想忘れ【試し読み版】

 風張一美は目を開けると、満月が床に落ちていた。
「……いつっ!」
 腕に痛みが走った。キャミソールからはみ出た左腕に、ななめに切った傷がある。血がにじみ出ていて、まだ新しい。どこで切ったのだろうか?
 ――落ち着けぇ。落ち着け私。
 心のなかで呪文のように唱える。こんな状況であわててもしかたがない。
 ポケットを探っていると、二つの感触があった。一つ取り出してみると、『石崎高校生徒手帳 通信制』が見つかった。迷わず開ける。
 名前は『風張一美』。高校三年生。顔写真を見ても間違いなく私だ。
 記憶がない。全部なくなっている。正確に言うと、高校に入ってから今日までの情報が消去されている。
 胸に手を置いて息を吐いた。落ち着くためだ。あわてるとロクなことにならないと、体でおぼえてわかっている。
 満月に見えたのは懐中電灯の明かりだった。明かりの質から、電池はまだたくさんあるだろう。周りを照らしてみると、見たことのある黒板に、机や椅子が転がっていた。
 そうか。ここは小学生時代をすごした学校だ。
 移転されて廃校となった。そのまま放置されてまだ残っている。懐中電灯を持っているところからして、なつかしくてここにやってきたのだろうか? それにしても暗い。
 腕時計を見ると、二十三時だ。携帯電話はなぜか持っていなかった。
 私の記憶は三日しかもたない。高校に入る前に事故で両親を亡くしてから、病気は続いている。最初は二十四時間たったあと、なんの前触れもなく記憶がリセットされ、事故が起こる前の記憶に戻ってしまっていた。それが七十二時間もつようになった。
 ――記録を見てみますか。
 生徒手帳をしまい、ポケットを探ると必ずあるのが、通販で買ったシステム手帳だ。閉じ部分はリングで、革製。ベルトつき。色はかわいいレッドにしてある。収納能力は抜群だ。
 手帳に毎日記録してある。開くと高校三年生の四月から記入しているのがわかる。男性と一緒に写っている写真が落ちた。裏を見ると、『大好きな隆』とあった。
 隆と聞いて思い出す。幼なじみの男の子だ。病気が発症する前、悲しみに浸る私を一生懸命慰めてくれた。経緯はわからないけれど、彼氏になったらしい。嫌な気持ちや違和感がないので、受け入れるのに時間はかからなかった。
 手帳を開いて過去の記録を読んでいく。懐中電灯で照らさなきゃいけなかったけれど、記憶喪失のまま下手に動くと危険である。丹念に読んでいくと、隆と毎日幸せにすごす自分が書かれてあった。
『今日は隆と遊園地に行った。彼はジェットコースターが苦手で、乗りたくないとダダをこねたけど、無理やり乗せちゃった! 体が大きいくせに、怖がりなんだから』
『学校の帰りに隆と展望台に行った。夜景がとってもきれい! 町並みを見ていると、彼は寂しそうな顔つきになる。私はもう大丈夫だよ』
『隆。大好き!』
 手帳をバタンと閉じる。
 ――恥ずかしい……。
 顔の体温上昇中。恋とは人を狂わすものだ。手帳の内容を客観的に調べてみると、自分がバカのように思えてくる。恋愛日記みたいに書いているし。
 ――ここにきた理由を調べなきゃ。
 乗り気にならないが手帳を開ける。
 日付つきの腕時計をもういちど見ると、八月十三日とあった。学校は夏休みに入っているはずだ。
 宿題をやらずに、なぜ廃校となった小学校にきたのだろう? お世話になっている親戚の家は、この近くにはないはずだ。生徒手帳に記入してある住所を見ても、ここまで電車を何本か渡ってこなきゃならない。終電が近づいている。
 三日前の記録を見てみるが、夏休みに入って暇だとある。
 二日前の記録を開けるがなんにもない。
 おかしい。過去の私は、三日後記憶がなくなることを知っているはずだ。なんの計画もなしに、こんな廃校なんてくるわけがない。記憶をなくす前に、安全な家の部屋でのんびりしているはず。
 今日の記録を開けてみると、「あれ?」修正液で消されている。
 手帳に書くときは油性のボールペンにしている。えんぴつだと、雨にぬれたときなどに消えてしまうからだ。修正液でわざわざ記録を消したのはなぜなのだろう?
 過去の私がわからない。
 次のページを開いてみると、
『いやだぁぁぁぁっ! たかしにころされるっ! たすけてっ! だれかたすけてぇぇぇぇっ!』
 えっ? 何、これ?


試し読みはここまでです。


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因幡雄介

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