歴史探検隊中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」⑲ 蘭州市白塔山公園と黄河第一橋を見て

画像1 史探検隊中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」⑲ 蘭州市白塔山公園と黄河第一橋を見て平成30年10月19日(金)記録者:堀田文夫隊員 旅行5日目の朝は、嘉峪関南駅を八時半過ぎ出発し、高速鉄道(D列車:最高時速は200キロメートル)に乗り約5時間の13時半に蘭州西駅に到着。
画像2 蘭州のガイドは田文革さん、バスに乗って「ようこそ蘭州へ、甘粛省の人口は約2600万人、面積は45万平方キロ、日本のよりも広いけれど四分の一が砂漠です。蘭州市は甘粛省の省都で、人口は320万人。漢民族が88パーセント、残り12パーセントが少数民族のムスリムの回族、チベッなト族、モンゴル族など36民族で、そのため生活や宗教も多様です。蘭州市は石油化学、鉄鋼など工業都市です。漢方医学やチベット医学の製薬企業もあります。一番大きな産業は、隣の青海省産原油のほとんどを精製している石油コンビナートです。」
画像3 田さんは商社にいて日本との交易もしていたが会社が政府方針で閉鎖され、ガイドになっためか日本語は分かりやすい。  途中レストランで昼食をとり、白塔山公園に到着したのは16時前。雨はあがりそうで傘に迷うなか田さんは「皆さんは嫌がるけど、蘭州の人は恵みの雨と喜んでいます。白塔は山の上、皆さんがんばって登りましょう。」
画像4 途中、見上げると30メートルほど切り立った崖の上空にせり出す朱色の幅広い建物が見えるが頂上ではない。  石段の次は石畳の坂道、樹木が茂り息を切らしながら登って下から見えた朱色の土壁に囲まれた尼寺の法雨寺に着いた。間口の狭い門から入ると石畳で敷き詰められた境内はそれほど広くない。本堂に向かい隊員の山本さんが読経されるのに合わせ合掌。本堂の欄干にはマニ車もあ りチベット仏教的な感じがした。
画像5 寺の裏手を階段石畳は続き、東屋に着いて一息。下方は黄河の流れと中山鉄橋や対岸の市街地の高層ビルがよく見える。見上げると急な石段が続き先に白塔が見える。欄干につかまり登り、振り返ると黄河まで直に転げ落ちそうで足がすくむ。   やっと白搭寺山門に着いたが閉門され、左側の坂道伝いに登って境内横からラマ教の白搭寺に入った。  白搭は7層8面で高さは17メートル、チベット仏教と中原仏教の融合した搭だ。白塔北の礼拝所で大きな線香を供えて山本さんの読経に皆が合掌した。※右端は堀田さん
画像6 白塔前で記念撮影
画像7 山頂にあるので眺望はよい南方は黄河と市街地。北方には200mほど隔てた山の中腹の切り立った崖の土壁にドアやガラス窓の見えた。田さんは「ヤオトンです。水道・電気も設置され裕福な人が居住しています。私は子どものとき住んでいて、学生寮もヤオトンで中は暗いのですが広いです。」現在も使われているのに驚いた。  登ってきた道をゆっくり下って回廊まで降りた。
画像8 回廊からは河岸に直接降りる。途中、交安の表示のある監視カメラがこちらを向いている。景色を撮るふりをしてビデオカメラに収めた。  橋は「黄河第一橋」、黄河に架かった一番目の橋の意味。今の名前は「中山橋」(チュウサンキョウ)、中山とは孫文のこと。長さ233メートル、幅7・5メートルのアーチ式橋である。建設当時の中国は技術がなくドイツに頼んで1909年に完成した。造るのは大変で材料と同じ重さ相当の銀貨や、セメントはアメリカからなど、多額の経費や時間もかかった。今は人と自転車は通れるが自動車はだめ。
画像9 橋から見る河面は、水量が多く川幅いっぱいにさすが黄河の色濁流が流れている。市街地のある対岸の「黄河第一橋」記念碑から先ほど行った山に白塔が見えた。   今回の旅で自分の不注意で足をケガして皆さんに助けられて辛うじて帰国できた。  本当のことを言うと格好悪いので、砂嵐の砂漠でラクダに乗って落馬(駱駝)してケガしたと報告している。  隊員の皆さん本当にご迷惑をお掛けしました。

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