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シャボン玉みたいな透明色

私は、たくさんの感情を持っている。

強い感情が湧き上がって、
自分がそれに翻弄される時、
その感情の出処はどこなのか、
特定する作業を、最近している。

なぜそんなことをしているかというと、
「私」に戻ってみたいから。

そして、誰でもない「私」として、
人と対話して、世界を眺めて、
改めて何を感じるのかを味わってみたい。

感情には色が付いている。

どんな色であっても受容できて、
かつ、
どんな色にも染まらない、

シャボン玉みたいな、透明色になってみたい。

そんなことを思う。

ふと、
他界する直前の、
キラキラとした光をまとっていた父を思い出して、
透明色って、光かも、と思った。

そして、
私はもう、長くはないのか?とも思ったり。

別に病気を患ってるわけでもないけど。

 
感情の出処が特定しきれるのかどうかは分からない。

何かを見るたびに、するたびに、
感情は次々と出てくるから。

でも、私は戻ってみたい。
純粋に、私だけの感じ方で、世界を見たい。

ちなみに、
最近特定した「切なさ」の出処は、
小学生の時の孤独な夜。

その感情の背後には、
「みじめさ」と「分かってほしい」も隠れていた。

よくよく感じて、色々と掘り出してみたら、
「みじめさ」は私のものではなく、
恐らく母の感情だと思われた。
同様に、
「分かってほしい」は父の感情。

私のものではないから、それぞれ両親に返した。

イメージだけど。

親子は互いの境界線が薄いから、
特に子供時代に、親が強く感じていたことは、
無意識のうちに
自分のものとして取り込んでしまうのではないかと
思う。

きっとそうやって、
本来なら必要のない感情を持ちながら、
人生のあらゆる場面で、
その感情が正当であるかのような、
強化体験を積んでしまう。

そして、親の感情は、
子供自身のものになってしまう。

感情の連鎖、思考パターンの連鎖、
無意識レベルで行われる連鎖、

私はもう、そこから抜け出ることにした。

たくさんの連鎖を、
ずっとずっと紡いできた先祖にも、
たくさんのハグと花びらのシャワーを贈りながら、
ありがとうと、思う。

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#思考パターンの連鎖
#シャボン玉みたいな
#感情の出処特定作業
#暇人なんだな

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