中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」⑮日誌令和元年10月25日その1

画像1 中国歴史旅「雲崗石窟と龍門石窟」⑮日誌令和元年10月25日その1記録者山本甚吉隊員 四時五五分 仲良く起きて「おはようございます」の挨拶で一日が動き始めました。室温二一・二度、湿度三三㌫  七時 朝食です。お坊さんの朝食に近い料理になっていていい経験でした。馬さんと食後のコーヒーを楽しんでいたら、女性従業員が近づいてきて馬さんと楽しそうに会話をしていました。馬さんが、「山本さんは、広東省か香港あたりから来た人ですか」ということで中国人と間違われたようでした。
画像2 七時三〇分 ホテル売店で五台山来訪の記念としてしおり四枚百元を九〇元で購入しました。  ひんやりを通り越した寒い朝です。空は青空、白樺の木が生い茂って朝日が差し込まないので薄暗く感じました。※左から薮下賀代子隊員、野呂通子隊員、武藤智子隊員、そして白木一利隊員です。
画像3 七時五七分 バスが出発。今日最初の目的地の応県木塔までは約四時間の道のりです。  昨日と同じ道を五台山SAまで戻ります。最後尾に私と形山さんが陣取り、前には熊田さんと南城さんが座りました。四人で昨日の見学した寺院、途中で発生したハプニングなど思い出しては笑ったり、退屈することなく過ごし、車内でうとうとすることもありませんでした。
画像4 八時四〇分 雑談が続いた後、午後一番に見学する「応県木塔」への行程とか、中国の地質についての話に花が咲きました。  そのうちに陶器が話題になり、私は平成六年頃に、岐阜市歴史博物館で薮下隊長の「縄文土器講座」を受講して縄文土器を制作していたことを聞いていただきました。  八時五〇分 バスは青空の下を五台SAに向かって走っています。出発から一時間、車内はだいぶ静かになってきました。
画像5 九時七分 五台SAに到着、トイレ休憩。車外で鄧さんと山西省の地図を見ながら時間とバスの速度を計算して「応県木塔」までは、残るとことろ一八〇キロと推測しました。  一〇時八分 本線の高速道路に入りました。道路標識がありました。C338。忻州ICを通り抜けていきます。
画像6 一〇時三二分 高速鉄道と高速道路の交差点を過ぎて数秒後、右手に太原から北京に向かう高速列車和諧号が走って行きました。なんだか運が良くて得をした気分になりました。 一〇時四一分 左手、山の斜面に見え隠れする風車が見え始めました。資料によると勾注山脈が左手からバス前方に続き、そして右手へと山脈が続いています。
画像7 一〇時四八分 車窓から延々と風車が続く風景が見えます。稜線の上にも風車のプロペラの先端が見え隠れしているので、尾根の向こうにも風車がたくさんあるのだと思います。  一一時五分 いくつものトンネルを抜けてきて左右の尾根を見ると「万里の長城」と「のろし台」が目に入ってきました。
画像8 一一時一〇分 応県の盆地に下ってきました。盆地を貫く河は「黄水河」です。しばらくして北京に流れていく本川の「桑乾河」の橋梁を通過しました。  一一時二六分 右手で広い範囲にわたり野焼きが行われていました。右手前方には青空に白い綿菓子の雲が浮かんでいます。その下の山波が「恒山山脈」です。「北岳恒山」は、中国五岳の一つで「東岳泰山(探検隊は平成二九年登頂)、「西岳華山」、「中岳嵩山」、「南岳衡山」と並び称され道教の聖地として知られています。
画像9 一一時三五分 康庄服務区東区(超市)SAに到着、トイレ休憩。ここでもお土産を買うつもりで馬さんのお勧めの「金銀花」(潤喉糖)を一箱一五元を六箱購入しました。日本なら薬草入りのど飴です。  一一時五二分 出発。車内温度二二度、湿度三一㌫  車内は快適ですが湿度が低いので喉が渇きます。こまめに水分補給しないと脱水状態になる恐れがあるので気をつけています。
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画像11 ※左から南城、山田、松岡隊員
画像12 一二時一八分  ホテル応県国利酒店に到着。昼食のメニューをご覧ください。  昨日の五台山では精進料理ですからまるごとの魚料理はありませんでした。これからはじまる昼食会では大きな魚が出てきました。  魚の好きなわたしにとっては、大皿に丸ごとの煮魚は布袋様に見えてきます。私も下腹が出ているし、頭は坊主頭で、大きな袋ではありませんが、ナップザックにショルダーバッグを背負ったりかけているので布袋様に似ていると自分でも思っています。
画像13 一三時 トイレを済ませてホテル前に集合。参道らしい道路の脇には観光客相手のお土産屋さんが数多くあり、なるべく声をかけられないようによけながら「応県木塔」の正面広場に向かいました。  一三時五分 応県木塔前を背にして記念撮影。海抜八五四㍍、気温一九度、湿度二一㌫  応県木塔の記録担当者は山田久典隊員です。お楽しみください。
画像14 私もメモ帳に興味を持ったことをメモしていました。 ・応県木塔の正式名称は「佛宮寺釈迦塔」。 ・応県木塔は世界三大奇塔の一つです。残る二つは、ピサの斜塔、パリのエッフェル塔ということです。応県木塔は少しかた向いていて、昔は入れたようですが今は中にははいれません。
画像15 ・応県木塔の背後にある佛宮寺に鎮座する金ぴかの布袋様、唐代の禅僧奏がこんなにも大勢の人々(観光客)に慕われているのだと思いました。五台山でも参拝客はいましたが、それほどではありませんでした。ここの参拝客が多いのは、大都市に近いことと、海抜八五四㍍、気温二〇度という秋たけなわの時期が幸いしているのかなと思いました。金ぴかの布袋様の眼をじっと見ていますと気力がわいてきます。この気力こそこれからの生活でぶつかる病気などの苦痛をやわらげてくれたり、認知症一歩手前で救ってくれる力になると思います。

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