見出し画像

三日坊主は本当に「悪い」のか?

全国の三日坊主ファンの皆様、お元気でしょうか(笑)?私は元気です。

冗談はさておき、ファンならずとも三日坊主で苦しんでいる方は多いようです。その「三日坊主」ですが、本当に「悪」なのでしょうか?

今日のテーマは、「三日坊主の善悪」についてです。


画像1


以前「将棋上達の探求」を書いている時に、ある読者の方から「何に取り組んでも3日で終わってしまう。続けるための何かいい方法はないか?」というご質問を受けました。

その時は、「初めから3日で終わるような計画を立てたらどうですか」という考えを提案しました。つまり、3日間の短期集中をするということです。

例えば、ある将棋の本を読む場合、比較的余裕のある週末にその読書を終えるのです。つまり、金曜日の夜から読み始め、残りは土日に読了するということです。これならば、比較的実現可能ではないかと思われました。その後、引き続きのご質問がなかったので、その時はこの回答である程度は納得いただけたのでしょう。


今回は、その続きの意味で「補足」を書かせていただきます。

全くの私見ですが、物事への取り組み方で「3日間しか続かない」ことと「それ以上続く」かどうかの大きな違いの源泉(言い換えれば、根本原因)は、必要性と逼迫(ひっぱく)性、そして情熱や熱意にあると思われます。

例を挙げますと、歯磨きがその一例です。歯磨きをしなければ、歯が汚くなり口が臭くなり周りに迷惑をかけます。しまいには虫歯になり自分の歯を失うこともあります。この場合、必要性と逼迫性の両方があります。ですから、ほとんどの方は毎日歯磨きをします。人によっては1日3回以上する方もいます(笑)。

もう一例上げますと、昔私が短期間で将棋が強くなった一番の理由は、あるグループにどうしても負けたくない連中が大勢いたからです。そのため、将棋に対する情熱や熱意が急激に高まりました。その継続的な情熱や熱意がなければ、私は将棋で強くなれませんでした。


多くの方が三日坊主で苦しんでいるようですが、上記のような必要性と逼迫性、そして情熱や熱意がないことに取り組んでいるのであれば、別に3日で終わってしまっても問題ないのではないでしょうか。たった3日間でマイブームが終わるということは、そのことがそれほど好きではなかったのです。

大大大好きでなければ、情熱や熱意は必然的に低くなるものです。ましてや、今すぐやらなければないほど追い込まれていないのであれば、緊急性がないのですから、その後後回しにしたり全くやらなかったりしても問題ありません。

試しに過去の三日坊主をノートなどに列挙してみるといいでしょう。おそらくそれほど大(たい)したテーマに取り組んではいないはずです。何となく軽いノリで始めてしまったことも多いかもしれません。


ですから、物事に対して自分が続かなったことを責めるのではなく、「自分が熱中できないことがまた1つ見つかって良かった」ぐらいに、よりポジティブに考えてはいかかでしょうか。「熱中」探しを続ければ、いつかきっと継続できる何かや夢中になれる何かが見つかるはずです。それまでは、ついでに自分の「三日坊主」を楽しめばいいのです。

画像2


今日のテーマは「三日坊主の善悪」でしたが、結局はご本人の受け止め方次第だと思われます。つまり、もし該当者が罪悪感に苛(さいな)まれるならばそのことは「悪」になってしまいます。しかし、上記のようなポジティブシンキングで物事を解決できるならば、すべてが「善」になります。さらに、自己肯定感も高まります。まさに良(い)いこと尽(ず・づ)くめです。


最後までご覧いただきありがとうございました。

感謝


記事が気に入りましたらサポートをお願いいたします。いただいたサポート料金は今後の活動費に使わせていただきます。