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「あんた、そんな調子で、世の中生きていけると大間違いやで」

5「ほて、なんや言われたら、がいに、
どくれた(とても、ふてくされた)顔してよ、そんなんで、あけへな。もっと、ちゃんと、せぇ」

兵庫県南部の小さな田舎で育った私。

そして、この上記の2項目は、
私が、何かをして、
怒られた際、親や祖母から、
耳にタコができる程、
聞いてきた発言だ。

中学を卒業して、鳥取県内の高校、
短大、社会人と経験を積み重ねていきだしてからは、言われなくなった。

だが、今でも、とても印象に残っている言葉だ!

小学1年の時、「算数を教えて欲しい」と言ったわけでもないのに、
父親は、家庭教師代わりをかってでた。
私が、視線を上にやると、

「何故、視線を上に向ける?それは、やめた方がええわ」

と言い、また、ある時は、
家庭教師が終わったあと、
その時の私は、

「そんなはずはないけど」

と思いながら、聞いていたが、
母親に、

「あんたは、甘えすぎや!そんなんでは、あかん」

と夜遅くに、話を持ちかけられたこともあった。
他には、寝る前、母親の鏡台の上に、
震災前の平成6年に、生まれた「妹より」と
嘘を書き、内容的に、怒られた記憶があった。

時には、こんなこともあった。
同級生が家に、遊びにきた時、
お気に入りの筆箱を見せ、
その時の一瞬の気の緩みだったのか、

「それ、あげる」と言い、


その夜、地団駄を踏みながら、大泣きしたこと。
これだけでは、ない。
年長の時、他の同級生が、
名前を記載していないキーホルダーを
とられたと出来事を見ていたにも関わらず、それと似た出来事が小学1年の時点で、
襲いかかり、
自分がみたときには、
もう、その物をとった同級生は、
マッキーペンかボールペンで、
名前を記載していた。
それは、母親が、父親と再婚前に生まれた姉から、
もらったミッフィーのキーホルダーで、
名前をどこに書こうか、迷っていたものだった。

と思うと同時に、「学校に、持っていかない方が良かった」と後の祭りだった。

その小学1年の時に、経験した出来事の原点と言っても良いのは、最初の幼稚園の時、
自分の名前を書いた
テディベアのキーホルダーを他の女子に、
渡したこと、それに、違いない。
でも、その時、後悔はなかった。
果たして、これは原点といえるのか。

小学2年の頃、七夕会では、祖母が、
全校生徒の前にでて、
担当の先生が、隣にいる状態で、クイズを出した。
「学校から、帰ってきて、一番にすることは、次のうち、何でしょう?」と3択の問題だった。
1.洗濯物???
2.庭の掃除???
3.家のお風呂掃除
正解は、「3.家のお風呂掃除」だ
それもともあれ、私は、

「何故、朝、家をでる前、クイズを出すので、前に出ると言ってくれなかったのか?」


と疑問が残るほど、驚いた出来事だった。
祖母も、前に立ちながら、私のしょんぼりした姿が印象に残ったらしい。
だから、小学2年の七夕会は、
祖母にとっても、私にとっても、その光景は、今でも、忘れられないものとなった。

そして、私は、小学3年~小学6年迄の4年間、七夕会が近づく頃、老人会の方に質問したいことのような紙が配られると、
毎回、「家に帰って、一番にすることは、何ですか?」

と書いて、提出したのを覚えている。

また、「初めて、しゃべった」と言われる直前、
お父様が父親の同級生で、
最初の幼稚園でも、一年、一緒だった男子の家へ遊びに行った。
火か山の神様がまつってあるところに、案内され、ご自宅に戻ると、おじいさんやおばあさんに、

「おとなしい子やな」と呟かれた。

母親が迎えにきた時も、「僕をほっといて、行っちゃった」という話をお母様から、伺うくらい、素っ気ない、帰り方になってしまった。

3年生の時は、
朝、登校する私を見て、隣のクラスの男子からは、

「1組って、変やで」

と言われ、同じ名字が、学年で七人いるにも関わらず、クラスには、私しかおらず、他の同じ名字6名は、皆2組だった。
そして、先生は、母親から聞いた家庭訪問の時の話で、子供が、中々できず、困っていたようだ。

小学4年の時は、私のマッキーを他の同級が触っていたのを取り返そうと取っ組み合いというかあれは、喧嘩ではなかったが、
その後、泣いてしまった。
それをみていたある女子は、

「そんなことで普通泣くけ?」

と言い、
斜め右前に、座っていた男子は、嫌そうな顔をしながら、こっちをみていた。
このマッキーを触っていた同級からは、違う日に、今度は、弁当をとられ、泣きじゃくったこともあった。
この時の担任の先生は、どちらかというと、児童から、なめられてた。

中でもと言うか、4年の時の出来事で、
印象深かったのは、
3月中旬に、NHKのドラマ「菜の花の沖」のロケがあったことだ。

何ヵ月か前、家に、エキストラの募集が舞い込んできた。
私は、それに、エキストラとして、参加したかったが、
親は、自分の意見を聞き入れず、

「ボッとしているから」

ということを理由に、弟だけを参加させた。

次回以降も述べるが、親は、
自分の意見を聞かず、
親の意見で、ことをすすめる。

今となっては、このような親に、なりたいとは、思わない。
むしろ、尊敬もしてないと個人的な意見を持つ。

父親は、障害者の真似をしながら、

「世の中で、そんな人は、あんただけや」

と言われたこともあり、

「だったら、街頭インタビューや市議会議員他に、立候補して、もっと世の中をみなさい」

と思いながら、聞いていた。

今後も、自分の記憶で、覚えているとこを厳選して、書き綴る予定だ。
次回は、高学年から、中学、いけたら、高校時代の話をする予定である。

毎回、長文の為、申し訳ありませんが、
最後までお読みいただき、ありがとうございます。





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