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【100日間で自分を変える/#day2】完璧じゃないといけないという呪縛

『ゼロヒャク思考』の持ち主である私は何事においても「完璧でなくてはいけない」という呪縛から逃れられないでいる。

仕事は好きなことをしてやりがいを持って毎日活き活きと過ごす。
休みの日も友人と出掛けたり、一人でも楽しいと思える趣味をする。

それができない私は「完璧ではないダメな人間」である。

今の自分には到底叶わないことや、今の自分にはそぐわないこと、合わないことも全無視して、自分で設定したハードルを上げに上げまくり、人と自分を比較しまくって苦しむ。
自分で自分の首を締め付けているようなもの。

ああ、滑稽…。

自分の首を絞めているその手、離せばいいだけなのにね。


そもそも、「完璧」ってなんだ?
「完璧」の世界基準ってあるのか?
「完璧」の法律ってあるのか?
それに従わなかったらこの世界から追放でもされるのか?

そんな勢いで、私は私で設定した「完璧」に長年苦しめられていた。


仕事もプライベートも人の期待に応えること、ミスなくこなすこと、人に好かれること、人とうまくコミュニケーションを取ること、何事もなく穏やかな気持ちで1日を終えて退社すること。


こうして文章で書いてみて、客観的に冷静になって見てみると、私はAIか?ロボットか何かなのか?とおかしくてたまらない!


ではなんでそんな思考になったのか。
それはきっと「完璧じゃないと人に認めてもらえない」という思い込み、呪縛が私の心の中の根底にあるせいだと思う。

でも、本当のところは人に認めてもらいたいわけじゃないんですよね。
”人に認めてもらえる自分を好きになりたい”だけなんですよね、きっと。

私は私に認めてほしい、かまってほしい、注目してほしいだけなんだと思う。


良い例えになるかわかりませんが、学生時代、自分にとって容姿も性格も完璧でかっこいい片想いの彼のことを追いかけていて、ちょっと情けない理由で先生に怒られていたり、テストで赤点取って補修授業受けていたり、自分が勝手に想像した完璧な彼の姿から思いもよらぬ姿を見てしまった時、「ああ、カッコ悪いところ見ちゃったな」「あれ?なんか違う…」って残念な気持ちになったことがある。
(随分、失礼な話ですけどね!)

恐らく私は、好きだと思った人に対して抱いてしまった「ちょっと残念な気持ち」を自分に対して感じたくなかったんだと思う。

と考えると、え、私って私のこと超好きじゃん。

好きが故に、情けない姿とか見たくなくて、「完璧」を装っていたんだ。
私は私に好かれたいだけだったのか…!?

そう気がついた瞬間、長年の「完璧呪縛」から少し解放された気持ちになった。

好きだった彼にだってちょっと情けない部分やカッコ悪いと思ってしまう一面がある。それでも、彼は人に優しくて明るくて、一緒にいて楽しい人だから好きなんだ。誰にだって、長所や短所がある。それを全部ひっくるめて、彼が好きなんだ。


何事も完璧にしないとって思って、自分の首を自分で締め付けちゃう一面も、人に好かれないといけないとか、うまくやらないといけないとか、思い込んじゃってる部分もある。そんな不器用なところも全部ひっくるめて私なのである。

自分では「ダメ」と思っているところでも、人からしたら長所になるかもしれない、羨ましいと思われるかもしれない。


人生に迷って嘆いてしまう私でもいい、決断力の弱い私でもいい、完璧を目指すあまり逆にこんがらがる不器用な私でもいい、周りに流される私でもいい。

自分を苦しめている呪縛をこうやってひとつづつ解いていく。


こんな私でもいい。こんな私だからこそいい。

こんな私には何ができる?何をしよう。

ちょっとでいいから少し違う視点で見てみる。考えてみる。
それから、今の自分ができることをできる範囲でやる。

この前向きさが、人生を今より明るくするための灯火になる!

ああ、すごく気持ちが楽になった…。

今日はおしまい。


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