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Short story_奏

香料原料_クラリセージ

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バッハの無伴奏チェロ組曲。
コントラバスがソロで奏でる。
拡がる袖から出た腕が楽器を抱く。薄い羽織が風を孕むと光を賺して空気の動きを可視化する。
祖母の越後上布を仕立て直して着た羽織。

違和感があるのは、楽器の前に並べられた、会議室用のテーブルと臨時に並べられたパイプ椅子。
開かれたドアからはスーツ姿の外国人を含む男性が数人ずつ現れ、銘々にパイプ椅子に腰を下ろし、演奏を聞き始める。

自分よりも齢のいかない女性を値踏みする幾つもの視線。
::こんな会議室で、役員連中に囲まれては緊張しているだろう。
::三谷玲子、か。知らないな。
::リラックスして演奏してほしいが、大丈夫だろうか。
::著名でもない演奏家が、我々にどんな演奏を聴かせると言うのか。
::自分だけはここにいる他の男とは違う、芸術の価値の解る人間だ。
::思っていたよりも若いな。あとで一緒に写真でも撮っておこう。
::音楽なんかやっていて生計を立てていけるのか、独身なのだろうか。
::一体どういう暮らしをしているのだろう。
誰一人として口を開かぬ場にあって、饒舌な心の声が溢れている。
予め知らされていた人数が全員集まったのを見計らい、何の私はそのまま続いて、メインの曲の演奏を始める。
紹介も解説も、語る言葉は一切必要はない。
この曲には題名も無いのだから。
私は唯、此の場所で奏でるのみ。聞かせることができればよい。
初めは軽快に聞こえていたリズムが、ゆったりとした大河の流れのような太い動きに変わる。深く低い音が響く。
曲の緊張が増せば、スーツ姿の男性たちも無意識に呼吸を躊躇う。
緊張を解放すると、安堵感が部屋に満ちる。
それを繰り返していると、ここに集まった全員の流れが掴めた。
その曲のリズムは自然と体の動きを呼び起こす。動きとは内部の流れのこと。

この曲はクラシックでもコンテンポラリーでもなく、何処の国の音楽でもない。それはかつて旅するものの唄だった。
文明と文明を繋いだ旅人の通る道で奏でられた音楽。
その調べは初めて聞くものでありながら、一度耳に入れると忘れられないものになる。
それぞれの土地に固有の楽器が奏でてきたもの。
この低音の弦楽器、コントラバスのために編曲して奏でる。
空気を震わせる音は皮膚では止まることなく、直接体幹にまで沁み込むように届く。
人の喉よりも奥の、胸に詰まっている黒い塊。
会議室を埋めているスーツ姿の男達にも、流れができた今ならばそれが感じられるはずだ。
その凝り固まった塊を流し、喉の詰まりを取り除くように、弦を弾く。
身体の筋肉が自然に揺れる。
次第に集まった者たちの身体や呼吸が音に同調し、その位相が揃う。
音楽が滞った時の流れを促す。

役員ランチミーティングの後のコーヒータイムの余興のライトコンサートとは名ばかりの、私に要求されたのは演奏という形の、祓いと祈祷。
この会社組織の中で淀みいつしか澱となって固まってしまった、流れるべき時の流れを、取り戻す。
この演奏の真の目的を聴客は誰も知りはしない。
私を召喚した一人の役員を除いて。

皆が去った会議室で楽器を片付け、暫く窓の外を眺めていた。
白いランドマークタワーを臨む高層ビルの上階。
海や街を見下ろす窓の外は灼熱の日光と底無しの夏空のブルー。
遠くにはグレーのスモッグに覆われた都心がある。
この場所は現実感は薄い。
ここにある限り、この会社の時の流れはいずれまた淀むのかもしれない。
ひとり、部屋に残っていた男性が近づく。
「今日は無理を聞いてもらって、こんなところにまできて演奏していただき、どうもありがとうございました。素晴らしかった。いつも使っているこの会議室が、今日だけは別の場所のようで、空気が変わったのを確かに感じました。」
私を役員会議室に呼んだ常務の浅田という男。
浅田が務めているこの製薬会社は外資系製薬会社による買収合併の後、この新しいビルに本社を移転した。
旧来の経営の全てが再構築され合理化されるはずであった。
しかし、実際には決断階層から生産の現場に至るまで、合併、本社移転後、何もかもがうまくいかずに不毛のまま1年が経過し、経営は混乱していた。
社内各部所でこれまで進んでいたプロジェクトの幾つもが頓挫した。
これまで同じ流れの中に在った社員のシナジーが、水と油が分離するようにばらばらになって、そして互いを打ち消すように消失したという。
結果的に、巨額の資金投資が水の泡となりつつあった。株価は下げ止まらず、コンプライアンスは幾つもの内部訴訟を抱え窒息寸前の状態に陥った。
この場所では流れるべき時間の流れが淀んでいる、そう語った浅田の言う通りであることを、演奏をしていた私も感じていた。

コントラバスのケースを閉じた。
「楽器を運ぶのを手伝いますよ。」
「いいえ、大丈夫です。」
「そうですか。それではせめて、駐車場まで送らせてください。」
浅田は私の背丈と変わらぬ大きさの楽器ケースに伸ばした手を収めて言った。
少し白い毛の混ざった髪は短く清潔に整えられている。仕立ての良いグレーのスーツ。
こんな姿の彼を見たのは初めてだった。
この人は、いつもはこういう顔をして社会の中に居る人なんだ。
以前よりも顔色が良くなっている。よかった。
「少しでも、何かが良くなればいいですね。」
「すぐに変われるかはわかりませんが、私に起きた出来事が、奇跡などではない本当の出来事だったことを、もう一度確かめてみたいとも、思ったんです。間違いは無かったと思います。」


私の演奏技術は音楽大学を出たと言っても、学校のブラスバンドの顧問や、音楽教室の講師程度でしかない。コンクールで勝ち抜きながら演奏だけで身を立てる演奏家を目指すようなことは無かった。
大学を卒業した後には、ピアノを含む弦楽器の幾つかを手放した。
ただひとつ、今はコントラバスが手元に残る。
自分のためだけに家で演奏する楽器として置いている。
これはヴィオラ・ダ・ガンバと呼ばれる16世紀頃の楽器の形を再現したという特別なコントラバス。祖父の手で造られたものだ。
ピアノの調律師をしていた祖父は、傍らで弦楽器の制作もしていた。高齢になり調律師を辞めた後も、楽器制作だけは続けていた。
その楽器の大きさもあって、私自身は部屋の外に持ち出して演奏することは想定していなかった。
毎日昼前になると自然とその楽器に手が伸び、音色を確かめるだけのために弦を弾いていた。
その楽器が発する音の振動に身体を預けているだけでよかった。
音域はコントラバスと変わりがないのだが、暫く演奏していると他の楽器とは全く違うことが分かる。体の奥深くまで届く響きが心地よい。
私は技術的にもどんな曲でも演奏できるわけではなく、限られた曲を延々練習しては、繰り返し弾き続けるのが好きだった。だから誰とも組まない、いつも独奏のための編曲をして、ひとりで弾いていた。
仕事は、録音エンジニアの友人の手伝いで、スタジオ録音のストリングスアレンジに呼ばれることはあるのだが、私自身は演奏には参加しない。

半年前、梅雨に入ったばかりの蒸し暑い或る雨の日、庭に向いた窓を開けたままに楽器を抱きバッハの練習曲を弾いていた。バッハの曲はピアノの練習をストリングス用のアレンジに変えたり、オーケストラ演奏曲のパートでも好きでよく演奏する。
ドビュッシーのピアノ曲も低音の流れにアレンジし練習曲にしていた。
弦の音が雨音に混ざり街の喧噪に溶けるような、テンポの遅い弓運び。
庭にはトケイソウが茂る生垣に雨の滴が落ちていた。その向こう側の狭い道路。
そこに人の気配を感じる。
時々、楽器の音に足を止める人はいるが、近所の顔見知りや、いつもここを通る郵便や配送の人の馴染みの気安さが感じられない。
曲を終えたので弦を置き、グラスの水を飲んだ。
毒々しいトケイソウの花が揺れ、その向こうの人の影は消えた。

明くる日、同じように練習曲を弾いていると再び生垣の向こうに人が立つ気配がある。
暫くそのまま弾き続けていたが、その気配が気になる。
意を決して、縁側の草履に足先を入れ生垣に近づくと、その時グレーのパーカー姿の背中が足早に過ぎ去っていった。脅かしたり咎めたりするつもりではなかったので、まるで家の前から追い払ってしまったかのようで申し訳なく思った。

その翌日、同じように練習曲から始め、ラップトップを使って依頼の編曲をしながら、楽器の音を奏でていた。また、生垣の奥で人の気配がする。今日はいつもよりも時間が早い。
手を止めることなく弾き続けた。
曲の演奏が終わり、弓を置いたときにはもうその姿は無かった。そして玄関のチャイムが鳴った。
玄関に出てみると、昨日のパーカー姿の男性が立っている。
「すみません。初めまして。浅田と申します。」
背の高い男性。昨日と同じジーンズにグレーのパーカー姿。
若くはないようだか住宅街の午前中の風景の中では違和感がある人。
「浅い、田んぼ、と書く浅田です。あの、数日前から楽器の音を勝手に聴かせてもらっていて、大変失礼しました。」
「そんな、とんでもない。あ、私は三谷と申します。あ、標札は森下ですが。森下は祖父の姓でして。いや、そんなことはどうでもいいのですが、近所に音が出てしまって、騒音の苦情が出なければいいのだけど、といつも思っていたところです。」
「騒音だなんて。聞き惚れて、勝手にお家の前で聞いてしまいました。それで、まるで不審者か覗きか何かのようで、その、申し訳ないと思いまして。」
そう言って男は、小さな花束を差し出した。
「改めて、演奏を聴かせていただいたお礼です。」
「とんでもない。そんなお気遣い頂いては申し訳ないです。それに演奏ではなく練習です。」
躊躇したが、平日の日中、ひとり道端で漏れ聞こえる音楽を聞いていられるほど自適な暮らしのようでありながら、社会性のある言葉や振る舞いは、社会の中のコミュニケーション力が高度に鍛えられていることを示していた。
そこには興味が湧いた。
「もし、もしよかったらで結構なのですが、これからも通りの方から聞いていてもいいですか。今日はそれを伝えしたくて、唐突で厚かましいお願いですが。」
「お気遣い、どうもありがとうございます。いえ、どうか、差し支えなければ中へどうぞ。」
「いえ、外でいいのです。ご迷惑になりますから。」
「とんでもない。音楽を、しかも下手な練習をお聞きになるのに何の気兼ねも要りません。うちにも椅子くらいはあります。お聞きになりたいときはどうぞこちらに。」
躊躇する男を招きながら私は庭へと廻って、三和土から上がることができる縁側に並んだ古いソファを勧めた。
祖父が生きていた頃、この古い日本家屋は畳の上にカーペットを敷き、そこにソファを並べていた。蓄音機から流れるクラシックや祖父の奏でる音楽を私はそのソファの上でよく聞いていた。
「これは、チェロ、でしょうか。」
浅田と名乗った男は楽器を指して言った。
「いいえ、これは、いわゆるコントラバスと言います。正確には、まあ、少し違うんですが。」
祖父が作った古代楽器の、云々は面倒なので黙っておいた。
「大きいですね。」
「そうですね。でもチェロと同じように、こうやって弓で弾きます。」
弓を握って少し音を出す。浅田と名乗った男は初めは不思議そうにそれを眺めていたが、突然お邪魔して失礼しました、と言い残して去って行った。
男から贈られた花束を活け、洗面所の鏡の前に飾る。また来るだろうか。明日もまた、ここで弾いていよう。
家に寄るヒヨドリのために蜜柑を並べていた子供の頃を思い出した。
しかし翌日、浅田は来なかった。その翌日も次の日も。

編曲データと楽譜を持って等々力のスタジオへ向かう。なんとかオケの録音に間に合わせることができた。気が付けば腕時計をするのを忘れている。耳に手をやるとピアスもしていない。着古したリネンシャツに何かの染みの付いたチノパンとスニーカー。ひどい姿だ。化粧はもちろんしていないが、今朝、顔を洗ったのかどうかすらも不確かだった。
そんな状態ながらも、一仕事終えた解放感から空腹であることに意識が向いた。駅前の中華屋で昼食を摂り、落ち着いたところで九品仏寺の敷地を散歩する。
濃く薄く流れてくる線香の煙。駐車場に集まった黒い礼服の大人たち。法事の帰りだろうか。ふと、その中に家を訪ねてきたあの男性、浅田、を見た気がした。仮にそうだとして、目を合わせるような仲でもない。私はそっと道を外れて寺を後にした。

一週間ほど経った。相変わらずバッハから始める練習曲を弾いていた。
いつの間にか庭に男が立っていた。浅田だ。やはりグレーのパーカー姿。
手振りで縁側のソファを勧めると、庭に回って静かに靴を脱いで縁側に上がってきた。
私は練習を続け、浅田はソファに腰を掛けて目を閉じている。

世の中が皆、勤めをしている時間、私の演奏など聞いていられるというのは、どういうことだろう。
浅田は目を閉じたままただ演奏に聞き入っていたので、彼には構わずいつもの練習曲のメニューをこなす。
平均律クラヴィーアをコントラバスで弾くとピアノで弾くのとは全く違った旋律の流れを感じる。
経時的に移ろう空気の震えは、人の心持に少なからず影響する。
祖父が作ったこの楽器はコンサートホールで映えるような通りの良い音はしないが、狭い室内の空気の震えが届く範囲では、特に人の奥深くまでを揺するような響きがする。
それは永らく忘れていたことを思い出し懐かしんだり、それとは気づかずにいた悲しみの理由に思い当ったり、曲の旋律に酔うとともに、次元の異なる世界に移行してしまう様な感覚だ。
延べ15分くらいの演奏を終え、弓を置くと、浅田は目を開けた。
「どうもありがとうございました。」
「お粗末様でした。浅田さんは、何か音楽にご興味が深いのでしょうか?」
「いえ。全くそういうわけではないです。」
そう言って極まりが悪そうに、布の手提げの中からビニールに入った小ぶりの野菜か果物のようなものを差し出した。
「これは演奏を聞かせて頂いたほんのお礼です。いやお礼というほどのものでもない。ただうちに実ったグアバです。」
「グアバ、が東京で実るんですか?亜熱帯性のフルーツかと思っていました。」
「そのとおりです。うちには温室がありまして。妻が昔。」
と言いそれきり言葉を止めた。
「そうですか。珍しい果物ですね。頂きます。でも、もう聞きに来られるのでしたらお気遣いなく手ぶらでどうぞ。」
帰り際、浅田が振り返って言った。
「そのグアバは熟れるのを少し待ってから食べた方が美味しいです。」
その小さな実は南国の香りを漂わせていた。こんな実のなる木を温室で育てているなんて意外に優雅な暮らしをしているのかもしれない。

祖父はビオラだったりバイオリンだったり自作した楽器を、時々誰かに売っていた。また壊れて奏でられなくなった楽器を安く買い取っては修理し、学校などに寄付していた。ただ、このビオラ・ダ・ガンバはずっとこの家にあり、売られたりすることは無かった。
しかし、私が知る限り祖父は全く演奏をしない人だった。
祖父は自分では生涯ピアノの調律音のみを奏でていた。波長の強弱。微かな周波数のずれ。それだけに耳を澄まし、あとは蓄音機から流れるクラシックを聞くことを好んだ。
私は音楽大学の副専攻を選ぶ際、たまたまクラスが空いていたという理由で、コントラバスを専攻した。家で課題の練習をするために、祖父手製のその楽器を使わせてほしいと頼むと、これが正確にはコントラバスではないことや、売るつもりもないことを話してくれた。そして、私が練習で演奏する分にはいくらでも使ってよいと言ってくれた。
学校の練習器よりもやや小さい。音程はほぼ同じ。ただ近距離でとても力強く響く。初めはその程度の印象だった。その頃から、実家を出て祖父の住むこの家で暮らすようになっていた。

一緒に暮らして数年の後、祖父はあっけなく、眠ったまま布団の中で亡くなった。私のほうが祖父よりも先に朝、起きたのは祖父が亡くなったその日だけだった。
私は長い時間をかけてひとりで彼の遺品の整理をしていた。
彼自身の荷物といえるものは少なかったが、古い紙の束が詰め込まれた段ボールが一つ押し入れから出てきた。日記などのパーソナルなものが含まれているなら、祖父のプライバシーのためにも古紙回収業者に渡すのは躊躇われた。かといって、その紙束すべてに目を通す気力はその時の私には無かった。
この家の庭の隅で焼くのがよいかと、ステンレスのバケツに紙束を入れ、ライターで火を点けた。
手書きの文字がびっしり並ぶ紙は勢いよく燃えた。見慣れた祖父の字だった。
祖母を早くに亡くし、親が共働きだった私の面倒を見てくれたのは祖父だった。面倒を見たと言うよりも、私自身がこの古い家に来て蓄音機から流れる音楽や祖父の作業を見ているのが心地よくて、ただ入り浸っていた。
紙が燃える煙に咽ながら、灰が目に染みて涙が出るがいつしか、祖父にもう会えないことの悲しさに泣いていた。
その時、黒く軽い灰になりかけていた紙の中に音符が並んで見えた気がした。演奏をしない祖父は楽譜を全く持っていなかった。なぜ楽譜があるのだろう?手書きの楽譜だ。
私はあわててバケツの中の燃える紙束を火ばさみで取り出し、消火用バケツの水に漬けた。
湿った紙を一枚一枚捲ると、判読は難しいのだが、きちんと楽譜の体裁になっている。
頭の中で数小節内の音を探って追ってみるが、知った曲ではない。
燃えて濡れて破れた紙を丹念に搔き集めた。
この楽譜の音楽を聞いてみたい。

その楽譜はインクや紙が古くなっていた上に、火と水に晒されたため部分的には解読は困難を極めたが、私は数か月をかけてとうとう楽譜の全ての解読に成功した。最終的には編曲用のソフトウェア上にスコアが完成した。
しかし、自動演奏のプログラムにかけてみると転調や変拍子を繰り返し随分奇妙で複雑な音楽の様だ。
ソフトウェアが奏でた電子音では不気味さすら感じる楽曲だ。演奏のテンポは分からない。
祖父が遺した変わった遺産。アレンジ次第で面白い楽曲になるのかもしれない。その時はその程度にしか考えていなかった。

今年は異常気象だとニュースが伝え、農作物の成長が悪く小売り価格が高奮するらしい。
幸い、この家の敷地の一角は菜園になっていてキュウリやニガウリ、トマトやナス、オクラなどの夏野菜は繁茂していると言っていいほど豊かに育っている。籠と鋏をもって菜園に行けば籠に入らない程の野菜が採れる。天候とは無関係に時間に合わせて季節が動くことを知っているかのようで頼もしい。
蝉もこのへんの周囲ではうちで一番に鳴き始め、盆明けからは律儀にツクツクホウシの声を聞いた。しかし、不思議と公園や他の家では蝉の声は聴かれなかった。皆は長雨で今年は蝉が出てこないのだと口々に言っていた。

その日、練習を始める11時になると、縁側に浅田の影が見えた。
「こんにちは。」
この頃では見知った仲になり、彼はこの家のキッチンを使って自分の分と、私の分までコーヒーを淹れてくれる。コントラバスの音にはコーヒーが合うそうだ。
いつも練習で弾き慣れた楽曲を済ませると、今日はコンピュータから出力した、祖父の遺した例の楽譜を出してみた。コントラバス用のアレンジも加えた。楽譜台代わりの絵画用のイーゼルに立てかけた。
弾いてみる。弾き慣れてはいないし、まだ覚えられてもいない楽譜を見ながら、演奏はスムーズにはいかない。
それでも一時的に流れを掴み、コントラバスの低音がスムーズに流れた時、ソファで聞いていた浅田が一瞬驚いたかのように目を見開いた。
キッチンのほうでゴキブリが這い回っていたのでも見たのかと思ったが、演奏を止めることはしなかった。しかし、やはりスムーズに指運びができるようになるにはまだ練習が足りず、演奏を最後まで満足に終えることはできず、止まってしまった。弓を置いた。
「今日はこんなところで。ああ、コーヒーのいい匂い。頂きます。」
いつものようにクッキーの缶を取り出し絵皿に並べてテーブルに出した。
「先程の曲は何という曲ですか。」
「さあ、それが良く分からないのです。」
祖父の遺したものである経緯を話すと、浅田興味を示したが、その曲を気に入っているのか、苦手だと思ったのかは、よくわからなかった。
「ああ、先日頂いたグアバ、言われた通り、熟れるのを待って頂きました。美味しかったです。奥様にもグアバのお礼をお伝え下さい。」
「妻は、ふた月前に亡くなりました。」
「そうでしたか、すみません。ふた月では、それではまだ色々ご心痛も。」
「いいえ。きちんと話せずに黙っていてすみません。亡くなったのは1年半の闘病の末のことでしたから、覚悟は十分にできていました。」
コーヒーから立ち上る湯気の向こうで、彼は初めて家を訪ねた日と同じ格好、同じ髪形、同じ空気、何一つ変化がないことに気が付いた。まるで初めてあった日と今日が同じ日の様だ。
「最後は、長く苦しむ彼女をみていて、少しでも生き永らえてほしいのか、いっそ早く逝って楽になってくれたほうがよいのか、わからなくなり、でもそんなことを思う自分が恐ろしかった。
また、良かれと思い病院から一時帰宅をさせても、自宅での医療介護は、恥ずかしいことに想像が甘く、時間を選ばない肉体的、精神的労働で、私は最後には眠ることができなくなっていました。妻が面していた死に、私の方も長い間のうちに近づきすぎたのかもしれません。生きることを諦めていた妻を、こちら側に引き止める努力より、いっそ自分も一緒に向こう側に行ってしまう方が遥かに楽だと感じていました。」
私はただ黙って聞いていた。部屋には柱時計の刻む振り子の音だけが聞こえる。
「妻が亡くなった後も、夜は眠ることができず、今は休職して医者に通っています。毎日薬を飲んでなんとかやっています。ただ、薬を飲むようになってからは、自滅的で衝動的な行動に走ることは無くなりましたが、自滅に向かう意欲すらも、もうどんな感情も湧かなくなっていました。何も生産しないが何も害悪もない、それで何とか生存している、というところです。」
この男の中には弱い流れしか感じなかった。何も変わらない時をただただ刻んでいるだけのようだ。突然、私は浅田の実体ではない像を見ているような気分に襲われた。
「けれども、貴方の演奏を聞いていて、自分の中にまた感情が生まれてきたような気がしました。一時は、心を失ったままに死んでいくのかとさえ思っていた。テレビも、映画も、本も音楽にも好きも嫌いも楽しいも、つまらない、さえも全く何も感じなくなっていましたから。
この表の道を通りかかって、貴方が奏でる楽器の音を聞いて、気づくと心地よさを感じていた。失くしていた感情が自分の中にまだ再生する余地があったのかと思いました。」
そうですか、とその他に言葉も無く、相槌を返し、ふと目をやった柱時計を見てぞっとした。なぜ今17時なのか。弾き始めたのは11時頃の事。高々40分くらいの演奏の練習だったはず。
ああ、時計が狂っただけだ。電池を交換しなければいけない。
「もう17時か、遅くまでお邪魔してしまいました。」
立ち上がった浅田に
「いえ、あの柱時計は狂っているみたいで、」と言うと彼は腕時計に目をやり、
「いや、合ってますよ。確かに17時です。」
昼食は、どうしたのだろう。そんなに長く弾いていた覚えもない。今日の私はどうかしている。
混乱したまま、縁側の三和土から帰ろうとする浅田に附いて庭に出た。外の光景は確かに夕空で、畑の野菜は今朝よりもはるかに大きく伸び、今朝収穫し尽くしたはずの苗は、また沢山の実をつけている。
「それではまた。」
「あ、あの。明日も来てください。今日の曲は練習しておきますから。」
時の流れが止まっている浅田と、私の知らぬ間に進んでしまっている周りの時間。私は頭がどうかしてしまったのだろうか。
空腹は感じないが、時計が狂っていないのならば昼食を摂っていないのは間違いない。

そんなことはその日だけのことだった。
きっと一時的に感覚がどうかしていたのだろう。
それから、いつものバッハの合間に、祖父の楽譜の練習を重ねた。
浅田は時々来た。そして、少しずつではあったが彼の中に流れが生まれているのが読めた。時が動き出していた。特に、祖父の遺した曲を奏でると、みるみる彼は生気を取り戻すようだった。
8月も終わりが見える頃、ツクツクホウシは死骸だけを残し、青い柿の実が果実の形をし始めていた。時は確かに、止まることなく、淀みもせず流れている。
そして、いつしか浅田は姿を現さなくなっていた。きっと、うちに来る代わりに職場へ向かうようになって、今頃は仕事に復帰していればいいと思った。

ある日、しばらく動いていなかった蓄音機にレコードを載せてみた。レコード針をそっと落とすと、ノイズも素直に増幅されながら、シューベルトの鱒が流れた。
その時、レコードジャケットの中から茶封筒が滑り落ちた。古い祖父宛の郵便。差出人は荻窪の住所になっている。封筒の中には書面は無く、ただ巻かれた楽器の弦と「前へ進め」とマジックで書かれた変色した紙切れが入っていた。これはどういう意味だろう。
差出人に仲間 忠、ナカマ タダシ、とあるが、もちろん誰かは知らないし消印は今より二つ前の元号だった。祖父の知り合いであるなら年齢からいっても、今、存命かどうかわからない。
祖父が仕舞っていた直近の年賀状をもとに、幾人かに祖父の逝去を知らせるはがきを出したが、仲間忠はその名簿にはなかった。最近は親しくしていなかったのだろうか。
荻窪の住所の書かれたその不思議な封書を自分の手帳に挟み、バッグに入れそのままに忘れていた。

普段はあまり持ち出さない大きな楽器を抱えて、滅多に乗らない中央線に乗って沿線にあるスタジオでの録音の手伝いに行った。楽器を抱えていったのは、家での編曲がタイムアウトになり、録音現場でストリングスの最終アレンジを続ける必要があったからだ。スタジオで録音中だったカルテットのメンバーは私の楽器が珍しいと、いろいろ触って楽しんでいたので、その間に現場に合った電子ピアノだけで何とか編曲楽譜を仕上げた。
仕事の帰り、混んだ電車に、弾きもしなかったコントラバスの入った巨大なケースと乗車するというのは、最悪の出来事だ。荻窪駅に到着するアナウンスで、ドアから押し出されるように、下車していた。電車はホームに私と楽器、そして数人を吐き出し、無理矢理ドアが閉まった。人を圧縮した満員電車は重たそうに発車した。傾いた陽光がホームから見える駅前の雑然とした街に眩しさと長い影をつくっている。さみしい光景。
このまま次に来る各駅停車にまた乗って新宿まで向かってもよかったが、脚は改札出口へと向かっていた。
駅前の地図で街を眺めると、茶封筒の差出人にあった街の名前がある。
バッグの中を探し、細かい住所を確かめるとそんなに遠くは無い。
大きな楽器ケースを抱えたまま住宅街をしばらく歩くと、祖父への手紙の差出人の住所に辿り着いたことが分かった。「仲間楽器店」と看板が出ている。弦楽器の修理・製作の工房らしい。祖父の同業者だろうか。

ガラス張りのドアに額を付け中を覗いていると、後ろから急に声を掛けられた。
「修理でしょうか。」
白髪を後ろに撫でつけた、背の高い高齢の男性が立っていた。
「あ、あの。こちらは、仲間さんの、あの住所で、よろしいのでしょうか。」
「はいそうですが。どうぞ、中に。」
店の中に案内されると、壁には無数のバイオリンやビオラ、チェロそしてコントラバスが吊るされている。私の楽器ケースを見て仲間老人が聞いた。
「コントラバスの修理のご依頼でしょうか。」
「あ、いや、はい、少しテールピースが、少し。あの、私、楽器はよくわからないので見て頂けますか。」
どうしたものか、予期しなかった出会いに焦りと緊張で、顔に血が上り、背中を汗が伝うのが分かる。
「はい、拝見します。」
老人は慣れた手つきでケースを開け楽器を取り出す。
「あの、仲間忠さんでしょうか。」
「はい。そうですよ。それで、楽器のどこが悪いっておっしゃいましたか?」
「いや、あの、私。」
楽器のネックを掴んで、仲間忠は鋭く言った。
「あなた、この楽器。コントラバスではないね。何処でこれを。」
「はい、私、三谷玲子と言います。森下信三の孫です。すみません、早くお伝えしないといけませんでしたね。」
「森下、信三。」
「はい、あの、ご存知ですか。森下信三。」
「あなた、お孫さんなのか。森下さんは、おじいさんは、お元気かな。」
「いえ、あの、実は3年前に他界しました。」
「そうか。残念な。とはいえまあ、私もすぐ会えることだろうな。」
「い、いえそんな。あの、最近、祖父の家で封筒を見つけて。それでちょっと興味、というか。」
私は古い茶封筒を仲間忠に手渡した。
「この、中を見たのかいあなた、玲子さん。」
「すみません。「前へ進め」って。どういうことなのかなって、興味が出てしまって。勝手に見てすみません。それと、祖父の知り合いの方には、他界したことをお伝えしようと思いまして。」
苦し紛れの言い訳をした。

仲間忠が語ったのは、私が全く知らない、祖父の物語だった。
40歳の若さで妻、つまり私の祖母を失くした祖父は祖母の生前の頃のままに時間を止めたいと願った。しかし、時を動かすまい、忘れまいとしても3か月、半年、1年、祖父だけの時間は容赦なく進んでいった。いたたまれなくなった祖父は祖母と暮らしたこの家と、日本を出て、西洋楽器の制作の修行のためにイタリアの工房で勤めていた古い友人を訪ねたことがあった。そこで、妻を亡くしたことを気の毒に思い同情した工房の親方の下で友人と一緒に数年間楽器制作を学んだ。
その工房にいた友人というのが仲間忠さんだった。祖父はイタリアに渡った後も祖母の死から抜け出せずにいたという。
ある日、祖父は近くにあった地元民だけが通う小さい教会でグレゴリオ聖歌隊の唄を聞いた。その最後に、その季節にだけ特別に唄われる歌を聞いた。その時に、突然、祖父の中で時間が動き出した。それは祖父の意思や感情とは無関係に、身体の中から湧き出る流れが祖母の死で止まっていた彼の時間を動かした。初めて聞く、しかし一度聞けば忘れることのできない旋律で、まるで音が身体の中で動きだしたようだったという
司教の説明では、数世紀前、シルクロードを旅する民族が、旅のキャラバンの中で演奏していた曲がこの地にまで伝わり、この教会のみで唄の形で遺されているのだと語った。
旅の者の唄は、経由する土地土地の文化を吸収し、異国の音楽どうしが混ざり合い成長を続けた。何年もかかる商人の旅。故郷に残してきた家族にとっては、主が戻ってくるのを永遠にも感じられる時間の中で待つ。一方、旅をする者には移動している時間は一瞬だ。同じ時間であるはずなのに、その流れは人や土地によって速まり、緩まり一様ではない。
音楽はその旋律で人の中の時の動きを支配する。ともに奏で、唄い、聞くことで、人の時間の流れが同調する。
多くの音楽の中から、ある旅人は故郷に遺る妻にある唄を教えた。
自分を待つ間、この歌を唄うようにと。そして旅の途中で旅人自身も琵琶を奏でながらその唄を唄った。
待つ者と行く者の時の流れが解離してしまわないようにと。同じだけの歳をとれるようにと。
祖父はその教会に通い、唄い手の声を譜面を書き下ろした。
帰国後の祖父は、本業のピアノ調律の傍らで楽器制作も請け負った。いつか、その唄を教会に伝えた当時の楽器を制作すると心に決めて。
天国で彼を待つ妻との間に、同じ時の流れを届けるために。

製薬会社の広い地下駐車場。ゆっくりと楽器を運び、車に載せた。
「あなたの演奏を聞いて、妻が死んでから私の中で固まっていたものが、ふっと消えたんです。まるで体の奥に詰まっていた何か、が抜けたようでした。それからダムの水門が開いたように私の時間が流れ出して、すべてが先に進みだした。止まったままだった時間と私の感情が動き出したんです。こんな話をすると、精神的というか、迷信的にすら聞こえるかもしれませんが、そうではなく、私にとっては、それはとてもフィジカルな変化だったのです。」
「あの時の感動が忘れられなくて、あれから手当たり次第にコントラバスの演奏曲を手当たり次第に聞いて、生演奏を聴くためにコンサートホールにも行ってみました。けれども、貴方が奏でたあの曲、あの楽器の音だけです。あんなことが起きたのは。貴方は音楽家として特別な素晴らしい力をお持ちだ。」
「それは違います。全て祖父が遺したものなのです。」
「お爺様ですか。」
「私の力では、ありません。」
ハッチバックのドアを閉めた。
「あの、またお宅に聞きに伺ってもよろしいでしょうか。かつてのように、平日のお昼、というわけにはいかないのですが。」
そうね、パーカーとジーンズの男とは別人の浅田常務。
「どうぞ。」
彼の中に新たな流れができている。時は動く。ある種の音楽、演奏は時の流れを促す。祖父の祈りは、低く響きながら透明な音色になり、天へと昇っていく。


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