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「鳥取の子になんのか?」

※公開から数時間経ちましたが、今回も、2600字以上ありますので、ご了承ください。
今回、上記にあげたタイトルは、
小学4年か5年の夏休みに、
ふと、父親から言われた言葉だ。
 また、個人的に、小学~中学校にあがる際の進路選択肢は、地元の公立校は元より、
 今から、述べる鳥取県内の中学校と淡路ろう学校の存在があったんだと当時を振り返る。

その頃の私は、
保育園の年長から、中学三年までの期間
(中学一年の時は、口腔外科を受診した際、嚢胞が見つかったので、入院を余儀なくされ、行けなかったが)
毎年夏休みになると、
母親の実家がある鳥取県へ遊びに行き、
鳥取から、実家に帰る頃には、
私だけ、大泣きして帰るのが、
恒例行事だった。

 なので、小学高学年の時、祖母の家の周辺を散歩しながら、「鳥取の学校で、勉強したいな」と思いだし、
中学からは、一人で鳥取へ引っ越し、
母方の祖母と一緒に暮らすという設定を考えていたのだが、
祖母から、「もし、いじめがあっても、対処できない」と言われた為、中学からでは、願い叶わず、高校からになった。

そして、今回のタイトルの次に、


父親他から言われていたのが、
「洲本の学校に行くか?」である。


この洲本の学校というのは、

洲本市内にあるろう学校、今現在は、聴覚特別支援学校となっているようだ。
そこは、実家から、車で、30分程度で行ける範囲である。
この似た発言を初めて、言われたのは、
小学2年の時、
当時、利用していた「月刊ポピー」を辞めたいと母親に申し出ると、母親が、父親に、就寝前、相談した時だった。
 ただ、その時、私は、父親から、
「洲本の学校に行くか?」と問われ、
口頭ではなく首を横に降ったことを覚えている。
 また、母親は、その当時、私の学力についても、個人面談や家庭訪問等で、担任の先生に、聞いていたと思われ、「そんな学校に行かなくても、良いと思います。」と言われていたようだ。
 そして、二回目となった小学6年の夏休みのある午前中、親が、担任の先生と同級生同士で、私の個人面談をした7月末だったように思う。
個人面談が終わり、その日の午後、
父親と母親と私の三人は、母親の運転する車で、私は、後部座席、父親が助手席に乗り、案内する形で、ろう学校へ見学へと出掛けた。
 学校に着くと、そこには、学校の宿舎があった。
 そして、まず、室内へ入り、会議室のようなところで、職員の方と話をした。
 私は、終始、口を開けているものだから、
矯正しているのも見え、その話も、話題になった。
その後、校内を案内され、隣接している盲学校の生徒さんとも、交流があったのが、印象的だった。
見学を終え、2学期に入った時、
「今後の進路について、どうしようか?」という話になった。
 その際、母親は、「町議会議員の方に頼んで、教育委員会の方に聞いてもらった。それによると、手帳がないと特別支援学校には、行けないみたい。それに、その特別支援学校に行かずに、お父さんとお母さんは、公立の中学校に、行ってほしいと思ってる。」と言う。
 そして、その後、担任からも連絡があり、「いじめがあるとは、限らないので、ゆりかさんなら、公立校でも、頑張れると思います」とのことで、地元の公立中学への道を選んだ。
(その療育手帳を取得したのは、中学2年か3年の時で、身体障害者手帳が高校時代であった。)
 中学入学後は、一度、休憩中に、誰ともあ遊ばず、椅子に座っていると、
担任の先生は、しゃがんだ上で、
私と目線を合わせ、「友達つくらんかの」と
言って来たので、「うん」と頷いたこともあった。
 小学校からの同級や先生は、自分から、話しかけず、無口な私を笑わせようとよく話かけてくれた。
こんなこともあった。
それは、4月下旬のことだった。
担任の教科担当でも理科の授業が終わり、
教室に戻った時、
周りが話しかけてくれなかったことに、驚き、
私は、泣き出してしまったのだ。
それを見かけたいつも声をかけてくれる小学校からの同級生の男子生徒やその他男女数人が寄ってきて、「ゆりか、どうしたの?僕たち、友達だから、誰かに、いじめられたの?何があったの?」と自分で言うのも、
何だが、心配そうに話かけてくれた。
そして、私は、「下敷きがない」と言い、
男子数人が、理科室に探しに言ってくれた。
今思えば、大変申し訳ないことをして、
逆の立場になりたい気分だ。
その事を親が知ったのは、家庭訪問の時である。
 ちょうど、その頃、家には、シェルティのクッキーと名犬ジョリィーのモデルとなった犬種がおり、担任も、「ゆりかさんが、散歩に行くところが想像できますね」と母親に伝えたそうだ。 
 おまけに、日頃、接していて、分からなかったが、担任は、母親に、「身だしなみをつけてください。」とも伝えていた。
理科室に探しに行った件に戻る、
その後、理科室に行っていた男子2名が、
先生がおっしゃったことを言付かり、私に、伝えにきてくれた。
 この出来事は、同級生を試す為にやったことではないが、下敷きは、机の中で、見つかったが、理科室に、下敷きをとりにきてという話になっていたので、同級生も、確認の為、話かけてくれたあと、担任に、怒られ、時間は、給食の時間だった為、目の前にいた別の男子生徒も、目の前で、耳打ちしていた。
 そして、数ヶ月たった夏休みのことである。
 何故か弟の部屋で、宿題をしていた時、母親が、「ゆりかが、学校で、「下敷きがない」と騒がなかったから、先生や同級生は、普通に、話かけてきてくれたはずだ」と母個人の意見をぶつけられた。
 この出来事だけでない、2又は3学期、ある日の掃除の時間、洗面所の担当だった時だ。
 ただ、先生にいう生徒や理科室に、下敷きがないと言った時、一番最初に、声をかけてくれた小学校からの同級生は、その日、休みで、生徒間でのやり取りとなった。
 同じ班の女子生徒が、蛇口にホースを差し、洗おうとしたとき、何かの拍子で、水が、私の方に、かかったのだ。そして、また泣く。
 そのホースを持っていた生徒は、歩きながら、謝っていたが、私は、すかさず、トイレの個室に駆け込んだ。
 その様子を見にきた女子生徒の中には、
その日の放課後、何も知らない生徒とトイレへ行き、事故現場同様の扱いで、話をしていたのが、通りすがりに、聞こえてきた。
 小中学校の期間で、「ゆりかちゃんって、良いこだと思ってたけど、そんな子だったんだ」と呆れたやマイナス思考というか、話かけてくれなくなった人も多くいるのも、事実だという考えにも至る。

毎回、だいぶ、長い文章になってるので、
ここまでにします。
では、改めて、今回も、ここまでの長文をお読みいただき、ありがとうございました。

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