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閉じておきたい蓋

今年の5月末に、ある会議で話題提供者としてお話をさせていただいたことがあった。その会議のなかでは、福島の"復興"の現状についてや、自分自身が感じている語り部としてのモヤモヤについて話をした。そのときの質問で、「『震災や故郷のことなどを思い出す・話すのが、忘れてしまいたいほど辛い』という人には、どのように震災・故郷のことを話すようにしていますか?」というようなものがあった。私はこの質問にどのように回答すべきか悩んだ。最終的に「蓋をしてある箱は、蓋をしておいた方が良いからしてある。無理して開ける必要がない。私の経験上、その蓋は開けるべきタイミングで開いて、すごく役に立つ時がある。そのタイミングが来るまで、辛いのであれば閉めっぱなしで良いし、周りが無理して開ける必要もないし、強制してまで震災の事を話題に挙げなくて良いと思う」的なことを応えた。この質問に完璧な応えなんかないとは思うけど、私はこんな感じの回答しかできなかった。


何故この話をしたのかというと、自分の気持ちを整理しようと思って、最近になってずっと閉め続けた蓋をほぼ全開にし始めたから。それは、まあ、辛い。震災前のあまりにも最低な自分や、避難中のあまりにも弱っちい自分を思い出して、1日ガックリくることがある。もうしんどすぎるから、閉めるべきか。前みたいに最低で弱っちい自分になって後悔したくないし、自分の父親や母親みたいに少しでも強くなりたいから、頑張って開けておくか、というふうにものすごく葛藤している。

最近になって、語り部の仲間の皆さんと「福島の問題が複雑すぎて、何を語れば良いのかが分からない」というお話をした。その後、私も何を語れば良いのか分からないし、そもそも何で語り部をやっているのかが分からなくなってきてしまった。今までは、「話を聞いてもらえない」「町は変わっていくばかり元に戻らず嫌だ」と、文句たらたらだった。それに対して、「対話って大事だよね」「若い人の意見も聞こうね」で、毎回終わる。でも、最近になって「役場の○○さん、疲れて仕事休んでいるんだって」という話を聞いたり、自分の姉が役場で一時期仕事をしていた時の話を聞いて、色々な意見にもまれながらも、町を何とかしようとして、町の人たちも必死に頑張ってくれているんだと思った。町のことも、放射線のこともよく知らない自分が文句をたれてばかりいて情けなくなってしまった。何で語り部を続けるのかについても考えてみた。今までは、「自分と同じような後悔をしてほしくないから」と、かっこよく言っていたけど、本当は「震災前・怒涛の避難中の弱い自分のことについて話すことで、誰かにそんな自分のことを赦してもらいたい」と思っているからではないかなと感じ始めた。誰かに、「あなたは弱くないよ」と、優しい言葉をかけてもらいたいからではないのかなと。そんな自分のことしか私は語れないなと思い始めた。だから、思い切って蓋を開けてみた。

そんなふうに語り部を続けていたら、結局「福島の子は辛い、可哀想」で終わってしまうだろうな。でも、「明るく前を向いている」なんて正直言えない。私にとって、震災前ことも避難中ことも全部箱の中にしまっておきたいことだから。全部忘れてしまいたい辛いことだから。できれば、永遠に蓋をしておきたいし、今の自分はわりと好きだ(というよりかは、わりと受け入れている)から、蓋をしていた方が明るく過ごせる気がする。一体、何で語り部やっているんだろう。何を語れば良いんだろう…。

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