2020.06.01、シンクロしたか、ときめきは?

 渡辺麻友が健康上の理由で芸能活動引退を表明した。

 僕のTLで騒いでいる人間はほぼ見当たらなかったが、僕の心はもう揺れに揺れていた。

 まゆゆは僕の天使だった。僕の青春だった。漫画家デビューした時に嬉しくて単行本を田舎のTSUTAYAに自転車飛ばして買いに行った。出ているドラマはぜんぶチェックして、新曲の中のまゆゆパートを探した。きわどく光る写真集を親に内緒でこっそりとめくった。MV、特に「ポニーテールとシュシュ」でまゆゆが映るシーンを何度もリピートした。マジすか学園で見せた渾身の演技に震えた。

 まゆゆは僕の光だった。まゆゆに関する思い出を振り返ることで、彼女を偲びたい。

 まず、まゆゆと僕は同い年である。学年は一つ違うが、同じ1994年生まれである。つまり、僕の高校生時代はそのままAKB48の黄金期と重なっているということになる。以前ゆりしぃ(遠藤ゆりか)の記事にも書いたが、僕は同い年のアイドルや声優さんを特別好きになる傾向がある。というわけで、僕の推しはずっとまゆゆだった。人生で初めて買った写真集はまゆゆの写真集で、初めて買ったアイドルのソロCDはまゆゆのデビューシングル「シンクロときめき」だった。我が家では篠田麻里子と大島優子が人気で、クラスメイトには柏木由紀や板野友美が人気だったが、僕はまゆゆ一筋だった。

 どれだけシンクロときめきを聴いたことか、どれだけ「チームB推し」を聴いたことか、どれだけ「AKB49~恋愛禁止条例~」のまゆゆ回を読み直したことか。人生初の秋葉原に行った高校1年生か2年生の夏、まゆゆのグッズとKeyのグッズを抱えて帰った。少ない小遣いからCDを買ってまゆゆに投票した。高校生の僕に影響を与えたアイドルは、三次元では間違いなくまゆゆだった。ちなみに二次元では中川かのんだった。

 まゆゆは大人になってもアイドルであり続けた。同時に、司会者としても非凡な才能を発揮していた。さらには演技も歌も上手かった。正統派なアイドルの声をしていた。いつでもキラキラ笑っていた。恋愛禁止条例を守り続け、引退するまで僕たちファンを一度も裏切らなかった。

 恋愛禁止については論争があるだろうが、それは今は関係ない。大事なのは、まゆゆはずっと「理想のアイドル」を体現し続けたということだ。彼女は誘惑も多く、炎上も多い現代において最も難しいであろう偉業を達成した。アイドルとは何かと問われたとき、僕は「生きざま」であると答える。歌でも、ダンスでも、笑顔でも、その他すべてでもなく、ただアイドルとは「生きざま」であり、それを貫く際の輝きこそがアイドルを人間から理想へと押し上げているのである。

 まゆゆは僕のアイドルだった。正しく、彼女はすべての人にとってのアイドルであり続けた。あり続けてくれた。僕は一生、アイドルとして生きたまゆゆの姿を忘れない。まゆゆが新しい人生で幸せになってくれなければ、そんなのは嘘だ。どうか神様、僕たちに光を与えてくれた一人の少女をアイドルという偶像から解放してあげてください。遍くすべてを救ってくれたまゆゆを救ってやってください。もう理想にならなくていい。

 まゆゆ、ありがとう。大好きでした。絶対、幸せになってください。

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