賞味期限は切れた模様
政治じゃないよ歴史だよ! (などと詭弁を弄してみる(笑))
`23.10/31 バルフォア宣言の効力が切れたとか。
31日14時過ぎに確認された、イスラエルの文字が消えた中国サイト上での地図
中国の検索サイトで検索するとイスラエルの名が消えている。バルフォア宣言の効力が切れたという事を暗に示している説。
その後ロシアでも同様の事態が確認されたとのこと
パレスチナの地を混迷化させたイギリスの三枚舌外交。一応、文章上理屈は通っているらしい。
『一応の概略』
1914~`18 第1次世界大戦
「三国同盟」vs 「三国協商」から広まった大戦
・三国同盟
(中央同盟国 とも):独・伊・オーストリア=ハンガリー 〈以下同盟国〉
・三国協商
(連合国とも):英・仏・露〈以下協商国〉
▫11月 同盟国にオスマン・トルコ帝国が付く
「フサイン=マクマホン協定(書簡)」
オスマン帝国に弾圧され独立したいアラブ人と英との協定。
アラブ人はオスマン帝国と戦い、英は戦後アラブ人の国を作るというもの。
「サイクス=ピコ協定」
三国協商によるオスマン分割協定。
「バルフォア宣言」
戦いが長引き金欠気味になってきた英が、「ポグロム」(露のユダヤ迫害運動)等で自分の国が欲しいユダヤ人との間で行った約束
金銭援助の代わりにパレスチナの地を確保するとのもの。
『1次大戦に勝利した英国』
「さあ、パレスチナの地について講和会議をしよう!」
「話し合うもなにも、ここは俺の土地だろ?」と仏、アラブ人、ユダヤ人
▫1920年 「サン・レモ会議」仏パレスチナから手を退く
・アラブ人サイド
アレッポ・ダマスカス以西は国の範囲から除くとのフサイン=マクマホン協定
その以西にパレスチナの地は含まないと思っていたアラブ人と思ってた英。
解釈の違いなんだとか…
▫1920年 大戦後、英、パレスチナをアラブの国から除くとシレッと解釈変更。
・ユダヤ人サイド
ユダヤ人「バルフォア宣言には、”イギリス政府はパレスチナにユダヤ人のための国が建設されることを好ましいものと見なす”と書いてある」
英「いや、この文を素直に読めば、”イギリス政府はパレスチナの中にユダヤ人のための民族郷土が建設されることを好ましいものと見なす”となるよ」
「パレスチナ全土に(on)じゃなく、パレスチナの中に(in)」
「国(State)じゃなく民族郷土(a national home)」
なんだとか。 (※該当箇所の原文は以下に)
戦後、パレスチナに国を作るのはオカシイとアラブ人に突っ込まれたときは
「国じゃなくて居住地です」と切り抜けたが、1920年の解釈変更後は額面の上では矛盾は無くなったのだとか。
その後、イスラエルは建国宣言をしたり、中東戦争が続発したりと不安定な状態が続くこととなる。
『バルフォア宣言』抜粋
His Majesty's Government view with favour the establishment ”is ”Palestine of ”a national home ”for the jewish people
バルフォア宣言…第一次世界大戦中の1917年11月2日に、イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、イギリスのユダヤ系貴族院議員であるロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルドに対して送った書簡で表明された、イギリス政府のシオニズム支持表明。
参考動画
ほとんどこの動画を参考にしましたなのだ↓
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