歴史探検隊中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」⑪ 日誌平成30年10月20日(土)

画像1 歴史探検隊中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」⑪ 日誌平成30年10月20日(土)記録者:石井美枝隊員 7時、朝食のはずがなぜか、薮下隊長スリッパで登場。どうもカードキーの部屋閉じ込めをしてしまった。フロントで全く英語が通じず、馬さんも不在でバタバタだ。  小柳津さんや亀山さんの奮闘でやっと、解決したのに今度は、松岡さん。カードキーのカバーだけ持ち集合場所へ、カードキー部屋閉じ込めの第二弾でした。 7時15分やっと朝食にありつけました。 8時5分 気温7度、永靖県炳霊寺に向けて出発しました。
画像2 時、荷物を持って集合、朝食のはずが…。なぜか、薮下隊長、あたふたとスリッパで登場。どうやら、カードキーの部屋閉じ込めをしてしまった様子。フロントでは、全く英語が通じず、馬さんも不在でバタバタだ。  小柳津さんや亀山さんの奮闘でやっと、解決したかにみえましたが、今度は、松岡さん。カードキーのカバーだけ持ち(肝心のカードキーを抜かず)集合場所へ、カードキー部屋閉じ込めの第二弾でした。 7時15分やっと朝食にありつけました。
画像3 時5分 気温7度、今にも泣きだしてきそうな天気。永靖県炳霊寺に向けて、ほぼ定刻通りに出発しました。 9時15分 山道の登り坂が続く中、柳などの並木道が綺麗に植林されている。かなり高度が上がっているのか、耳が痛くなってきたので早々に、飴をなめて耳ぬきをしました。 9時22二分 見る見るうちに霧が発生し、視界が悪くなる。しかし、慣れていつものことなのか、マイクロバスは減速せずにぐんぐん進む。
画像4 10時50分 何陽に到着。ここから、高速艇に乗船して、炳霊寺に向けて出発。気温12度、少々肌寒い。劉家峡ダム湖の水の色はやはり黄河色、茶褐色で少し残念。
画像5 11時35五分 気温10度、船の屋上に出てみる。行ったことはありませんが、桂林の風景をほうふつとさせる景色が目に飛び込んできました。枯れたトウモロコシ畑が広がっていて、晩秋のものがなしさをかもしだしていました。 11時45五分 船着き場に到着、下船しました。※石井美枝さんと慎一さん
画像6 2時10分 船上レストランにて昼食。全9品目ほぼ炒め物。私たち日本人のなじみの味で、とくにご飯は、絶妙な炊き方でとても美味しく、いつも大量に残るのですが、今回は足りないほどに。みんな口々に「日本人のコックさんではないのか?」と疑うほどの味付けでした。
画像7 十三時 炳霊寺山門 気温十一度、洪水の爪痕で流れ込んだ土砂の撤去作業で、トラックが行きかい、足元はドロドロで歩きにくく、特別窟の参観は断念となったのが残念でした。
画像8 弥勒大仏
画像9 参観の帰路、姉妹が漁にでた父を待ち続けて岩になったという姉妹岩と名付けられた二人並んでいるように見える岩をみました。それから山門の手前の岸壁にへばり付くように建てられているお堂があるのですが、ここは道教の寺院で炳霊寺のお堂ではありませんでした。現在の炳霊寺はもっと上流にあり、チベット仏教としてつづいているということです。僧侶たちは自給自足の生活をしているそうです。 この石窟のある道教のお堂をみていると、
画像10 鳥取にある三徳山三佛寺投入堂を思い出しました。修験者が修行する投入堂、ほぼ、登山に近い参拝ですが、修験体験ができパワーをもらった感じがしました。炳霊寺では下から見上げての参拝におわりました。 十四時四五分 乗船し帰路につく。心配した雨も傘を使うことなく参観できました。少々疲れた体をシートに横たわらせてホッと一息、窓の外に目をやると山々にヤギ(ヤク)の群れが…。あんな急こう配のところにも点々と点在。思わず、『アルプスの少女ハイジ』のペーターを思い浮かべました。
画像11 15時35分 下船しバスで蘭州市に戻りました。 18時45分 夕食で隊長が、いつもはビールだけでしたが初めて白酒(52度)を注文してカンペイ。旨みがありとても美味しくいただきました。今日の疲れが一気に吹き飛んでいきました。 20時30分 ガイドの田さんにスーパーマーケットに連れて行ってもらいましたが、閉店時間もせまり、慌ただしい買い物でした。 21時55分 ホテルに帰着しました。

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