渡辺貞夫 日本絶好調の時代

渡辺貞雄 90歳にして現役、全国ツアー行ってる。

大学2年の時、学園祭にナベサダは来てくれた。
法学部大教室で行われたライブは強烈だった。
初めて聴く曲ばかり、しかし心は揺さぶられた。
あんな体験初めてだった。
「Friends And Strangers」
「Captain Caribe」
この曲だった。心に刻まれたリズム、それがこの曲だと後から知った。

新宿Pit Inn、六本木Pit Inn、通った。
中野サンプラザ、新宿厚生年金会館、日本武道館
オーケストラとJAZZのコラボ、初トライ。

土曜夜のTOKYO FM
「資生堂Bravas マイ・ディア・ライフ」
欠かさずエア・チェックしていた。
テーマ曲はもちろん、「マイ・ディア・ライフ」
ソプラノ・サックスが奏でられると感動していた。
週間FMを買い、FMをカセットテープに録音し、大切に聴いていた。

その後、大ヒットしたのが
「カリフォルニア・シャワー」
新たなジャンルの誕生だった。

ナベサダのあの笑顔は、いつ見ても痺れてしまう。

サザン・オールスターズも、ユーミンも、全く興味が無かった。

そこから、オーディオマニアに憧れて少しかじらせてもらった。
10万円のセットで聴いていた
「カリフォルニア・シャワー」
600万円のセットで聴き直したら、全く違う音が聴こえた。
改めて惚れ込んだ。

知ってる人は、オーディオは2000万円費やし、
1億円を遣っる人も知っている。
私の限界は600万円で来てしまった。
オーブンリール・テープレコーダー、MCカートリッジ、セパレート・アンプ、ここまでだった。
その先は、セパレートCDプレーヤー、ピュア電源装置、さらには電柱新設、最後は部屋改造、全ては求める音のため。

アコースティック・ラボ・ボレロ・グランデとフィリップス ピットストリートム+スィングアームのCDプレーヤーの組み合わせが最高だった。ベルト交換してもらえなくなり、泣く泣く手放した。

百田尚樹氏の仕事部屋兼オーディオ・ルームは流石です。勝ち組の象徴。

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