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【会津若松と私 その3】

~自然と無念~

神指町は、市街地から少し離れた場所にある。

お城から離れていくにつれ、
人間の意識が薄れていくのが感じられた。

一面に広がる田んぼや、遠くに見える山並み、
雄大な景色の中には、
人間が生活するリズムとは異なるものが
淡々と流れていた。

中野竹子さんは、
会津戦争のときに「婦人隊」を結成して、
薙刀(なぎなた)で戦いに向かった女性である。

しかし、敵の銃弾を受け、
22歳の若さで亡くなった。

亡くなる間際、
彼女は敵に自分の首を取られないよう、
妹に介錯(かいしゃく:首を切る)を頼んだという。

以前、私の元に現れた解離した少女は、
この妹だったのかもしれない。

彼女の殉節碑のある空間には、落葉樹が植えられ、
黄色の落ち葉が降り積もっていた。

椿だろうか、
甘い香りのするピンクの花も咲いていて、

そこはまさに、ピンクとゴールドの世界だった。

柔らかく、優しく、しなやかで、
女性なるものが感じられる空間だった。

私以外の誰もいないその空間で、深呼吸をし、
空を仰いだ。
うっすらと雨が降ってきた。

足元を見ると、どんぐりが至る所に転がっていた。

「自分の子供たちがそれぞれの場所へ
運ばれていくことは喜びなのよ」

と、母なる木が言うので、
どんぐりを拾わせてもらった。

雨がちらついてはいたけれど、
最後に、高瀬の大木へ足を運んだ。

途中の田んぼには、
飛来した白鳥達が羽を休めていて、
きっとこれが、毎冬の光景なのだろうと思った。

樹齢500年の巨木(ケヤキ)は、
すっかり落葉して枝だけの姿だった。
でも、巨木だけあって、本当にどっしりと、
会津の大地に根差していた。

その太く大きな幹を見ながら、
この巨木が見てきた人間の世界について想い、
その正面にある磐梯山を眺めた。

数々の欲望にまみれた人間の世界の波動と、
自然の移ろいの中で生きている動植物の波動は
違う。

150年前の、
お城での血なまぐさい戦の外側では、
動植物たちが命を繋ぎ、
「無念」とは程遠い空気が流れていたに違いない。

動植物たちと大地、自然の持つ包容力もまた、
母なるものである。

私たち人間など、
いつでもたやすく破壊できるはずなのに。

大きな自然の営みの中で、
自分が生かされていることを、
ついつい忘れてしまう。
 

「無念」は、人間の波動。
それは、エゴが生み出すもの。

「こうであってほしかった」
「そうすべきだった」
「それなのに叶わなかった」

基準は、その時代の価値観であり、
人間が作り出したものに他ならない。

きっと、またいつか、
私は自分にも、
自分以外の誰かや何かにも想いを寄せ、
「無念」を感じてしまうだろう。

それでも、
そんな「人間くさいもの」を、
体験したくて、
味わいたくて、

それがきっと、
この世に生まれた理由なのだろうと思う。
 

3人目に登場した老婆は、
もしかしたらこの巨木だったのかもしれない。

 
ちらついていた雨は本降りになることもなく、
10時前に出た家に、13時に帰ってきた。

「おかえりなさいませ、お母さま」

夫と子供が迎えてくれた。とても仰々しく(笑)
 

「お母さん、僕が自転車乗るのを見てて!」

それは、いつもの日曜日の午後だった。

 
当たり前の日常が、
キラキラと輝いて見えるほどに、
3時間の外出は濃密だったのだろうと思う。

私の中の「無念」は、「感謝」に変化していた。

ただただ、ありがたかった。

すべての存在が、本当に愛おしく、輝いて見えた。
それは今も続いている。

おわり

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