歴史探検隊中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」全20回終わり

画像1 歴史探検隊中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」⑳ あとがき令和元年7月20日記録者:岐阜市歴史探検隊隊長薮下浩 「中国敦煌莫高窟と宝鶏市太白山歴史旅」の記録集を最後までお読みいただきありがとうございます。
画像2 歴史探検隊は、平成二一年、二四年、二七年と二九年に四度の中国歴史旅を実行してきました。その記録は「中国宝鶏市岐国探求の旅━岐山の麓に遙かな三千年の歴史を夢見て」や「日中友好碑文交換五〇周年記念━中国杭州市・宝鶏市歴史探訪の旅」、そして「中国陝西省宝鶏市友好の記録━中国絹の道・古代遺跡の旅」、「岐阜のルーツ曲阜と水の都杭州を巡る旅」としてお届けをしてきました。
画像3 五度目の歴史旅の参加者は一八名で、初めての参加者は一〇人、女性は七人でした。  歴史探検隊の毎回の中国歴史旅では、宝鶏市外事弁公室の馬立群氏にお世話になるのですが、今回もすべての行程でご面倒をおかけし、誠にありがとうございました。  何回も中国歴史旅を重ねる中で、歴史や小説で学んできた敦煌莫高窟への あこがれが強くなり、私自身としてはとうとう八回目の中国歴史旅で莫高窟訪問を実現することができました。
画像4 今回の旅では、宝鶏市から高速鉄道和諧号で西へ約一五〇〇キロメートル、嘉峪関に到着し、さらにマイクロバスで敦煌を目指しました。  敦煌に到着した一七日はゴビ砂漠が猛烈な砂嵐で砂漠のオアシス月牙泉で期待していましたラクダの散策もできませんでした。追い打ちをかけるように細かな砂がカメラ内部に入り翌日には撮影ができなくなりました。 莫高窟の詳細は山本隊員の二〇ページになる記録をお読みいただければ感動していただけるでしょう。
画像5 今回の歴史旅では万里の長城最西端の嘉峪関城、懸壁長城や月牙泉、莫高窟を見学し、蘭州の白塔や黄河第一橋、宝鶏市の太白山などを訪問しましたが、最っとも感動したのは蘭州劉家峡の最奥部に存在した「炳霊寺石窟」です。  蘭州の南西百キロメートル、黄河の北岸の峡谷の中、大小一八三の石窟が掘られており、その大部分が唐代ですが、最も古い窟は西秦時代までさかのぼります。
画像6 両岸から迫ってくるごつごつした岩山は、「黄河石林」と呼ばれ、切り立った岩山が林立しています。天に屹立する岩山の風景は、まるで桃源郷に迷いこんだような気持ちになりました。  炳霊寺石窟は、莫高窟ほどの大きさと派手さはありません、静寂の渓谷の中に数多くの石窟が顕れ、感動する仏像や壁画を目の前に見ることが出来ます。その素晴らしさは形山隊員の記録をお読みいただければ納得をしていただけると思います。蘭州を訪問する機会があれば是非ともご覧いただきたい石窟です。
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画像8 岐阜市歴史探検隊では、令和元年一〇月二二日から三〇日まで残る二カ所の石窟を巡る歴史旅を開催します。ご期待ください。
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画像10 最後になりますが、この記録集の制作にあたり山本隊員からご厚志をいただいています。ありがとうございました。
画像11 岐阜市歴史探検隊の中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」全20回をお読みいただきありがとうございました。まだまだ中国旅は続きます。ご期待下さい。参加者18名全員を紹介します。令和6年1月22日 薮下浩
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