ショートショート ~退行催眠~ 【試し読み版】

シロいキノコ


 井上智花は田舎のバス会社で事務の仕事に勤める、平凡なOLだ。
 仕事は地味で、田舎口調の男の上司に怒鳴られる新人社員。
 高校を卒業し、車の免許を取るつもりだったけど、卒業試験に落ちてしまい、バスで自宅に帰らなければならなかった。時刻表に刻まれた時間は三十分に一本だ。朝乗り遅れてしまったら、遅刻は確定。運転手は同じ職員なので、顔は知られている。言い訳できない。
 狭い世界で生きていると、珍しいものに目がいってしまう。
 夕方の五時に仕事が終わり、急いでバスに乗り家に帰っていると、車の少ない山道で彼を見つけた。
 名前は三原一。小学生のとき一緒にいた男子だ。
 興味を持って、バスを下りてしまった。
 別に好きとか、そういう感情で動いたのではなく、明日三連休だったので、気分が高揚していたのだ。
 久しぶりに積もる話をしたかった。偶然出会ったことにして、居酒屋にでも連れて行ってやろうと思った。警戒心はなかった。彼はきゃしゃで、けんかで私に勝てたことがない。
「あれ?」
 山道の斜面を登っていくけど出会わない。
 おかしい。
 バスの窓から見えたはずだ。見間違いだろうか?
 そんなはずはない。顔だっておぼえている。高校の卒業写真と同じ顔つきだった。
「もしかして」
 山を見上げた。
 暗い森の中に、彼は入っていってしまったのだろうか? なんのために?
「……どうしよ」
 バスは行ってしまった。三十分はこない。彼と話すことについやしたかったのだ。
「はぁ」
 ため息が出た。無計画な行動に出ると、こういうことになる。ジーパンとスニーカーをはいているのだから、登るのは苦痛じゃない。山はよく知っている。小さい頃、両親と遊びにきていたからだ。
「よし、行ってやりますか」
 夏の暑い中、太陽はあと二時間は沈まないだろう。私は意を決して、山の中に入った。
 間違いだった。
 山に入った当初は、気分が良かった。セミがウワンウワン鳴き、虫が皮膚に張りついてくるけど、昔をなつかしんでいた。子供の頃は、彼とこの山で遊んだものだ。中学生から疎遠になっていったが、おたがい思春期だったのだからしかたがない。
 おかしいと気づいたのは、二十分ぐらいしたときだ。
「……うん?」
 がむしゃらに入り、追いかけていたわけではなかった。足跡があったのだ。三時間前まで、大雨が降っていた。降り終わったあとは、熱い太陽が地表を照らすので、ほとんどのものは乾いてしまったが、山の中は湿っていた。柔らかい土に、足跡がはっきりと残っていた。
 違和感を抱いた。
 しゃがんでながめてみた。視力がパソコンのやりすぎで悪くなっているけど、はっきりとよく見えた。《人間》の足ではなかった。
 人が逆さになって歩いているようだった。五本の指に、爪が土に食い込んでいる。山に入ったときは、人の足跡だったので、歩いている途中ですり替わってしまったのだろう。
 ――何を追いかけていたの?
 背筋がぞっとした。虫の鳴き声が、いつの間にかなくなっている。汗が下着を浸し、動悸が激しくなっていく。
 周りを見回した。
 ここは、どこだ?
 子供の頃の記憶など、真っ白になっている。
 迷ったことを理解した。
 太陽の光が薄くなっていく。恐怖がどんどん心を支配し始める。
 パニックになってはいけない。足跡の逆をたどり始めた。
 簡単だ。
 きた道を戻ればいい。
 山を下れば、いつか山道に会う。
 期待は打ち砕かれた。
 足跡が途中で消えているのだ。あわてて探しても存在しない。
 アレは足跡だったのだろうか?
 妄想にかられていると、後ろで草むらが動いた。
 恐怖が爆発し、悲鳴を上げて逃げ出した。
 緑の生い茂った草をかき分けて走っていると、人の服が視界に入った。
 ――良かった! 人間だ!
 向かう。
《首をつった人間》をまねした人形たちが待っていた。


試し読みはここまでです。


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因幡雄介

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