見出し画像

がんばれ、わたし

先日、先生と飲み会をした。我が家で二人の飲み会。
先生は女医で今の職場で一緒に働いてきた方。
先生は今年の春頃から別の病院に派遣され働いている。
私が休職した後も気にかけてくださり、ちょこちょこ連絡をいただいていた。
以前から先生とはプライベートでご飯に行ったり自宅に招いたりしていた。


私は先生のIC(患者さんや家族に行う病状説明)が大好きだ。
患者さんや家族の心情に寄り添い、わかりやすい言葉で説明をする。
そして、質問のタイミングを設けるだけでなく、患者さんと家族が彼らのタイミングでスムーズに会話できるような雰囲気を作る。
そして、ほとんどのICで先生の考えを、おすすめの今後の選択肢を提示する。
終末期の医療現場では、医師が良かれと思ってのことではあるが、
「患者さんのしたいようにどうぞ」という感じで患者の意思に委ねることがある。
それは決して悪いことではない。
だけれど、選択肢を提示し、メリット・デメリットを説明する必要は絶対にある。
尚且つ、医師の視点から「これがおすすめ」「こうしていきたい」「こうすることがあなたにとってこのようにプラス」というより踏み込んだ話は大事だと思う。

時に一緒に悩み、思いを共有し、医療職が感じる本人の思いを汲み取り、治療方針を相談し、最終的に患者さんが決断していくって、すごくすごくすごく大変だけど、大事。
患者さんの決断は、「一緒にやっていこう。応援してるよ。ここにいるよ」という塩梅で、家族や医療職が横に、後ろに、すぐそばにいる、安心感を備えたものであってほしい。
私はそう思う。

私の経験は大したものではないかもしれないが、数人の医師のIC(病状説明)に立ち会ってきた中で、この先生のICがダントツに大好きだった。
この先生のICの場面にもう立ち会えないかもしれない、と思うと寂しいなと何度か思った。

その先生と久しぶりに「飲もう!」ということになり、自宅に招いて二人でスパークリングワインを飲んだ。先生がKALDIでワインとチーズに生ハムを買ってきてくれた。

先生から、今の病院で働きませんか?という言葉が飛び出た。

嬉しかった。
先生からお酒が入っていたとは言え、そんな言葉が聞けて嬉しかった。
私の仕事を評価してくれていたのかな、と少しは思えた。
誰かに必要とされ、役に立てるのではないか、という感覚を久しぶりに感じた。

そして今、戸惑っている。

福祉の仕事、それも病院での仕事。
医師・看護師・リハビリ・薬剤師などの医療職、そして患者さんや家族、
ケアマネジャーはじめ公的機関など地域の窓口や福祉関係者との板挟み、連携。
考えるとやっぱり希望が持てない。
やれるかもしれないけれど、気持ちが沈む。

先生に正直に今の気持ちを話した。
気持ちが沈む、と。
そしたら「私も毎日、もうやだと思って職場へ向かっている」というようなことを仰っていた。
それでも、この仕事を続けているのはきっと好きだからだ、と。
患者さんと向き合って話をすることが、病室に向かうことが好きだからだ、と。

ああ。この人が医師で良かったなあと、勝手ながら思った。
こういう先生に当たった患者さんはしあわせだなと思った。

そして、数日経った今。
私はどうしたいのか、どうするのか、悩んでいる。

先生が声をかけてくれたことは嬉しかった。
でも、それで仕事を決めてはならない。
嬉しかった。これまでの自分が慰められた。それ以上でもそれ以下でもない。
先生と働けて良かった。素晴らしい経験だった。

そして、私はどうしたい?

それがわからない。

その後、活力が湧かない。
思考が少しずつマイナスになっているのがわかる。

自分がとてもわがままで子どもで社会に馴染めない人間のように思える。
国家資格があって、仕事があって、社会制度を利用して休職している。
それなのに、そこに戻りたくなくて、四十歳すぎた大人が足掻いている。
それがとても「良くないこと」のように思えてくる。
自分を責めたくなる。

一方で、そうじゃないと一生懸命叫ぶわたしがいる。
自分がやりたいことを、自分を追い詰めすぎずにすり減らしすぎずに、
自分の人生を楽しく舵をとっていこうよ!
と叫んでいるわたしがいる。

どういう方向に進んでいくのか本当に今の自分にはわからない。
だけれど、自分を責めたくはない。
あんなに大変な治療や手術をして、オストメイトになって今がある。
だから、自分を責めて自己否定する生き方はしないと決めたのだ。

がんばれ私。
楽な方に流されるな。
元に戻るしかないか、と諦めてまた我慢して、、、という楽な方に流されたくはない。
せっかく、ここまできたのだから、もう少し自分を見つめて自分を知って
新しい扉を開けたい。

それが今の仕事に戻る扉だとしても、
今の気持ちで楽に流されてはだめなのだ。

うまく言えないけれど、今は楽な流れに抗う時だ。
今目の前に流れている「楽な川」は、自己否定の、自分を責める、卑屈な川だから。

がんばれ私。

さて。ヨガをして明日のモーニングを楽しみに寝よう。

陰鬱な思考には負けたくないのです。

私は私にがんばれーと声援を送っている。

ヘッダーは義母から送られてきた手作りりんごジャム。
これが届くと冬の始まりだなあと思います。



この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?