「敦煌莫高窟に感動」記録者:山本甚吉隊員

画像1 歴史探検隊中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」⑼ 「敦煌莫高窟に感動」記録者:山本甚吉隊員  第4日目 楽しみにしていた敦煌に朝がきた。  マルコポーロが沙州を通過したときに莫高窟について見聞したことを「東方見聞録」に述べています。「そこには、多くの寺院、僧院があって、そこにはあらゆる偶像が所狭しと安置されており、人々は多量の犠牲を捧げてこれを信仰し、崇拝している」という記述があります。大勢の人々が朝薄暗いうちから徒歩やラクダに乗って参詣に出かけたと思います。※右から竹市、山本、片山、森嶋隊員。
画像2 6時半 探検隊は朝食。私は標高(1100メートル程度)が高いせいか若干足下に疲れが残っていて体調が優れませんでした。」 7時半 ホテルを出発しました。昨日のひどい砂嵐は収まっていて、曇り空でしたがまあまあの天気でした。  朝一番で映像センターのデジタル敦煌に入館しました。事前に方さんが映像の見やすい場所と次の移動に便利な席を教えてくれました。映像は第一室で「敦煌の歴史」を学び、第二室では「莫高窟の石窟」を学習することができました。
画像3 9時 シャトルバスに乗車をし、いよいよ敦煌莫高窟へ参詣です。バスは南に延びる一直線の専用道路を走行。車中から見る景観は、薄茶色の限りない砂漠です。所々に転石がごろごろと散乱しています。転石も砂嵐によって砂に覆われたり、顔をのぞかしたりしているのでしょう。 9時7分 大泉河に架かる橋を渡りましたが、水は見られません。伏流水になっているのでしょう。急に砂嵐が来て視界が悪くなりました。
画像4 時10分 「あっ、大泉河に水が流れている?」河川沿いには大きな転石がごろごろ。右側の砂漠の断崖も姿を現してきました。  砂漠の別天地がだんだん近づいてきました。白ポプラの木、楡の木など紅葉真っ 盛りに囲まれたオアシス莫高窟が目の前に迫りました。断崖の石窟は、僧侶が瞑想する閑静な修行の場として最適であり、聖地にふさわしい条件に満たされていると感じました。 9時20分 莫高窟駐車場に到着。バスから降りて大泉河の橋を渡り、トイレと水分補給の休憩し、その後に莫高窟のシンボル九層楼前の広場へ移動しました。
画像5 広場は大勢の観光客で大混雑、これではお経はできないぞ、と言い聞かせながらリュックから袈裟と数珠をを取り出して身につけて参拝の用意をしました。  平山郁夫画伯の祈念碑を確認しながら「ラクダの絵画」を思い出しながらあらためて莫高窟に参詣できたことを実感し、嬉しさがこみ上げてきました。
画像6 9時32分 九層楼を背景に全員の記念写真を撮影し、入場しました。ガイドの郭さんの案内で石窟の参詣が始まりました。大阪の旅行社のグループと仲良く一緒にガイドをしていただきました。砂嵐は収まっていました。  石窟は、礫岩の断崖(15から30メートル)に上下数段に重なり合い、水平方向(南北)に約1600メートルにわたり開かれていて、壁画や塑像のある石窟の数は492窟です。
画像7 礫岩は砂と小石を固めたような石質で粗いことから、石窟の中は泥土で地塗りを施し、表面を平らに整えて壁画を描いています。壁画の描かれている面積は延45,000平方メートルあります。  また、石質は彫刻に適していないので、粘土や木片などで塑像を作り、彩色を施しています。塑像は2000体以上あります。  一つの石窟が日本の一つのお寺に相当しているので、それぞれの石窟に特徴があります。ガイドの郭さんの説明をしっかりとメモしました。
画像8 第96窟 九層楼、北大仏 9時45分 石窟巡りが始まりました。 第96窟は沙州の大雲寺と考えられています。高さ34,5メートルに達する倚坐弥勒大仏が造営されたため、巨大な仏像を納めるための大仏窟が開かれました。窟内の天井は伏斗形とのことでしたが、私には暗くて確認できませんでした。高い空間の中、大仏の顔と胸部の前方にはそれぞれ明かり窓が開かれていますが、天候の条件が悪いので薄暗くてよく確認できませんでした。
画像9 第130窟 南大仏  第130窟は工事中です。金網越しに地下の作業箇所を覗くと、足場が組み立てられていて、その上で5,6人の作業者がいて丁寧に修復作業を行っていました。  ガイドブックによれば第96窟と同じように高さ26メートルに達する石胎塑像、弥勒倚座像が座すとあります。※写真はネットから。
画像10 第148窟 大型涅槃像  第148窟は、大型の涅槃窟で、釈迦涅槃像が納められています。長大な涅槃窟は、奥行き7メートル、幅17メートルの大きな窟に、西壁にそって高さ1メートルの台座を設け、その上に涅槃像が安置されています。  涅槃像は、石胎塑像によるもので、体長14,4メートル、頭を南に向け、足を重ね、手枕をして横臥しています。その南と北と西側に悲しみを訴える比丘、天人、聖衆の像が83体並んでいます。※写真はネットから。
画像11 第244窟 結跏趺坐釈迦如来  第244窟は、一辺7メートル、伏斗形窟頂を持つ大型の方形窟です。南、西、北の三壁に沿って低い「コ」の字形の須弥壇があり、西壁の中央に八角形の台座があって本尊が安置されている。本尊を中心として左右に二比丘(迦葉、阿難)と二菩薩が従う五尊像が出迎えてくれました。   本尊の塑像はずっしりした存在感と、お顔がふくよかで身体にも丸い張りが感じられて、仏の世界に導かれている雰囲気を味わうことができました。※写真はネットから。
画像12 第十七窟:蔵経洞のある三層楼  蔵経洞として名高い第十七窟は、第十六窟の甬道北側に開かれた小洞(高さ三メートル、一辺二,八メートル四方)の伏斗式天井の窟です。  河西の高僧洪辯の遺徳を讃えて、洪辯の逝去の後、弟子らが制作し、北側に横長の方壇を設け安置したという。※写真はネットから。
画像13 洪辯像の後方北壁の壁画は、樹木にかけられた愛用の鞄や水甁が入った袋があり、樹木の下にはふくよかな侍女が長い杖と布きれを持ち、比丘尼は団扇を持って洪辯を見つめています。   さて、蔵経洞に文書など封じ込められた原因などについては井上靖の「敦煌」をもう一度読み直したり、「敦煌」に関する資料を学習して当時の世界にタイムスリップしてみたい。※写真はネットから。
画像14 第一六窟:高僧洪辯が造営  第一七窟を過ぎて甬道を西に向かうと第一六窟に入ります。窟には、西壁を背にして阿弥陀仏の座像、両側に四体の菩薩像が安置されていました。この阿弥陀仏が最後となるので心の中で「仏説阿弥陀経」の最初の箇所を唱え手を合わせて「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」参詣できて満足感で幸せです。※写真はネットから。
画像15 特別窟題五七窟 敦煌一の美菩薩壁画  第五七窟は、大半が損壊した前室と主室からなり、主室は伏斗式石窟です。西壁に古い形式を踏襲した内外二層からなる複式龕に結跏趺坐する仏と二比丘四菩薩の七尊像の塑像が安置されていました。尊像は二四四窟の尊像と比較するとよりプロポーションが整い、頭部も体躯もやや細身になり、肩などの線が丸みを帯びていて厳つさも感じられません。菩薩像の瓜実顔は今までにない気品があり、上半身には豊富な胸飾りをつけていてより女性的に表現していると思いました。※写真はネットから。
画像16 菩提樹の下に阿弥陀仏と羅漢、菩薩、天人、金剛力士などが描かれています。全体に優しい落ち着いた雰囲気の中で、向かって左側の観音菩薩は宝冠や胸飾り、腕輪などの装身具によって美しく飾られ、薄物の裙を長くたれてたつ姿、伏し目がちの面立ち、曲げた手指のしなやかな表現は優雅でした。その上、腰を軽く曲げた姿勢は東方美にあふれるしとやかさと艶やかさを示し、敦煌一の美菩薩とよばれています。じっくりと鑑賞し、本当によい作品に出会うことができて満足しました。※写真はネットから。
画像17 11時20分 石窟巡りを終えました。それにしても窟内の壁画や塑像などの保存状態の良好なことにはびっくりしました。今日まで残ってきたのは、敦煌の風土・気候が極端に乾燥した自然条件が幸いして守られてきたのだと改めて感じました。  また、蔵経洞が発見された以降、敦煌莫高窟について研究する学者が多くなり次第に国際的に名高くなって、「敦煌学」を形成し、研究成果が発表されてきました。
画像18 ガイドの郭さんに「莫高窟」の案内をありがとう、とお礼の言葉を述べました。その別れ際に郭さんから「ぜひ、展覧館に立ち寄ってお土産をたくさん買ってくださいね。莫高窟の修復や研究に役立てますからよろしくお願いします」と言われました。※右から堀田、竹市、郭さん、笠原隊員です。
画像19 敦煌莫高窟展覧館:11時30分 展覧館に入館しました。大勢の人達で館内は賑やかでした。私は参詣した石窟の特徴、塑像、壁画について報告する担当でしたから参考となる図書を二冊購入しました。図書名は「敦煌・敦煌蔵経洞発見一〇〇年」と「敦煌・敦煌石窟・精選五〇窟鑑賞ガイド」です。
画像20 の二冊と郭さんの説明を参考にして記録をまとめることができました。なお、形山隊員からインターネット環境があれば敦煌研究院等のサイトにアクセスすると参考になる資料が入手できることを教えていただきましたが、私にはインターネット環境が無く残念でなりません。記録者 山本甚吉隊員

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