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語り部って何なの?

私は高校生くらいの時から、「語り部」と言われるような活動に携わらせていただいてきた。語り部をやっていると、嫌でもあの日のことを思い出さないといけない。それだけでもう、1日何もできなくなるくらい落ち込むのに、語り部をやった後はもっと落ち込んでしばらくの間毎晩泣いてしまう。何で落ち込むのか。理由は様々だと思う。あの日から自分の弱さや情けなさ、無能さを知ってしまったから。怒涛の避難生活のなかで、自分があまりにも役立たずだったのが今でも許せないから。語り部をやった後に、「あなたの言葉には力がある」「あなたの言葉には感動する」と言われて、嬉しく思いつつも、私の言葉はそこで「感動もの」として消費されるだけで、町の復興計画には反映されることがないから。語り部をやった後に、必ず大人の皆さんに謝らせてしまうから。私は「震災前の大熊町に戻る」と思っていたのに、大人に近づくに連れて、それは不可能なんだと悟ったから。
私は「語り部」なんかじゃなくて、町のために頑張ってくれている大人の皆さんに散々迷惑をかける「文句垂れ」でしかないんだと気づいてしまった。町が震災前に戻らない限り、私の心のモヤモヤは一生晴れなくて、永遠に文句を言い続けるのだと思う。それがただただ怖い。もう1つ怖いことが、私の語りの需要がなくなってきたときのことだ。今は沢山の方に目を向けられて、実はスター気分を味わってるんじゃないかなと自分を疑ってしまう。そして、いつか目を向けられなくなり始めたときに「どうして誰も私を見てくれないの?」となってしまいそうで本当に怖い。スター気分で文句垂れの悲劇のヒロインって…最悪じゃん!!!そう思って涙が出てきてしまう。そして、隠れて泣けば良いものの、自分じゃどうにもできなくて、家族や友達の前で泣いてしまうこともある。そういう自分にも腹が立ってますます涙が溢れてくる。
こんな状況に陥っているのに、なぜ語り部を続けるのか。どうして話したくなってしまうのか。多分、どこかに「きっと、町は元に戻る」という期待があるのだと思う。どこかに「同じことが誰かの身に繰り返されることがないように」という願いがあるのかもしれない。誰か、「そんなこと言っても、もう町は元には戻らない」「いつまでも過去を振り返って、文句ばかり言っていないで、前を見ろ」と言ってください。もう、期待させないでください。語れば語るほど辛いです。一体、「語り部」が何なのか、分からないです。

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