行路【試し読み版】

 聖火病院。
 病床数五十五床。内科や外科などの診療科目があり、地域密着型の病院として機能している。救急車からの患者搬送連絡もあった。
 病院の当直勤務に、男性事務員が受付に座っていた。
 年齢は二十二歳で今年大学を卒業し、採用された新人社員だ。白いワイシャツにネクタイ、スーツのズボンと、普通のサラリーマンの格好をしている。カルテという診療内容を書く紙を机に置き腕を組んでいた。
 カルテには何も書いていない。治療内容は、医師が書くのだが、患者の基本的な情報である名前や住所、年齢などは事務員が書くことになっている。それを書きたいのだが、まだ荷物が来ないのだ。
 看護師が患者の荷物や手術のため破いた服を持ってくるので、そこから健康保険証や免許証などの身分証明書を探すのが事務の役目だった。
「田端君。まだカルテ書いてないのか? 早く書いてあげないと看護師さんから怒られるぞ」
 主任の橋本が手術室から帰ってきた。当直勤務は男二人体制で、今日は橋本と田端がコンビを組んでいる。主任の格好もワイシャツで、年齢は四十八歳。白髪がちらほら見えていた。
 現在患者が搬送され手術室に運ばれているのだ。
 性別は男性だが年齢その他情報は不明。心肺停止状態。
 橋の下で倒れていた所を発見され救急車で運ばれていた。
「患者さんの荷物が来ないんですよ。逆にこっちが困ってるんです」
「ああ。この患者さんはホームレスだ。『行路』でいいよ。患者の名前は」
「『行路』?」
「道っていう意味だ。そのほうが、市役所がお金をだしてくれるし、ご遺体も処理してくれる」
「もう死んでるんですか?」
「心肺停止だ。助からんよ」
 心肺停止とは、心臓と呼吸が停止した状態のことだ。早急な心臓マッサージが必要となるが、ほとんどの確率で助からない。助かったとしても重体になる場合が多い。
 病院の廊下を、ストレッチャーが音を立てている。ご臨終だと判断されたのだろう。あとは死亡診断書を待つだけだ。
 ストレッチャーにかぶされた白い布から、両手が飛びでていた。
 何かをつかむように、手がダラリと垂れている。
 患者がどんな形相をしているかは、布があるので見えない。
 田端は遺体から目をそらすと、主任に言われたとおり名前に『行路』と書いた。


試し読みはここまでです。


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因幡雄介

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