歴史探検隊中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」⑧ 日誌平成30年10月18日(木)

画像1 歴史探検隊中国歴史旅ノート「敦煌と太白山」⑧ 日誌平成30年10月18日(木)記録者:小柳津順子隊員 五時三〇分 モーニングコール。 六時三〇分 朝食、今回の旅行中、唯一朝食バイキングではありませんでした。熱すぎて持てない程のゆで卵で、お塩を頼んでいないのに最初から付いていました。 七時二〇分 ホテルロビーに集合。ここで本日見学の特別窟四五と五七石窟の見学代合計四〇〇元を方さんが徴収をしました。 寒さは殆んど感じない気温でした。バスに乗り、デジタル展示センターに向かいます。※中央が小柳津隊員
画像2 方さんの説明では、莫高窟の始まりは、楽僔が敦煌で突然金色の光の中に千仏が現れたので、その場所に石窟を開削してから元代まで千年間も次々と開削が続いた、ということです。敦煌には九色の鹿の話が伝わっています。昔、川に落ちた男が九色の美しい鹿に助けられました。その鹿は自分のことを絶対に公言しないようにと言い、男は約束しましたが、のちに欲に目がくらみ鹿を裏切った、というストーリーでその鹿は前世?とのことでした。その壁画が二五七石窟にあるそうです。
画像3 七時五〇分 デジタル展示センターに到着。その建物は低層階で横に広く、色も形も砂漠をイメージしているように見えました。入口でチケットとパスポートをチェック。日本語音声ガイドを借りて中へ。横長のシアターで席数二百席ぐらい。一番後方席に座った方が見やすく、次のシアターの移動時、再び後方席に座りやすいとのことでした。一つ目のシアターは莫高窟の始まりをわかりやすい映像で解説。二つ目のシアターは莫高窟二八五号、四二八号、四二〇号、二二〇号、四五号、六一号、一三〇号の映像と解説。三百六十度のスクリーンで大迫力でした。
画像4 八時五七分 デジタル展示センターを出て莫高窟行のバスに乗車、四〇名乗り位のバスでほかの観光の方々と一緒でした。 九時一一分 莫高窟の近くに到着。バスを降りて歩いて橋を渡り、いよいよ莫高窟へ。橋から向かって右側に北窟があり、かつては住居や宿泊施設。現在は発掘調査中で解放されていません。
画像5 九時三〇分 気温二一度、曇り。トイレの前に全体の案内図があります。  莫高窟、以前は岩がむき出し状態でしたが、現在は岩の崩落を防ぐ為にコンクリートで固め、入口の扉が取り付けてあります。その扉の右側にQRコードもあり、コンクリートの参道も造られています。
画像6 莫高窟の写真でトップに出る九層楼の前で、皆さん全員の記念撮影。この九層楼、見た目は七層に見えます(二層が隠れている)。その九層楼の前左側に、莫高窟文化財保護及び研究者育成奨学金に大きな貢献をした平山郁夫画伯の石碑がありました。
画像7 ゲートでパスポートチェックを受けて中へ。莫高窟専門ガイドさん登場。お名前は馬美齢さん。身長一六八センチ位で体系はぽっちゃり型。年齢三〇代前半くらい。京都に一年位留学経験がありますが、一切関西弁は出てきません。  石窟は、一五~三〇メートルの断壁に南北一六八〇メートルに並び、南北に分かれてます。石窟は撮影禁止。外観の撮影はOKです。その内、四五号と五七号は各々二〇〇元も払ったのに、中に入って五分もたたないうちに外へ出なければならない。
画像8 途中、NHKの撮影クルーの方々に遭遇。東京芸術大学で美術史専門の前田准教授がいらっしゃった。また、九州からお一人様ツアーで全員で一二人の観光客にも会いました。外国人もつぁくさんきていました。
画像9 一一時五〇分 莫高窟敷地内の書店へ。  集合時間までわずか一〇分の中でお土産を探しました。すると莫高窟のガイドブックで日本語も載っている本があると聞き、三冊購入。このガイドブック、帰国後楽しみにして見たら、オール日本語。どうやら日本で出版された本のようで、最新版と言われ購入したが、発行は一五年前の物でした。(かなり凹んだ)
画像10 左が莫高窟専門ガイドさん登場。お名前は馬美齢さん。身長一六八センチ位です。白木・熊田・片山さんです。
画像11 一三時 ランチの場所、龍鑫園到着。今回の旅行での初登場メニューは、鶏肉のフリッターエビチリ風、パクチー入りトマトスープ、シシカバブ、ジャージャー麺等。ビールは青島ビールノーマル。
画像12 食事中、ガイドの方さんがカシミアストール一六〇元、シルクストール長方形一八〇元、同じくシルクストール正方形を販売。これを売らないとボーナスに響くとの事。三名の方が購入。中にはおひとりで二枚買われた方もいらした。
画像13 一四時 敦煌博物館着。  パスポートと手荷物検査。莫高窟内部は全て撮影禁止ですが、この博物館内は撮影は大丈夫です。展示室は二階に大きな部屋が二つ。漢代~現代までの敦煌の歴史を数々展示。
画像14 レプリカで石窟を見学できます。
画像15 一五時二分 夜光坏工場見学。  夜光坏の説明を聴きました。夜光坏は鉄分を含む墨玉で作る。満月の光で磨く。戦いの時、お酒を飲んで戦いの前に坏を捨てる~馬上坏とも言う。  夜光坏の製造工程は三六のプロセスがあります。仕上げは一週間かけてダイヤモンドで磨く。鉄分を含む為、磁石がくっつく。夜光坏に水を入れると表面張力が起こり、一ミリ位浮きます。説明後、併設されている夜光坏と宝飾品やスカーフ等、小物のお店に入る。
画像16 高速道路からの車窓はずっと殺風景な景色、建物もほとんどない、辺りは砂漠で非常に視界が悪い。広い平坦な土地に、こんもりと土が所々に盛られている。これはお墓で、この辺りは土葬とのことでした。しばらく走ると綿畑が見え、十人位で手作業していました。 一七時二分 トイレ休憩(道の駅)。  広いところで、メロンやスイカ、お茶やドライフルーツが並ぶ。同じようなお店が一〇数件あった。(メロンの試食あり。馬さんとドライバーさんが試食。ドライバーさんはラグビーボールの様な形のメロンを一個購入
画像17 この道の駅のトイレはよくないと、ドライバーさんのお話。このトイレはドアがなく、足元にブロックが渡してある。見学はしたものの恐くて入れない。
画像18 この道の駅のトイレはよくないと、ドライバーさんのお話。このトイレはドアがなく、足元にブロックが渡してある。見学はしたものの恐くて入れない。
画像19 二〇時二〇分 嘉峪関インター。 二〇時二八分 ホテル着。外気温十四度、お腹はペコペコ。 二〇時三〇分 ホテル隣接のレストランで遅い夕食。定番のお料理で、その中で美味しかったのはスイカだった。ビールは青島ビール(晴爽)。 二一時三〇分 ホテルの売店でお買い物。  売店の方々、全く言葉が通じないが雰囲気でプライスダウンしてくれた。娘達のストールを購入。その時、商品をよく見ていなかったのがいけないが、これまた日本製だった。帰国後、娘達に逆輸入と言われました。

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