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どこにでもいる一人の小市民の独白

CIVILIANというバンドを知っている人は一体どれだけいるだろうか。
あるいはLyu:Lyuという名前ならどうだろう。

コヤマヒデカズならどうか?
ナノウという名前なら聞いたことがあるという人も多いかもしれない。

これらは全て同一人物の名前である。

もっと正確に言うと、ナノウ=コヤマヒデカズがリーダーを務めるバンドが、Lyu:Lyu=CIVILIANなのだ。

ナノウがボカロPとしての名義、コヤマヒデカズが歌手としての名義であり、かつてLyu:Lyuとしてインディーズで活動していたバンドがメジャーデビューしてCIVILIANとなった。

私はボカロには造詣が深くないので、ナノウ時代の楽曲は全く知らないのだが、Lyu:Lyu時代に友人がカーステレオでかけていた曲を聴いていたく気に入り、以降ファンとして好んで聴いている。

ちなみに、ナノウ時代の一番有名な曲は「ハロ/ハワユ」らしく、これを言うとボカロ好きには大体通じる。

CIVILIANになってからはセルフカバーしたものを自身のアルバム「eve」に収録している。


弱者というマジョリティ

以降はCIVILIANで呼び名を統一しようと思うが、CIVILIANの魅力は、私のように社会で力を持たない「小市民」が生きる上での苦しみや辛さ、それを乗り越えようともがく姿を生々しく描いた歌詞と、それを心の底から叫ぶように全身で表現する圧倒的な声圧だと思う。

私は歌詞で曲を好きになるタイプの人間なのだが、もしもこの力強く叫ぶ歌い方でなければ好きになってはいなかったかもしれない。

一人の小市民であるボーカルが苦しみを乗り越えんとする姿や主張を描いた歌詞が、本人の叫びに乗ることで同じく小市民である私の心に響くのだ。

そのCIVILIANの曲だが、「先生」「初めまして」「アノニマス」「残り物の羊」「どうでもいい歌」あたりが特に好きな曲だ。

「アノニマス」の、「小さいようで大きな不安が頭によぎって、勝手に自分で疲れて、情けないほど安心して」なんて私が書いた歌詞なんじゃないかという気さえしてくる。

私のようなメンタルの弱い小市民は、勝手に自分で不安を作り出して、それを勝手に大きくしていって、パニック寸前になるのである。

この不安を解消するには原因を完全になくすしか方法がなく、完全になくなって初めて勘違いだとわかって安心するのだ。

「アノニマス」は、そんな言いようのない不安を歌った曲であり、その名前のない気持ちを「アノニマス」と呼んでいる。

そして、そんなアノニマスな気持ちはきっと、大小はあれど誰しも持っているものなのだ。

そんな誰しも持っている気持ちを歌に込めて、力の弱い小市民に届けてくれる。それがCIVILIANの魅力だと思う。

ただぼんやりとした不安

ちなみに言うと、「文学少年の憂鬱」という曲で明らかに太宰治を意識した歌詞を書いているので、アノニマスはきっと太宰の「ただぼんやりとした不安」を意識して書いていると思う。

太宰の不安は持病によるものであったが、当時は何の病気かもはっきりしていなかったのでアノニマスに襲われたのだろう。

私自身、かなり大きなアノニマスを抱えて生きているほうで、周囲の人たちも少なからずアノニマスに襲われることはあるはずなのだが、言葉にできない不安を人に話すのは難しいし、みんなが我慢しているのに自分だけ楽になろうとするのは許されないという日本人特有の同調圧力で、みんながアノニマスによる苦しみを感じてしまうのだ。

共感は救いではない

「アノニマス」は、「こんなことは誰にだってよくあるとわかってるさ、それくらい だからもういいよ」という歌詞で終わる。

この曲は小市民たちが持つ不安を言葉にして共感を与えてくれるが、救いは与えてくれない。

きっと小市民たちのアノニマスは一人一人違っていて、それを乗り越えられるのは自分自身しかいないのだと、私は解釈している。

そして、そのアノニマスの正体を自分の力だけで明らかにするのはとても難しい。

乗り越えられるのは自分しかいないが、誰かの助けは借りたほうがいいと、私は思う。

一人でいるのが好きな人だとしても、ずっとひとりぼっちでは案外気が滅入るものだから。


僕らはたった一人の小市民、世界の99%は名前も顔も知らないアノニマス、でもその99%の人たちもみんな不安を抱えて生きている。

その誰もが持っている不安を隠さず打ち明けられる相手さえ得られれば、世界はきっと明るくなるだろう。

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