ジャニーズ問題「メディアの沈黙」について改めて考える

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要約
・何を報ずべきかということについて絶対的な正解はない
・社会としての問題意識の変化も考慮すべき
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1 社会の問題意識の変化


昨今、ジャニーズ問題に対する「メディアの沈黙」がよく批判されます。

前提として報道機関が「報ずべきこと」とは何かということについて絶対的な正解はないと私は思っています。

ですから、今の基準、問題意識では「報ずべきこと」であったとしても文春の報道によってジャニーズ問題が明るみに出た1990年代の価値観において「報ずべきこと」であったかどうかということは落ち着いて考えるべきです。

報道機関は社会が注目することを報ずるものです。

性犯罪、性加害に対する社会の注目度が、今ほど高かったのか。

もし、文春の報道が今出ていたら大騒ぎになっていたでしょう。しかし、当時の価値観では「芸能スキャンダル」の1つとしてしか認識されなかったとしてもおかしくはありません。

報道機関は社会の関心を集め、逆に社会の関心があることを報道機関は書く。
ニワトリが先か卵が先かという関係にあると思います。

もちろん、メディアとして反省するべきことはあるかと思いますが、「社会の価値観・問題意識の変化」という要素を無視して「メディアの隠蔽」というようにメディアだけに責任を押し付けるのはどうかと思います。

2 報道すべきこととは

さて、ある問題を報道すべきかどうかということについて判断する上で、私は次の3つの判断過程があると考えています。

① それは事実なのか
② 報道する意義はあるのか
③ その意義は報道することによる人権侵害を上回るものなのか

以下、順に検討していきます。

①の「事実認定」の問題を中心に以前書いたのがこちらの記事です。

まず、ジャニー氏の性加害が単なる噂なのか、事実なのか、そこを判断しなければ報道するべきではありません。
この点について、週刊誌は噂をガンガン書く傾向にありますが、大手報道機関は慎重さが求められます。

噂なのか事実なのか、その判断がつけられずに書けなかったのではないかというのが1つの可能性です。

ただ、民事裁判で事実が認定されているということはかなり重要な要素で、ジャニーズ事務所に対する第三者委員会による報告書においても
「2000 年初頭には、ジャニーズ事務所が文藝春秋に対して名誉毀損による損害賠償請求を提起し、最終的に敗訴して性加害の事実が認定 されているにもかかわらず」
という書き方がされており、「裁判の結果があったのだから報道できたはずだ」という見方がされていると言えます。

そもそも裁判結果をスルーしてしまったのか、裁判の結果は知っているけれども報道しなくて良いと判断されたのか、どちらなのかはわかりません。

次の段階、②の報道の意義の点についてですがこの点を中心に私は以前以下のような記事を書きました。

報道する意義があるのかということについて、冒頭でも述べた通り、性犯罪、性加害を報道する意義がどの程度あるのかということについての今の認識は過去とは違います。

さらに、芸能スキャンダルと社会的な報道は別物という認識があります。


週刊誌と大手報道機関にはある種の分業のような体制があり、ジャニーズ問題も週刊誌に任せるべき芸能スキャンダルであると判断された可能性があり、ジャニーズ問題を特集したNHKのクローズアップ現代でもそのように報道されたようです

また、私はBBCの話が出るまで知りませんでしたが、友人に聞いたところ、ジャニー氏の性加害について「知る人ぞ知る」状態だったそうです。
現に文春では出ていますし、知ろうと思えば知れた状態です。
そうだとすれば、みんな知っているのであれば報道機関としては深追いしなくても良いのではないか、という思考回路になっていたことも考えられます。

今であれば考えられませんが、当時はそこまで糾弾するだけの社会としての土壌があったのか。今回、ジャニーズの人権問題としてスポンサーを降りる企業もありました。しかし、当時仮に大きく報道されたとして、そこまでの行動を起こす企業があったでしょうか?

今回の事案については単なる芸能スキャンダルを超えて、人権問題として社会全体に報ずべき事柄であったというのが現在の社会の認識です。

しかし、それは性加害、セクハラ、性犯罪が報道で頻繁に取り上げられるようになった現在における価値観です。

そもそも、民間人の行為が、社会全体の問題として報道べきことなのかどうかということについては議論の余地があります。

ジャニー氏も民間人といえば民間人です。確かに芸能界においては強力な権力であることは事実ですが、あくまでも芸能界での話です。社会問題として扱うことなのかということについて当時の認識が今と違った可能性があります。

さらに、③報道することによる人権侵害も意識するべきで、これは報道の意義との比較で検討されるべきことです。

人権侵害とは加害者の名誉が侵害されるという面もありますが、性犯罪について言えば、被害者の心理に与える影響を考慮する必要があります。実際に、第三者委員会の報告書内では以下のようなことを言っている被害者もいます。

「ジャニーズのことは、自分の中で蓋をして終わらせていた過去でした。それが、今回の申告があって、正直、余計なことをしてくれた、と思いました。 ニュースなどを見るたびに当時のことを思い出して、フラッシュバックし、 嫌な思いをしています。」

昨今、性犯罪の報道が増えていますが、報道することによる負の側面も忘れるべきではありません。被害者が報道を望むかどうかもわかりませんから。

それを踏まえてもなお、報道するべきなのかということは事案ごとに慎重な検討が必要です。

メディアが報道を控えていた理由としてそう言った事情も可能性としては考えられます。

3 なぜメディアは沈黙したのか 答えは1つではない

メディアの沈黙について、メディアがタレントを使わせてもらえなくなるために事務所に忖度をしたという見方が支配的です。

原因の1つとしては確かに考えられます。

しかし、以前の記事でも指摘しましたが、民放テレビ局ならまだしも、新聞社やNHKまでが忖度する利益関係は見当たりません。

確かに、忖度の可能性もないわけではありませんが、現状憶測の域を出ていないように感じます。

どちらかというと、「週刊誌に任せるべき内容だ」と考えて重要視しなかったという説の方が説得力を感じます。そして、そのように判断した背景として、今との認識の違い、性加害に対する社会の考え方の違いは考慮するべきです。

冒頭でも述べたように、報道するかどうかの判断は、社会の価値観や関心とともに変化します。

社会が今ほど、性加害に対して問題意識を高く持っていたのかということは検証するべきです。社会が問題意識を持っていなければ、報道機関だって無理に報道はしません。

社会の問題意識が今と過去で違っていたら、当時のメディアを叩くのはどうかと思いますし、むしろ、今後性犯罪や性加害を報道することのリスクを軽視する風潮が生まれたら嫌だなとすら思います。

この件に限らずですが、一般的に社会で起こる問題の原因は1つではなく、複数の要素が絡んでいることが多いです。
何か問題が発生した時に、わかりやすい悪者を立てて、それを攻撃することで問題解決を図るというのはよく見る構図です。

しかし、それは問題の本質から遠ざかることにもつながります。

この問題について言えば、社会が関心を持っていなかったこと自体が問題とも考えられます。しかしこの点については、社会の関心というものは変化するのが当たり前で、悲しいけれど仕方のなかったことかもしれません。

「自分の利益のためにジャニーズ事務所に忖度するメディア」というわかりやすい悪者像が果たして正しいのか。社会が関心を向けてこなかったことについて国民自身が自省する所はないのか、もう少し考えるべきだと思います。


(追記)

日テレの内部調査ではこの問題については「ジャニーズ事務所に対する忖度は確認できなかった」とした上で、「週刊誌のゴシップと軽く捉えていた」「男性への性加害全般に対する問題意識が低かった」としています。

ここからは仮説の話をします。

ここまで「メディアがジャニーズ事務所に忖度した」という考え方が広まったのは文春のやり方に社会が乗っかってしまっているのではないかと私は睨んでいます。

この件について唯一報道している文春としては、「他社が報じられないことを自社は報じている」ということをアピールしたいわけです。
今回の発端となったBBCの記者も文春の記者を取材しています。

意図的か、本当にそう信じているのかは別として、「他社は事務所に忖度しているから報じない、けどうちは報じている」とした方が自社の価値が高まるので、文春としては有利です。
BBCも文春の記者への取材結果をベースに、メディアに対する批判的な報道をします。その結果社会のメディア批判が高まる。

というメカニズムではないかというのが私の仮説です。







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