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日本語は土器と共に新石器時代に成立した

日本語はどのようにして成立したのか
引用に示すように日本語は世界的に最も古いものである様だ
そうだとすれば次のようなことが想像できる

旧石器時代まではものを示して言葉を伝えた
石器で形成できるものは極限られていた

土偶には説明の言葉、説明文があったはず

17000年前の縄文土器から始まる新石器時代には
言葉はどんなものでも作れる土器で伝えられた
言葉は永久に残る土器で広く伝えることが出来た、土器は文書と同じである

ものを示して言葉を話すのは旧石器時代

新石器時代には土器で何でも造形して言葉を伝えることが出来るようになった
マメ類の栽培開始は、土器の文様で伝えた
弓の開発は弦を土器で示して言葉を伝えた
石鏃も土器の文様で言葉を伝えた
弦を細くしたことも土器で細くした文様として伝えた
釣り糸は土器の撚り糸文で伝えた
網も土器の羽状縄文で言葉を伝えた
土器は言葉の形成に大きな役割を果たした

言語は新石器時代の始から、縄文土器時代から形成されたものでは無いか
17000年前の縄文土器の時代からである。
土器を超えるのは紙の文書から、そして今
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)だけでなく、YouTubeやTiktokなど、次から次へと新たな仮想空間が生み出されてきています。それらは、すでに世の中に存在していた言葉や画像、動画を解体して再構成し、どんどんと新しいモノを生み出し続けています。
このように云われています。

引用します----ーーーーーーーーーーー--

https://www.news-postseven.com/archives/20211124_1709095.html?DETAIL

「日本語の起源は中国東北部のキビ・アワ農家」 壮大な新説に注目

英科学誌『nature』掲載の論文より
英科学誌『ネイチャー』掲載の論文より

 日本語の元となる言語を最初に話したのは、約9000年前に中国東北地方の西遼河(せいりょうが)流域に住んでいたキビ・アワ栽培の農耕民だった──ドイツなどの国際研究チームが英科学誌『ネイチャー』に発表した研究論文の内容だ。歴史作家の島崎晋氏は、「事実であれば、何とも壮大」と指摘する。一体どういうことか。

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https://note.com/yamazakura/n/n23b5323ea701

現代の日本人は、遠くは悠久1万6000年前から列島全域に住んで、日本語など日本文化の基層を形成してきた縄文人の子孫であり、近くは弥生以降の渡来人をも同化した倭人の後裔なのです。

■ 日本語は縄文時代に形成

---言語学者・国立民族学博物館・崎山理氏(註45)

崎山理氏は、「日本語が周辺の他の言葉と大きく異なっているのは(略)、日本語の成立が古いことを示しているのです。おそらくは縄文時代、どのような言語の形成が日本列島で起こったのかを考えることが大切です。」と述べ、日本語は「東シベリアの現代ツングース諸語と現代オーストロネシア諸語の混合言語」と結論しています。日本語の文法が北方系の諸語と一致していながら、語彙は多く南方系の諸語と類似していることを考えると腑に落ちます。                   崎山氏はまた「弥生時代に、大陸からやって来た人たちによって日本語が形成されたとすれば、彼らの言語と比較することによって系統関係が分かるはずなのに、そうならないと言うことは、(略)日本語の成立年代がもっと古いことを示している」と述べ、日本語は縄文語の系統だとしています。                 そして「弥生時代から古墳時代にかけて、大陸から中国の文化を携えた人たちがやって来ましたが、(略)言葉の系統は変わりませんでした。このことは、既に日本列島で強力な政治的・文化的体制が敷かれていたことを意味しています。大陸からの移住者は、日本語を話す方が生活面で便利だったからです。」

■ 日本人も縄文時代に成立

同じ言語学者の松本克己氏は、日本語中、1千年間で81%以上不変とされる「わたし、あなた、これ、あれ、一つ、二つ、大きい、小さい、女、男、人、」などの基礎語彙200語を選んで、言語年代学で計算した結果、「日本語が弥生時代の初めにどこかの言語から分かれて出来たという可能性はほとんどなく、おそらく日本語の起源は縄文時代以前に遡るであろう」(註46)という結論を得たそうです。共通言語の成立が民族の成立なら、日本人の起源は日本語が形成された縄文時代に遡ることになります。弥生時代以降、日本にやって来た渡来人たちは、すでに確立していた日本語と日本社会に組み込まれ、同化して行ったということになります。

おわりに

戦後ながく定説とされ、日本の歴史教科書にもまだ記載されている日本稲作の朝鮮伝来説の誤りは、考古学や遺伝子学の進展によって正されました。                        

 稲作を最初に日本に伝えたのは、長江デルタに住んでいた南方系の稲作民族だったのです。

陸稲農耕は南方ルートで南九州から瀬戸内にかけて前4000年ごろ伝来、
水稲農耕は東シナ海ルートで九州西北部に前10世紀ごろ伝来したようです。
前5世紀ごろ、呉越滅亡時にも九州西北部に呉越人の九州渡来があり、南方系文化を伝えたでしょう。                             
水稲農耕を始める契機を作ったのは、技術と道具を携えて大陸から直接、あるいは朝鮮半島経由で各地から来た渡来人たちでした。しかし渡来人と協同して稲作農耕文化を日本列島に波及させ、倭国(やまとのくに)建設の基礎をきづいた主役は、列島で多数を占めていた縄文系の倭人たちでした。               
弥生時代から古墳時代にかけて、縄文人から渡来人へと日本列島人の交代があったかのような虚説は、考古学・遺伝子学・病理学・言語学など多様な先端科学の前に完全に崩れさりました。            

              現代の日本人は、遠くは悠久1万6000年前から列島全域に住んで、日本語など日本文化の基層を形成してきた縄文人の子孫であり、近くは弥生以降の渡来人をも同化した倭人の後裔なのです。

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あらゆるSNSがブリコラージュ
レヴィ=ストロースの提唱した「野生の思考」は、農耕や牧畜、陶器や土器などを生み出した基にある思考形態であり、「科学的思考」と対立するものではありません。それは不変の「構造」を保持しながら、要素を解体し再構成する過程を繰り返すブリコルールの思考形態です。そうであれば、「野生の思考」は私たちの精神の奥底に潜んでいるだけでなく、いまにも踊り出そうとウズウズしているはずです。それは、論理だけではなく、直観を重視して生きています。「野生の思考」は、私たちの中に息づいているのです。

世界中のインターネットのサイトをハイパーテキストでつなぐWorld Wide Web(ワールド・ワイド・ウェブ)は今日、私たちが経験する現実に大きな影響を与えるだけでなく、政治や経済を変える大きな力をも持っています。またSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)だけでなく、YouTubeやTiktokなど、次から次へと新たな仮想空間が生み出されてきています。それらは、すでに世の中に存在していた言葉や画像、動画を解体して再構成し、どんどんと新しいモノを生み出し続けています。

これらは、レヴィ=ストロースの言うブリコラージュであると言えるでしょう。その意味で、現代人の私たちもまた、ブリコルール(器用な人)なのです。

通信革命の進行とともに、リアルとヴァーチャルのあわいで展開するものづくりは、「野生の思考」に支えられています。20世紀に構造主義ブームが起きてから60年が経った現在においてもなお、私たちは「野生の思考」を目撃し、経験しているのです。

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