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ネバーギブアップ……

広島に原子爆弾が投下されてから77年。友人と一緒に、初めて広島平和記念式典を訪れた。平和記念公園内では活動家の方が沢山集まって、自分達の想いを表現していた。ロシアによるウクライナ侵攻もあり、多くの人が核廃止や戦争反対を訴えていた。式典中に、友人に話しかけていた「被爆者」のお婆ちゃんもいた。私は横で2人の会話を聞いていた。周りの音もあってあまり聞き取ることができなかったのだが、この1年に1度しかない式典ででも良いから、その当時の経験やずっと抱え続ける悲しさや辛さやモヤモヤ、戦争の悲惨さや無意味さを誰かに聞いてほしかったんだろうなと思った。

式典の後、2名の被爆体験証言者の方のお話をお聞きしたり、広島平和記念資料館を訪れた。「おかあちゃん、助けて」「水をください」「芋とご飯が入ったお弁当を食べてれたのが本当に幸せだった」。破壊された町や被爆された方の写真、被爆者の方が書いた当時の様子の絵と一緒に、助けを呼ぶ言葉や喉の渇きや空腹に苦しむ言葉、家族や友達を守ってやれなかった後悔の言葉(何で彼らが自分を責めなければならないのか!)、被爆しながらも一生懸命生きようとする希望の言葉が並べられていた。ただただ辛かった。理解しきれないし寄り添いきれないのが本当に悔しかったし、現に今戦争が起きてしまっているのに何もできない(何をしたら良いか分からない)自分が本当に情けなくてたまらなかった。語り部の方の語りは本当にリアルすぎて、こんな簡単な言葉で終わらせるのは良くないかもしれないけれど、すごく辛かった。皆黙り込んでいたし、語りの途中で過呼吸になって退出する人もいた。今でも心に残っているのは、「この平和記念公園全体が1つのお墓なんです」という言葉。あの辺りは爆心地から近かったので、そこにいた人は一瞬に灰になってしまったそうだ。見つけようにも見つけられない。何が起こったのかも分からないまま、しかも家族や友人に会えないままなんだと思うと胸が締め付けられた。お墓は平和記念公園だけにとどまらないと思うが、その上をのうのうと歩いてしまうのが本当に申し訳なかった。

今でもトラウマを抱えながら、あれだけの経験を何年も語り続けてきたのに、どうして「戦争は絶対にやってはいけません」という言葉が響かないのだろう。どうして戦争の無意味さの全てを物語っているこの言葉が響かないのだろう。どうして量的な豊かさのための制度の中の言葉や偉い人の言葉だとすぐに響いて、同じ悲劇が繰り返されてしまうんだろう。でも、そのような世の中であっても、核兵器廃絶運動に取り組んできた坪井直さんの「ネバーギブアップ」精神が受け継がれ続けることが本当にすごいなと思う。それくらい戦争や暴力が無意味さを感じており、それくらい本気で真の平和というものを追求している(皆と実現していきたい)んだと思った。

被爆体験証言者の方への質疑応答の中で、関東からやって来た小学生の子が「帰ったら友達に今日のことを話したい。一番何を皆に伝えてほしいですか?」と質問していた(因みに彼女はお父さんと一緒に広島を訪れたそうだ)。その質問をされた証言者の方は本当に嬉しそうだった。こういう瞬間に「『ネバーギブアップ』で語り継いできて良かった。無駄じゃなかった」と思うんだろうな。証言者の方の言葉が全然響いていないわけではないなと改めて感じた。それに、現地に足を運んで現地の人に話を聞く機会を作っていくことってやっぱり大切だ。現地訪問をきっかけに、(質問をしていた女の子のように)平和記念式典という日だけでなく日常的に平和について考えたり、思いを馳せたり、伝えたり、話し合うことで、少しずつでも皆が笑顔になれる社会になっていくのではないかな。(平和ボケしすぎな考え方かな…)

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