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【会津若松と私 その2】

〜墓所巡り〜

「あぁ、そうだ思い出した。これだ。」

片付ける「何か」が分かったのは、
12月に入ってからだった。

縁あって「フラーレン講習会」に参加でき、
これまた偶然にも
その会場隣にあった歴史資料センター。
一度行ってみるといいと言われていたが、
一度も訪問したことがなかった場所。

思い出した「何か」は、そこに展示されていた。

「会津藩主松平家墓所」

そうだ、墓所だ。お墓参りだ。

実は数年前に、「ここに行かねば!」と思って
夫と共に入口まで行ったものの、
何だかしっくりせずに
そのまま帰ったことがあった場所だった。

墓所に向かう前日。
浴槽には大量の手が現れた。

「つかみたくてもつかめなかった」

無念の女性たちの手。

その無念さに耳を傾け、共感し、私も涙を流し、
大きな両手を登場させて、

それら無数の手を抱きしめた。

そして、
無念さを抱えて人生を終えた女性たちに、
ありったけの花を贈った。

手は、キラキラとした光になり、
私はその美しさにまた涙が流れた。

私は意識を拡大し、会津盆地を眺めた。

天にお願いして、
そこにある大量の「無念」を吸い上げてもらった。
もちろん、私のものも一緒に。
それらは、太い柱となり、
まるで巨大な竜巻のように、上昇して行った。

代わりに、
空からはピンクとゴールドの粒子が降り注ぎ、
大地に浸透していった。
今でも、ずっと降り注いでいる。
 
 
イメージだけど。
 
 
そんな内的作業を経て、翌日、
単身で墓所へ向かった。

しかし、再び訪れたその場所は、
「熊出没注意」の看板が立てられていた。
 

「君が無念にならないように、無事の帰還を祈る」

と見送ってくれた夫と子供の姿を思い出し、
墓所の入り口で手を合わせて入念に祈り、
「藩主」よりも「家族」を選択した。

帰宅するまで、
私は「会津の女性」に思いを馳せながら、

飯森山の「厳島神社」で弁天様に支援を要請し、
白虎隊の墓で、
少年たちを見送った母の想いに涙した。

本陣の鶴ヶ城へ向かう途中の「蚕養国神社」で
さらに支援を要請し、
鶴ヶ城の、
大きなケヤキの木々に挨拶して歩いた。

そんな不審な動きの私に、
「あそこにフクロウがいますよ」と、
野鳥の会の方だろうか、
見知らぬおじさまが声をかけてくださった。
しばし、そのおじさまと白いフクロウ観察をし、

私は「フェーズの変化」を体感した。

その後、鶴ヶ城の茶室麟閣の前で
ひとりベンチに座り、お城を眺めた。

そこには「無念」はなく、
ただただ「変化を受け入れる」空気が流れていた。

空を見上げながら、
神が指し示す町、
「神指町(こうざしまち)」の
中野竹子像へ向かうことにし、
お城を後にした。

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