中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」⑬「五台山萬佛閣で読誦を」

画像1 「円仁は、最澄に師事し、八三九年遣唐使船に乗り、七月揚州に上陸。修行を終え帰国の途次に大風と逆風により海州に漂着し登州で下船した後、五台山をはじめとして一〇年に及ぶ在唐生活を送り八四七年に帰朝した」ことを学習していました。なんとしても自分の目で顕通寺の雰囲気を体感し記録と感想など記述したい、と思い結団式の席上で隊長にお願いして担当者にしていただいたのですが、残念。
画像2 中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」⑬「五台山萬佛閣で読誦を」令和元年10月24日記録者山本甚吉隊員一六時二〇分 私が担当する予定でした顕通寺が修復中のため急遽「万佛閣」を担当することになりました。  少し話がそれますが、顕通寺は、日本の天台宗の僧円仁が滞在して修行を積んだお寺で、五台山に現存する寺院としては洛陽の「白馬寺」(今回の旅で二九日に見学しました)とともに最も古いと」言われています
画像3 さて、万佛閣ですが、寺院の構成はポンチ絵のとおりです。  中国四大名山の聖地は、山西省の五台山と浙江省の普陀山、四川省の峨眉山と安徽省の九華山です。中でも五台山は中国において仏教伝来に伴ってもっとも早く仏教寺院が建立された地の一つです。  それに比べてこの万佛閣は明時代(一三六八年以降)に創建された寺院で、仏教が最盛期をすぎてからの建造物だそうです。
画像4 万佛閣正面には布袋様が祀られています。布袋様は唐代の禅僧。容貌は福々しく体躯は肥大で大きな腹を露出し、常に袋を担って喜捨を求めて歩いていたそうです。中国では、弥勒の化身と尊ばれていてその円満の相は好ましい画材として描かれています。  日本では七福神の一人として掛け軸の画材、彩色陶器の宝船に乗った置物あるいは金属製などの布袋貯金箱があって、身近にいる仏様として崇められています。
画像5 南正門にでーんとお座りになっている布袋様の右足をさすりながら「右腰、右ふくらはぎ、右足小指側の痛みを和らげてください」とお祈りしながら左回りで境内に入りました。 今まで見学した三つの寺院の中で最も狭い境内でした。
画像6 正面に扁額「龍王殿」。この建物には正面に獅子に乗った金ピカの本尊「広済龍王」が祀られています。通常は仏教では祀られないのですが五台山では特別に文殊菩薩の化身として扱われています。龍王には五人の息子がいて広済龍王は五番目の息子と言うことです。
画像7 金ぴかの広済龍王像は、清時代に粘土、わら、木材などで造られた塑像の上に金色の彩色が施されているということです。   広済龍王の堂内には西日が差し込み、像全体が一層黄金色に輝き、きらびやかさを感じさせました。西日効果抜群。探検隊をタイムマシンの乗せて一瞬光の中を西の浄土の楽園へお導びきくださり、極楽の世を心眼で観てすぐに娑婆の世界にもどってきました
画像8 なお、文殊菩薩は釈尊の左に侍して智恵を司どる菩薩です。日本のことわざに「三人寄れば文殊の知恵」。そういえば丹後半島の古墳の旅で天橋立にあった智恩寺の文殊菩薩の本家です。
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画像11 そしてよく聞き取れませんでしたが、広済龍王の右に文殊菩薩が、左に父親の龍王像がり、文殊菩薩と父親を敬うことから「五爺廟」と呼ばれているようです。ここで今回の歴史旅で初めて円仁を思いながら阿弥陀経を読経しました。  この後、万仏堂により一万体の小仏に、歴史探検隊が大きな災害にあわなようにお願いしました。合掌。※右が山本甚吉隊員です。左は武藤晴彦さん、奥は森島茂樹さんです。
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画像14 参拝後に腰につけている測定器を観ると海抜八五三メートル、気温七.四度、湿度三三%でした。  万仏閣正面から出場するときもよくばって布袋の右足をすりすりして門前広場の集合場所へ向かいました。二五分間の見学で一〇分も読経で時間をとられましたから大変忙しい見学でしたが、十分満足しました。  ただ、一つ残念なことが、お土産用に「五台山図」を手にいれたかったのですが、観光シーズンが終わりにちかいこともあって、仏画・仏具のお店も閉店していて入手出来ませんでした。

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