聖書とは「聖書物語」ではないのかと

中国の歴史「三国志」には「三国志演義」もあり
日本でも「古事記」や「日本書紀」もあります。

聖書も 宗教マフィアの都合組織にとって都合よく編集や脚色が入ってるのではないかと思う。
言わば「聖書物語」

翻訳者も読む人の興味関心を引くために誇張表現したのではないかと。

YouTube動画でもやらせや仕込みステルスマーケティングやってるように。

「復活」に関しても私は深手を負ったイエスが意識を失って、磔台から降ろされたと妄想しています。
医者が聴診器当てて「心肺停止!」といった訳では無いですね。

どの時点で弟子が気付いたかは定かではないですが、墓所について三々五々皆が帰っていく中意識不明だったイエスがかすかに呼吸し始めたのをその場にいた数人が気付いて、信頼於ける家庭に連れて行って介護してもらった可能性が高いと私は思う。
安息日もあり他の誰にも気取られることなく3日後には歩けるようになったのではないかと。
知らなかった弟子や群衆は奇跡だと大騒ぎしても、知ってる弟子や介護関係者は他言しません。

生き返る話は耳にする。
【葬式準備のさなかに棺桶からおじいさんが出てきて「あんたら何してるん」と、お互いに驚愕したという】
中学校の教頭先生の近所であった話を教頭先生から聞いたことがあるね。

「聖書物語」話自体は面白いですが、それを利用して人々を誘導するよう仕向けてる組織の存在を感じます。

その組織の人たちが「愛と祝福」「自由と平和」「寛容と許し」「汝の敵を愛せよ」で生きてるかと言われれば真逆ではないかな。

イエス様もお釈迦様も自分のための持ち物は最低限しかお持ちにならなかったのではないか?

その遺志を継ぐと自称してるほとんどの団体のありよう見れば
彼らの言うことの虚実は明らかではないかな。

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