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自画自参【永遠プロトタイプ】〜Prologue〜

自分の事を自分が話す。間違ってても、正解でも。評価はコントロール出来るものでないから、自分の理想と描いた人生に自分で参加するのが人生なのではないか。そういう目線でこの場所では話そうとnoteを始めています。
今日は2023年の12月1日。僭越ながら筆者の私は今年の9月で生誕50年の歳を超えました。オイルショックの年に誕生。いつの間にか半世紀。月並みな言葉ですが、本当にあっという間です。

今年の夏、コロナを挟んで 4年ぶりに実家の五島列島に帰省しました。
2年前くらいに台風の被害にあった家は、私が高校時代まで住んでいた場所。2度の台風被害に住めなくなり解体。今ではただのコンクリートの平地になっています。
帰った際に、その変わり果てた場所を暫し眺めて思ったのは、失望感でもなく、悲しみでもなく、横にいる両親の姿と馴染んだ場所のランドスケープから受ける時の移ろいの速さでした。

何故か家の両親だけはいつまでも元気でいるのではないかといった勝手な安心感。この様な感情はもしかしたら僕だけじゃないかもしれませんが、何となく家は大丈夫という勝手な思い込み。
それは7年前にただの思い込みである事を知る出来事で崩れました。そう、リーダーであるロッキンイチローの死去です。

あれほど周りから“イチローはなんやかんや言うて長生きするで”と言われていたし、本人も身体の異変に少しでも勘付くと病院へ行くほどケアはする人でしたから、90歳位まで生きるのかもしれないと私も思い込んでました。

2016年の2月14日の夜中3時半ごろ。49歳でリーダーは天に昇っていきました。食道がんでした。
その時も、悲しみより、苦しみより、リーダーに対する生き抜いたリスペクトを感じて生暖かい関東の空を見上げた朝を昨日のことの様に覚えています。見たこともない様な雲が広がっていて、何故かリーダーがいる様な気持ちで思わず“お疲れ様でした。頑張りましたね”と労いの言葉を送ったのがもう7年前という事実。

そのあと続く様に、私が幼い頃から田舎で羨望していたロックンロールな人達も、神様のいたずらにしては度が過ぎるほど、この数年で次々と鬼籍に入られていきました。
同じ食道がんと闘った[勝手にしやがれ]の武藤さん(武藤昭平)は、ストイックに自分と向き合い、最近、寛解の言葉をもらったと仰っていました。本当に凄いことです。同じ病名でも浸潤度やステージ、はたまたドクターや環境、本人の向き合い方等、10人いたら10人の治療の道があるのだろうと感じています。そしてブギウギスイングボーイズが大きく知られるきっかけを作ってくれた先輩のチバ(ユウスケ)さんも、何の因果かリーダーと同じ食道がんで現在も闘っています。
今はただ、祈ることしか出来ないもどかしさと、先程述べた、チバさんは大丈夫だろうと勝手に思い込んでいる根拠ない安心感の儚さを痛感しています。
ただただ回復を祈り待つ。それのみです。


12月になると思い出すのは、まだ生命のタイトロープを一生懸命に少しずつ渡ろうとしていた病床のリーダーに向けて、長文の手紙を書いた昼下がりの事。その時期の流れる他のクリスマスソングはBGMだったのに対して、ジョンレノンの“happy Xmas”と“starting over”が刃の様に身体に響いて切なかった事。
今日も肌寒く乾燥した風のある晴れた冬空。手紙からはもう8年前。もはや刹那だ。

いつか、僕も天命を全うするだろうから、記せるうちに私の目線での音楽を通しての出逢いや道のりを記しておこうと始めたのがこれ。
わかりやすく残すならば、ロッキンイチローとの出逢いからブギウギスィングボーイズの話が良いですよね。
さて、マイペースですが少しずつ。

最後まで読んで頂きありがとうございます。
2023.12.1
浜辺シゲキ


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