中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」⑧「天龍山石窟漫山閣石窟を見学して」

画像1 中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」⑧「天龍山石窟漫山閣石窟を見学して」記録者南城良子隊員 中国歴史旅二日目の午後、晋祠を見学後三台のタクシー(?)に分乗し、一路天龍山へ。ところが、このタクシーが凄いのって何の!今日本で問題になっているあおり運転、カーブでの追い越し、急ハンドル、急ブレーキ、クラクションの嵐等、日本では考えられない運転。まるでジェットコースターに乗っているような気分でした。私は三列目に乗っていたから良かったのですが、助手席に乗ってみえた山本さん、さぞかし怖かったことでしょう。
画像2 実は私、天龍山石窟は初めて聞く名前で何も知りませんでした。  天龍山石窟は、東魏(五三四~五五〇年)の時代から実力者高歓によって開削されました。これは、雲崗の石窟より百年後になります。高歓は天龍山に大丞相府を建てた他、避暑宮と石窟も作りました。高歓の死後、息子の高洋も石窟を開削しました。  隋から唐末、五代にかけてもまた石窟が開削されました。  このように五つの時代の石窟が開削されたのです。  主な石窟は東に一二,西に一三あります
画像3 これらの石窟、実は一九一八年(大正七年)日本人の関野貞(せきの ただし)博士の調査によって、仏教彫刻群が初めて世に知られるようになりました。  その後、多くの研究者や美術家が当地に足を運び、調査報告や写真集を発表した為、仏像の盗難が相次ぎ、石窟は多大な被害をうけました。更に砂岩という軟弱な石質の為、彫像は深刻な風化にさらされています。
画像4 私達は、まず天龍山石窟の一番の見どころ、西側九窟漫山閣に向かった。漫山閣は崖に建っていて、一五〇五年(明正徳初年)に建て替えられたと言い、今の建物は一九八六年に再建された、木造三造四重入母屋造りの楼閣である。中には、四体の仏像があり、中央の上層に弥勒菩薩像(坐像であるが約八メートル)、下層には十一面観音菩薩像(約八,八メートル)、左側には獅子に騎乗した文殊菩薩像、右側には象に騎乗した普賢菩薩像が立ち並んでいました。
画像5 お参りをしている時は何も感じませんでしたが、別の場所に行ってビックリ!!!漫山閣の建っている場所、断崖絶壁ではありませんか。たしか鳥取県の三徳山三佛寺投入堂という建物をテレビで観たことが ありますが、それより十倍以上のスケールでした。漫山閣より西側は修復中(?)なのか通行止めでした。
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画像8 私達は東側の二箇所でお参りをして山の中腹の駐車場まで降りました。途中何度も漫山閣を振り返り見て、瞼に風景を焼き付けました。  帰りのタクシーは行きと同じ車でしたが、少し怖い所はありましたが行き程ではありませんでした。
画像9 天龍寺山門
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画像14 天龍山石窟で盗難に遭った仏像、実は日本にもあります。京都岡崎にある藤井斉成会有鄰館に隋代の石造り金剛力士像、東京国立博物館に石造如来倚像(頭部欠))があり、根津美術館にも天龍山の仏像が所蔵されているそうです。 これらのように盗掘され世界中に散った仏像、元通りになるのは無理かもしれませんが、一つでも多くの仏像が元の場所に戻ることを願っています。

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