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私で居ること


絵が上手く描けない。
歌が上手くない。
スタイルが良くない。
センスがない。
趣味がない。

私の欠点。まだまだある。
私には何も誇れることがない。

今まで生きてきた中で長く続けてこれたことは小学校の習い事ぐらい。
それも卒業までは続ける約束だったってだけ。

部活も中高同じスポーツをやっていたわけではないし、何かひとつ他の人より長けているものがなかった。


履歴書の特技欄。「特になし」
それを書いている自分すら欠点に感じる。

「なんで何もやってこんかったんやろ。」
「まあやっててもそこそこにしかならんかったか。」

自分に期待すらしていない。
性格上、続けることは出来るけど極めることは出来なかった。
私が1番私の性格を分かっている。

なんでもやってみることは出来るけど、向上心がない。
向上心はないくせに他人と自分を比べてしまう。
自分が嫌で嫌で仕方ない。
あまりに無力で、無知な自分。
私は無。無な人間。自分が無力なことを知り、無気力になる。無に無を重ねる。

表面では元気な自分を繕っているけど、内心はずっとこう。ひたすらに自分が嫌い。
何も出来ず、この世界で何の力も持たない。
存在意義さえ考えてしまう。


これは今までの私。
書いてるだけでイライラしてくるのでここら辺で止めます。

この考え方が変わっていったのは高校を卒業してから。
今まで小中高と大半が顔見知りの小さなコミュニティだったものが、一気に大きく広がった。
大学は決められたコミュニティだけど、サークルやバイトは自分から見つけるコミュニティ。
自分に合わないと思えば、辞める選択肢があった。

なにより色々な人に会ったことが1番の変化だった。
人の分だけ性格、考え方、人生がある。
話す人が増えれば増えるほど、私が触れる考え方も増えた。
自分と歳が離れている大人や歳が近い大人。
そうこうしているうちに自分も大人になった。

大人になると不思議なもので、今までの自分を振り返って客観視することが出来た。

辛かった時はなぜ辛かったのか。
当時の私は何に悩んでいたのか。

大体が「人と比べていたから」だった。
受験の時、友だちは推薦で決まったけど私は一般で受かるのか心配だったり、友だちがたくさんいる子のインスタを見て自分に友だちが少ないことを落ち込んだり。

些細なことだけど、当時の私にはとても辛かった。もっと早く気づけていたら楽だったのかな。


手始めに私はインスタを消した。
1番自分と他人を比べてしまうのがSNSなことを分かっていたから。
元々写真を撮るのが好きなわけではないし、マメでもないし、SNSに向いていないことは気づいていたけど、置いていかれるのが嫌で頑張っていた。
とりあえず自分だけの生活を送ってみようと思った。ただひたすらに、がむしゃらに。

新生活が始まったのもあって、SNSに目を向ける暇がなかった。タイミングが良かったのかもしれない。結局大学の子と情報交換のためにインスタのアカウントは作り直したけど(笑)

他人と比べない生活は楽しかった。
「これをするのが好き」
「意外とこれが出来る」
新しい自分がいた。なんだかキラキラしてた。生まれてから今までずっと同じ私なのに。

今まで画面越しに見ていた他人を直接見るようになった。比べる他人じゃない。私とは違う人間として。この人たちひとりひとりにもそれぞれの人生があるんだな〜なんて思ったりして。


バイト先の店長に「特技なんかある?」と聞かれたことがあった。私は思い当たらなかったし、自分に特技は無いと思っていたから「ないですね」とほぼ即答した。「ちょっと出来るかな〜ぐらいもない?」と言われて「んー、しいて言うなら暗算とかですかね(笑)」と答えた。

「暗算できるん!?使えるやん!」と思ったよりデカいリアクションで返ってきたもんだから、「いやそんな言うほどできないです」からの流れでその場にいた私含む3人でフラッシュ暗算してみることになった。(←今考えてもなんで?)
私は小学校でそろばんを習っていたので3.4.5桁までの暗算ならまだ出来る。(多分そろばんやってた人大体出来る)それが他2人には衝撃だったみたいで嘘みたいに褒めちぎられた。しょうもない特技だけど、このことで自分の能力を自分で否定していたことに気づいた。

自分の中で当たり前のことも他人にとったらそうじゃない。これは良い意味にも悪い意味にも捉えられるけど、今回は良い意味の方で。この考え方でいくと私の特技もっとあるかも、と思い始めた。
もっと自分を知りたくなった。知ろうとしなかった部分。もっと良いとこあるはず。その証拠に今、私の周りには大好きな人たちがいる。それはきっと私の良い部分を知ってくれているから。思い込みかもしれないけどそれでいい。私は周りの人たちの良い部分たくさん知ってる。


そこからだんだんと自分を肯定してあげられるようになった。まだまだ好きじゃない部分はあるけど伸び代やもん。人間完璧である必要ないし。ちょっと抜けてた方が愛嬌あって可愛くない?


前向きに考えられるようになった頃に出会ったのがSEVENTEENで、今私がいるこの場所。
このコミュニティも私が自分で見つけたコミュニティ。居心地が良かったから辞めなかった。てか辞められなかった。全部が新しくて楽しかった。

元々スタダのアイドルが好きでドルオタはしてたけれど、ファン同士でコミュニケーションを取る意味が分からなかったし、勝手にCDやグッズを買ったりコンテンツを見ればいいと思っていた。そもそもTwitterすらやったことがなかった。だからSEVENTEENを好きになってしばらくは近くの友だちとひっそりオタクしていた。

長く続けてきたアイドルオタクの人生で、K-POPは全てが新鮮で未知の世界だった。アルバムにトレカが入っていること、そのトレカを交換すること、カムバと言って新曲が出るまでに少しずつ情報が解禁されていくこと。

そして段々とSNSがないと拾えない情報や写真があることに気づいた。とりあえず情報収集のアカウントを作って、すぐに鍵をかけた。Twitterをどうやって使えばいいか分からなかったし、SNSにまだ引け目があったので。
最初は交換に手を出してみた。(言い方)見ず知らずの人だけど「SEVENTEENが好き」ということだけを知っている取引相手。交換ってとても文章が固くて他人行儀だけど、同じ人が好きな共通点があるだけでなんだか親近感が湧いた。
徐々に交換に慣れてきてSNSの感覚も取り戻してきたので、自分の意見をつぶやくアカウントをしてみようと思った。ほんとにひっそりひっそり。最初数ヶ月は「やっぱり人と比べちゃうから·····」と思い、たま〜に開く程度だった。

そこであったのがDREAMのオフラインイベント。
楽しみな反面、まだ好きになって間もない私は不安だったので、同じ部の同じメンバーに並ぶ人を探してみた。1人見つかって、当日時間前に待ち合わせて一緒に並ぶことになった。めっっっちゃくちゃ緊張したけど、緊張レベルで言うと お見送り>一緒に並ぶ だったからまだ良かった。今思うとめっちゃ早口で喋ってたかも(笑)(これ読んでるかな〜?👋🏻)

私にとって初めて「SEVENTEENがきっかけで知り合った」友だち。友だちとか言っちゃった。とっても楽しくて終わった後「えヤバかったねまっっっっっ白じゃね?発光してた。てか、いた?」ってバカ語彙力ではしゃいだ。その子は最近会えてないけどまだお話してるし、最初がその子で良かったな〜と思うよ。また会おうね〜〜!!!!!!💖(←ここで?)

そこから共通の趣味や「好き」を持つ人と繋がる楽しさにハマった。この時点でSEVENTEENのこともCARATのことも大好きだった。ファンを好きってよく分かんないけど、ファンはグループを映すってこういうことなんだと思えた。それでもやっぱりSNSは慎重に。ここだけは引っかかっていた。

繋がる人が増えると、それだけの意見や思いを目にすることが増えた。私と似たような受け取り方をする人や、私には無い考え方が出来る人。みんなの頭の中を覗いているようだった。ただこの場所にはひとつ、私が知っているSNSとは違うところがあった。

それは誰かの意見を誰かが肯定してくれること。
誰かが「この時の髪型好き」と言えば「わかる!」
誰かが何かをデコったりすれば「かわいい!」
お互いがお互いを認め合う。
比べてしまっていた私は、他人を認めることが出来ていなかったのかもしれない。プライドがあったんだと思う。

他人を認めることに気づいた私は、とても生きやすくなった。あの人は私になれないし、私もあの人にはなれない。それなら自分が楽しくて、好きだと思えることをやればいい。自分勝手だけど、自分を1番好きでいてあげられるのは自分。私自身、何が好きか、何が嫌いか、何で幸せを感じるのか、全部知ってるのも私。まだ知らない部分も多いけど、それを知っていくのも楽しみにすればいい。自分の機嫌は自分で取る。じゃなきゃ誰が私を楽しませてくれるの?甘えんな。



私の良いところは途中で投げ出さないこと。
小学校の習い事だって続けられたし全部が今、実になってる。中学校の部活も、高校の部活も、最後まで一生懸命サボることなく続けられた。ちゃんと結果も残した。やらなきゃいけないことはしっかりやり切る。偉い。

私の良いところは自分を好きなところ。
絵が上手くない自分も、歌が上手くない自分も、ちょっぴり自信がない自分も、愛嬌たっぷりで人間らしくて好き。出来ないこと、落ち込むこと、不安なこともあるけど、なんとかなるしなんとかしてしてきたからここにいる。すごい。信頼と実績の私。


今、私が私で居られるのは私を認めてくれる周りの人がいるから。本当にありがたい。
「こんな私が·····」って思うこともあるけど、失礼だよ。「こんな私」に付き合ってくれる人がいる限り「こんな」私じゃない。もっと誇らしくいこう。



私へ、あんた最高だね。

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