナーに、岡村さんの「オファーシリーズ」というのがあった。内容は岡村さんがいろんなことに挑戦する様子をドキュメンタリータッチで放送するもので、SMAPやEXILEのコンサートにダンサーとして挑戦したり、新春かくし芸での中国ゴマや、ムツゴロウさんとの競馬対決、ほかにもフルマラソン挑戦、具志堅用高とボクシング対決、横峯さくらとゴルフ対決、杉山愛とテニス対決など、数々の困難なミッションに挑戦してきた。


中でも一番印象に残っているのは、劇団四季の『ライオンキング』に挑戦した回だ。岡村さんは全くのミュージカル未経験者なのに、ガゼル、草、ハイエナ、シンガーの四役をこなし、ライオンキングの中でも最難関のハイエナダンスを、何度も失敗しながらも諦めず死にもの狂いで練習し、最後には本番で見事に成功させた。それだけでもすごいのに、それに加え大爆笑もとっていて。小学生の僕は度肝を抜かれた。圧倒的な努力と精神力で達成していく岡村さんが、とてもストイックでかっこよく、そして笑えて面白くて、なんてすごいんだ、なんて面白くてかっこいいんだこの人は、と僕は他のお笑い芸人とは違う、特別な感情を抱いた。 


テレビで観る芸人さんは皆、普段から明るく面白くてポジティブでふざけてばかりの楽しい毎日だと思っていた。でも岡村さんは違った。テレビや雑誌で得た情報では、プライベートの岡村さんはそんな芸人のイメージとは真逆の極度の人見知りで、女性が苦手で、しかも根暗で大真面目な性格ということだった。これには驚き、そして強烈な親近感を覚えた。


僕も極度の人見知りで、人前でふざけたりするのはもちろん、家族の前でも恥ずかしくて少しもおどけたりすることができなかった。親戚の集まりでも、ずっと母親の後ろについて隠れていた。だから、そんな岡村さんが爆笑をとっている姿を見て、子どもながらに、僕も頑張ったらあんなふうになれるんじゃないか、あんなふうに皆の前で笑いをとれるんじゃないかと思ったのだ。ずっとこんな自分の性格が嫌いだった僕が、その時どれだけ希望を持てたか。芸人は、笑わせるということに、これだけの覚悟と信念と、努力を以て臨んでいるのか。子どもながらにしびれて、その姿は強烈に心を掴んで離さなかった。僕はこの人になりたいと思った。 


普段は大人しく人見知りで暗い真面目な僕が、取り憑かれたように真逆のお笑い番組にすがるさまは、父親にも異様に映ったのだろう。新聞を隠されたりもしたし、テレビを禁止されたこともあった。だがそれにも僕はめげなかった。父親の言うことなど聞かずに毎日お笑い番組を観続け、しかもビデオにも録っていた。もちろん毎日そんなことをしていたら、それこそテープが追いつかなくて、お小遣いを貰ったらすぐさまビデオテープを買っていた。兄ちゃんや弟が誕生日プレゼントにゲームやプラモデルをねだる中、ビデオテープ10本セットをお願いした僕に、親は引いてたかもしんないな。


これは今でも内緒にしてるんだけど、一度だけ、取り返しのつかないことをしてしまったことがある。


その日は土曜日。待ちに待った、『めちゃイケ』の日。その日の『めちゃイケ』は通常回と違い2時間半スペシャルで、「めちゃ日本女子プロレス」が放送される予定だった。「めちゃ日本女子プロレス」は、めちゃイケメンバーが女子プロレスラーとガチンコで対決するという人気コーナーで、僕も大好きで毎回楽しみにしていた。さあ、もうすぐ放送時間だとわくわくして、録画しようとビデオテープを用意しようとしたら…… 無い。新品のテープがどこにも無い。


しまった。てっきり予備の新品がまだあるものだと勘違いしていた。迫りくる放送時間。テープを買いに行こうにも最寄りのコンビニまで車で片道15分。間に合うわけがない。他のテープに上書き録画するしかないと、急いで今まで録り溜めしたテープを観なおしたが、全部自分が好きな回やスペシャルばかりでどうしても消せない。


あと数分で『めちゃイケ』が始まる。パニックになり、半狂乱でテープが無いか家中を探した。そして僕は見つけた。たまたま家を留守にしていた両親の部屋で。母ちゃんが借りていた、いとこの姉ちゃんが応援団のチアリーダーをした高校の体育祭のビデオテープ。テープには上から録画できないようにツメが折られている。このままだと録画をすることはできない。万事休す。でも僕は知っていた。折られたツメの上にセロハンテープを貼れば、上書き録画できる裏技を。


僕は悪魔に魂を売った。「永久保存版」と姉ちゃんが書いたラベルのテープには、体育祭で輝くチアリーダーの女子高生はいない。代わりに、おじさんだらけの「めちゃ日本女子プロレス」が収まっている。


どうかしてる。人の大切な思い出を消してまで、録画するなんて。しかもさらにやばいのは、僕はその番組をリアルタイムでも観ていたことだ。ただ当時の僕は、何回も擦り切れるほど観たいから、録画できないなんて死活問題だった。背に腹は代えられず、やってしまった。


あの当時、僕は自分が取り返しのつかないことをしたという自責の念で胸が張り裂けそうだったが、それを上回る「めちゃイケ愛」がそこにあった。死ぬまでにちゃんと懺悔したいのこと。ごめんよ、えり姉ちゃん。今の僕があるのはえり姉ちゃんのおかげかもしんない。

読んでいただきありがとうございます。読んで少しでもサポートしていただける気持ちになったら幸いです。サポートは全部、お笑いに注ぎ込みます。いつもありがとうございます。言葉、全部、力になります。心臓が燃えています。今夜も走れそうです。